2016年7月26日火曜日

アレッタのアイテム士生活

「おい、アレッタ、回復魔法はまだか!」

 ノエルの声が洞窟に響く。二本足で立つ大狼ベオウの猛攻を盾で防ぎながら、ノエルは必死に叫んでいた。
 人の倍程もあるベオウの拳がノエルの盾を鈍く鳴らし、ノエルの体力を削り続けている。彼の背中に守られ、私は震える手で白の魔法陣を記憶から転写していた。
 
仲間の危機に焦り、無事を確認するために往復する目線。下を見れば呪文の助けとなる魔法陣が少しずつ出来上がっていく。そして、上を見れば、二人の仲間。

 ノエルはベオウと対峙し、その向こうで、クートはルフに襲われていた。妖狼ベオウの眷属ルフ。統率された行動で獲物を狩る魔獣だ。1、2、3。七匹はいる。
 負傷した足で、剣を振るい防戦するクート。まるで死に怯えている子供のようだ。恐怖から逃げ惑う半狂乱の雄たけびが頻繁に漏れている。
 彼の左足は、もはや使い物にならなそうだった。シレネー山の火口のように赤い血を湛えたふくらはぎは、凹凸を最早なくしていた。
 クソっ、と罵声をもらしながら群がる犬どもを手で払いのけるクート。立つこともままならず手だけで後ずさりしながら、クートは剣を振るう。彼の大量の血の軌跡はまるで赤い川のようだった。そして、その手の力が段々萎んでいくのは遠目で見てもわかった。

 その様に焦りを感じながら、私はノエルの盾の後ろでもう何度目かの呪文を唱えていた。

 「白の精霊よ。傷つくものたちに汝等の加護を与えたまえ。"白癒"!」

 薄暗い洞窟に私の声が響き渡る。木霊さえ聞こえそうな、よく響く洞窟だった。
 私の一声で起きたことはただそれだけだった。"白癒"の光が灯ることもなく、ノエルの傷が癒えることもなく。独り言は何をも生みはない。洞窟内すぐさまは狼の威嚇と金属音の喧騒に立ち戻った。  
 「どうしたんだ、アレッタ!魔泉が尽きたのか!」 
 
 なんで。なんで白癒が使えないの。呪文単体の詠唱も何度も試した。補助的に魔法陣を書いてもダメ。
 魔泉が尽きた訳じゃない。舌打ちのように鳴らした指の先には"灯火"の火種が人差し指に灯る。魔法は使える。さっきだって"守身"の魔法も使えた。だからこそ格上のベオウに対して未だ耐えているノエルがそこにいるのだ。魔法は使えるはず。
はずなのに。

「魔法は使えるの。ただ・・・。もう一回。」

 言い訳のように、私はノエルに応える。もう一度唱えた白癒は、やはり意味をなさなかった。白の精霊達からの応えもなく、何も状況は変わらなかった。

 白癒。
 ダメだった。
 白癒
 一息おいみてたけれどだめ。
 「はくゆ」
 何を言ってるかわけが分からなくなってくる。
 「は」「く」「ゆ」。
 ただの音の列になっていくのが嫌でもわかる。
 そうして、いうべき私は言葉を失った。

 どうしてか全くわからなかった。けど私の言葉は、私の切なる願いは、もう届かないということは明白だった。
ノエルの疲弊が蓄積していく。あれではクートを助けにもいけない。そのクートは壁際に追いやられ逃げ場もなくなっている。一刻の猶予もない、
 
 このままじゃ…。

「青の精霊よ、共にありて我らの盾となり矛とならん、“水衣“」
 
 ノエルの背中から数歩下がり、私は“水衣“を唱えた。足下は青く光り、魔法が発動する。
 よかった、これは使えた。束の間の安堵。そして決まる覚悟。
 前衛もままならない私にだってできることはある。できることはあるはずだ。
 僅かの間の後、自らの金属製の杖からは、薄青い光が漏れだし始めた。炎属性のベオウと眷属の犬どもに対して水属性を纏えば、私でも少なからずダメージを与えられるはず。


 私がやらなければ2人とも。水衣の光が満ちるまでがとても長く感じられる。私のこの短い人生ほどではないけど。数あった中で。最も。最も。
 勇気が必要だった。

 私は一つ深呼吸して、私の意志をノエルに聞いてもらった。

「ノエル、そいつを引きつけてて。私がクートを助けるから。」

 肩越しに「おい」と言うノエルの制止を聞く間もなく、私はベオウとノエルの対峙を迂回して走る。白の魔導師のローブは走りづらかった。
 クートを襲うルフどもめがけて、私は走った。
 私は走りながら、振りかぶる。
 ルフの群れを、一撃が裂く。
 一匹が吹っ飛び、巻き添えを食った形でよろめく数匹。
 
 そうしてルフの群は私の存在を認識した。半数がこちらを向き、威嚇する。この狼どもの声がこんなにも怖かったことなんか一度もない。
 それはいつも二人がいてくれたからだ。ノエルと、クート。二人がいてくれたおかげで。

 多勢を前にして足が震えていた。頭の中で敵がどう動くかのシミュレーションを繰り返すが、どうのも分が悪い。私が弱いのはわかってるから。
 でも大丈夫。今だって一匹倒した。所詮一匹ずつは弱いし、こっちは有利な属性を纏っている。
 きっと。
 睨み合い続け、隙を窺う。

 「アレッタ、早く逃げろ!お前じゃその数は無茶だ!」

 背中の向こうでノエルの声がする。彼はベオウを上手く抑えられてるらしい。
 よかった。もう少し、頑張って。すぐ、そっちにも行くから。
 一匹ずつでいいんだ。一匹ずつで。
 集中して、敵の出方を窺う。
 
「痛ッ・・・!」
 
 私の足が突然痛みだした。しかも鋭利に。
 ケガ、じゃない
 とっさに向いた足下にはルフが一匹、足に噛みついていた。片方の目から血を流し、強い力で、私の肉を剥ぎ取ろうとしている。さっき薙ぎ払った一匹のようだった。

  すぐさま腰をひねり、足下のルフの小さな脳天に杖を突き立てる。杖の先が頭蓋骨で滑ったような感触がした。けれど、頭の皮膚が皮ごと剥がれ、切先は血みどろの毛皮を地面に刺していた。獰猛さとはかけ離れた断末魔と共に痛みは弱まる。足を払い、絶命したルフを振り払った。
 
 それと同時に後ろでも、ルフの断末魔が聞こえた。
地面にどさっと落ちたらしいルフの一匹の背中には剣がささっている。
ノエルと2人で、クートの為に買ったミドルソードが。
奥のクートは血だらけの手を前に出し、何も持っていなかった。
剣を投げたのだった。
クートは偉そうに言う。

「後ろを見ろよ、バカ女。だから槍の訓練もしとけって言ったんだよ。」

 クートのその言葉を最後に私はクートの声を聴いてない。姿も見ていない。
 クートの首にルフの牙が刺さる。
 その勢いのまま地面に倒れこみ、すぐさま、ほかのルフどもが群がる。クートの姿はルフの雲にまみれて見えなくなった。
 息継ぎもせずに肉を噛む音がする。ルフの荒い鼻息ばかりが聞こえる。グチャグチャと、水分のはねる音がいくつもする。あれはたぶん、クートの体の音。

「クート」

私は叫んだ。どうにもならないことを知りつつも、私は叫ばずにいられなかった。
その後ろでガンッという一際鈍く大きい音が聞こえた。
盾が宙を舞い、岩肌を金属音を立てて転がり滑っていく。
 
 そちらに視線をやるとノエルが宙に浮いていた。その腹にはベオウの太い腕が貫通している。口から血を吐き、まるで何かの儀式の供物のように狼の腕にぶら下がっていた。ベオウの横顔には何の色もなく、ただ獲物を凝視していた。
 ベオウは腕にノエルを刺したまま、口を開け、ノエルの頭を丸ごと咥えた。
 手を抜くと、それとともに腸が少し落ちていく。
 顎を動かし、食べ物をすりつぶしているようだった。首で支えられたノエルの体はブラブラと揺れる。ギシギシ、と骨の軋む音。ガリガリと金属の砕ける音。荒い鼻息がその硬さを伝えている。
 顎が完全に閉まり、地面にノエルの体が落ちる。白い鎧が、首だったところから血を地面に注いでいる。長い口を天に向け、人を味わっていた。

一噛み、二噛み、三噛み、四噛み、五。

 一瞬間をおいて、ゴクリ。気道に流し込まれていく食べ物たち。
 死体に向き直って、妖狼は首を振る。噛み切れなかった兜の破片を舌で口から掻き出すと、カランカラン、と甲高い音がいくつもした。
 そんなことに気を留める様子もなく、今度は落ちているノエルだったものを手でひっくり返して、仰向けにさせていた。白い鎧を鷲掴み、またも金属の砕ける音がする。。学習したのか、鎧をはぎ取ったようだった。食べ物じゃないと知って投げ捨てた鎧の破片には肉片がついていて、真っ赤に染まっている。
 
 水浸しになった床の上、で私はその光景を見ていた。股の間から熱を持った液体があふれ出て仕方なかった。ツンと鼻を刺す臭い、生温かい温度。膝に力は入らず、手を後ろにして姿勢を維持するのがやっとだった。とにかく、気持ち悪かった。冷え切った体とは対照的に、下半身は熱を帯び、失禁に浸った臀部はローブに肌が張り付き、不気味な冷たさを感じる。
  手にも力が入らない。私は食事をただ見ていた。
  
 バウッ、と狼の声が鋭く向かい、我に返る。ルフの一匹が私をにらみつけていた。次は私の番だったか、そう思った。
 警戒しているのか、距離を置き、私の周りをゆっくり回り始めた。 私には、もうそんな力も残っていないのに。殺意に煮え立ちそうな私の心臓は悲鳴を上げ、恐怖で緩んだ顎から拒絶の声が儚げに生まれてきた。

 「もうおよしなさい」

 女性の声が聞こえた。そんヒトはいないのに、私とクートとノエルだけでこの洞窟に入ったのに。
 一匹のベオウがのそのそと、こちらへ近づいてきて、そして、私を狙っていたルフを持ち上げた。

 「あなた、もうおなかはいっぱいでしょ。今日はもう帰りましょう」 

 小さな子供のような声も聞こえる。

 「でも兄ちゃんがやられたんだよ、ママ」
 
 怒りに満ちていて、鋭い声だった。

 「でも、これ以上殺したら餌がなくなっちゃうでしょう。このヒトはもう抵抗もしなさそうだし大丈夫よ。それにこのヒトは女の子よ。また子供を産んで、新しい命を宿してくれるわ」

 「でも・・・」


 「わがまま言うと神様に怒られるよ」
  
  剣幕な声だった。

 「はぁい・・・」 

 悔しそうな。つらそうな、そして怖そうな。そんな返事が聞こえた。

 「そこのお嬢さん。ごちそうさまでした。これで私たちはもう少し生き延びられるわ。神と、あなたがたに感謝します」

 ベオウが私の前にその巨体で立ち、手を合わせていた。
 
 「ごちそうさまでした」
  
 一礼し、その場を去る二足歩行の大狼。ベオウ。

 私は立つことも許されず、空腹を感じることもなく、時間のかなたに飲み込まれていった。記憶は消えて、命も消えたようだった。 
  生きていると知ったのはそれから数か月後、だった。
 
 私が最後に見て覚えているのは、抱きかかえられたルフの憎しみに満ちた目だった。 
 あれから数か月ののち、私は眠り続けた。

2016年3月24日木曜日

DQN

 スライムが現れた。目を凝らす、レベル20。スライムのくせに中々強い。
 さくせん、バッチリがんばる。たたかう。スライムに54のダメージ。スライムは倒れた。乗用車Aが壊れた。
  スライムをやっつけた。
 やっつけたけど。
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 「おにいちゃん、またやらかしたの?」

 「従妹だからってそろそろ面倒みきれないよ?」
 保険屋の団場さんに口酸っぱく説教された。団場さんは小さいころから「おにいちゃん」と僕を呼ぶが、僕は頭が上がらないので「団場さん」と呼んでいる。
 「すみません、団場さん。」
 「団場さんはヤメテって言ってるでしょ、おにいちゃん。」
 「すみません、リンダさん」
 「『さん』も禁止」
 苛立った声色で団場さんは書類を机の上にドサッと置く。
 「今回は本当に骨が折れたんだから。車壊された人、ありゃどう見ても聞いてもクレーマーだよ。『保険屋の小娘が何のようだ』って玄関から卵投げつけてきたんだよ?しかもゆで卵」
 
 僕は思わず鼻で笑ってしまった。ゆで卵をわざわざ用意してるってどういうことだよ。
 「笑ってんじゃねーぞクソ野郎」
 小さな声でひとり言のように(あえて聞こえるように)罵声を漏らし、憎悪にまみれた眼差しを向けてきた。この前現れたサイボーグ不良よりよほど怖い目だった。
 「おにいちゃん。こっちとしては契約を切りにきたの。わかる?もう次からは保険はおりないの。今回で最後。上がもう駄目だって。」
 すでにそう言われるのが分かっていたような、そんな言葉だった。
 
 「今回だって向こうのジジイは『訴えてやる』って喚き散らしてたのよ。『俺には有能な弁護士の友人がいる』とかいって。まぁ、超慈善活動保護法があるわけだから立件不可で裁判にはならないんだけれどもさぁ。」
  
 僕はひたすら沈黙しているしかなかった。「すみません」はもう効力を持たない気がしたし、団場さんの苦労も知っている。「そこをなんとか」というセリフも、保険料の増額さえもギリギリのところで押さえてもらっている分、 言うに言えない。僕はひたすら机上の書類に目をやっていた。
  しばらくの沈黙が続く。街中の小さな喫茶店は、壮年の読書好きと伯爵と呼ばれているマスターと僕らだけで、とても静かだった。メロウなジャズが小さな音量で流れ、差し込む日差しとコーヒーのふくよかな匂いが空気を輝かせていた。窓の向こう鳴るクラクション。背の高い女性のヒールの音が店内にまで聞こえる。小さな観葉植物が飾られた窓辺の向こうは、いつもの街だった。平和な街。
僕が何も言えないのを(言わないのを)見越して、団場さんはコーヒーをグイっと飲み、深いため息をついた。
 「おにいちゃん、もうやめよう?28歳だよ?昔、隣に住んでたMJ。もう子どもがいるって。こないだ、旦那を連れて楽しそうに歩いてたよ」
 団場さんは懇願するように説いてきた。MJ(三宅純子)、もう子どもがいるのか。すごいなぁ。 
 「情熱があるのもわかるよ。少し能力があるのもわかる。でも、毎回人に迷惑かけてちゃ」
 「僕は迷惑をかけたいんじゃない」
 
 遮るように僕は語気を強めた。
 ふっと静かな怒りがこみ上げてくる。苛立ち、とでも言おうか。団場さんの言葉への苛立ち、僕自身への不甲斐なさの苛立ち。
 「今回だって、救ったんだ。」
 
 負け惜しみなのは僕にも分っていた。言葉に力がなかった。確かに、スライムに襲われていた少女を助け出した。それは事実だった。けれど、僕の技量が足りなくて、近くの無関係な車も壊してしまった。他の人なら、もっとうまくできたのだろう。ハットマンならもっと上手く、もっと鮮やかに。
 「ごめん、おにいちゃん」
 
 団場さんは気まずそうに言った。「迷惑 」と言われるのを僕が嫌いなのを彼女は知っている。
 「でも、おにいちゃん。おにいちゃんなら他のこともうまくできるよ。人を助けたいって気持ちはよくわかってる。世界を平和にしたいって気持ちは何度だって聞いている。でも、それだけじゃダメなんだよ。今回のジジイなんか私に『ねーちゃんが身体でも売ってくれるんなら』とかゲスい笑顔浮かべて冗談言ってきたよ。冗談を。」
 団場さんが失笑しながらそう話すのを聞いて、僕は遣る瀬なかった。彼女の目には、諦観と悲しさが満ちていた。
 団場さんは親戚だが確かに綺麗な女性だった。スタイルも良い。きっと会社でもマドンナみたいな扱いだろう。
 そんな彼女が僕の顧問として就いてくれているのは、親戚だからというだけじゃなく、以前、僕が彼女を救ったからでもある。
 ある日のこと。街の裏を歩いていると、丸坊主の小悪党に襲われている女性を見つけた。レイプだ、とすぐに分かった。僕は変身してから、そいつのもとに駆けより、一撃を食らわせてやった。うめき声を漏らし、動きが鈍る。その間に暴れないよう犯人をマジックロープで縛り、すぐに警察を呼んだ。
 「お怪我はありませんか、お嬢さん」
 と、口に貼られたガムテープをゆっくり剥がし、僕が手を差し伸べる。
「ケントおにいちゃん?」
 と、その女性はたずねてきた。それが団場さんだった。衣服は乱れ、地面にスカートでへたりと座る彼女を見て、僕は強い苛立ちを覚えた。なんでこんなことに。
 数分後駆けつけた警察官に手錠かけられ、警察車両に詰め込まれそうになる犯人の断末魔は
 「あんな良い身体して歩いてるほうがいけねーんだよ」
 だった。
 団場さんは自身の体を抱きしめ、震えていたのを僕は今でも覚えている。
 悪は、不幸は許すまじ。僕がよく知る人だったから、改めてそう決意を新たにしたのを覚えている。
 「冗談じゃねーよ」
 
 だから、団場さんのその言葉は重かった。フラッシュバックしたのか、俯いた彼女の目は潤んでるように見えた。
 「おにいちゃんが守る世界はそんな奴も守ってるってことだよ?そんなクソみたいな奴のためにおにいちゃんが世間から冷たい目で見られたり、辛い思いしているのは見てられないの。意味ないじゃない、こんな世界。」
 「僕だって、そういう輩は死ねって思うよ。文字通り「死ね」と。犯罪者予備軍だ、世界を不幸にしている遠因だ。でも、そういう人にだってできることがあるし、愛している誰かがいる。愛してくれる誰かがいる。だから、嫌な人だから、その人の幸福は奪われていいということにはならないよ。」
 
 「僕が憎むのは悪じゃない。人の不幸だ、でしょ。聞き飽きたよおにいちゃん。」
 ため息交じりに微笑む団場さんの笑顔に、僕の心は少し痛んだ。
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 どれだけ気持ちがあってもできないことがある、うまくいかないことがある。そればっかりだった。
 結局僕は、超慈善活動をやめることはなかった。しかし、保険が下りないからド派手なことはできなくなった。マジガンも使わなくなり、小さな事件を少しずつ解決していった。犯人を逃がしてしまうことも出てきた。
 時々、絶対大丈夫と思ってマジックを使うと予想以上のことが起こったりもした。それでこないだは、おばあちゃんの乳母車を壊してしまった。おばあちゃんは、仕方ないことよ、と悲しそうな目で僕を励ましてくれた。弁償を申し出ると、
 「ありがたいんだけれども、これはお爺さんからもらった大切な乳母車だったの」
と、断られた。いいのよいいのよ、と言われたものの、新品の乳母車を買ってあげることくらいしか僕にはできなかった。
 悔しかった。
 ある日、僕は街中で怪しい人を見つけた。アジア系の男だった。ポケットに手を突っ込み、大きなスーツケースを引いていた。帽子と、サングラス。怪しい。長年の勘で、僕はその男についていった。
 その男は街中をひたすら歩いていた。人ごみを、人の集まるところを。
 大きなスクランブル交差点を渡り、駅前の人ごみを抜け出すと、その男の手からいつの間にかスーツケースが消えていた。それに気づき四方を見まわしたが、誰に渡したかは人にまぎれ、わからなくなってしまった。
  そのまま足を止めることなく男は歩いた。僕もその後を、引き続き尾行していった。
  都会の中の小さな広場につくと、その男は広場中央の噴水前で足を止めた。僕は一声かけようと、そのまま尾行していた速度でその男に近づいていく。
 男は空を見上げた。僕も上に何かあるのかと思い、空を見上げたが、何もなかった。一羽の鳥もなく、ひと筆の雲もなく、青空だった。周りは子連れの母親、散歩しているお年寄り、デート中の若者でにぎわっていた。
 ウ゛オォォォォォォォォォォ
 突然、大きな叫び声が聞こえた、音の発生場所に反応して動いた目線の先にはあの男がいた。足を広げ、腰をやや落とし、手に力を込めていた。周囲の音が一切聞こえなくなり、耳が壊れそうな轟音だけが響いた。
 身体が動かない。気付いた時には手遅れだった。
 合わない焦点の向こうで、男は変身をしていた。
 衣服は破け、中から茶色の獣の毛が生えが急速に生えていく。四肢は太くなり、筋肉の装甲をまとい始めた。全身が毛だらけになると、そいつはこっちに顔を向けた。その姿は、アニメでよく見るようなオオカミだった。鋭い牙、尖った顔。そして、殺意に血走る瞳。その目でこちらを向き、そのオオカミはにやりと笑い、一言残し跳躍した。
 「お前なら平気か」
 オオカミの跳躍とともに身体の自由が戻り、すぐさま首と目がオオカミを追う。10m近くは跳んでいる。太陽に幻惑され、シルエットになるオオカミを捉えながら、僕は変身した。 
 手を拳銃の形にしながら、走り出す。周囲の一般人は未だ動けないようだった。人をかき分け、オオカミを追う。跳躍した先は、広場の端にある展示タワーだった。跳んだ高さのままタワーの真ん中あたりに掴まり、オオカミは頂上へよじ登っていく。
 タワーからやや遠巻きに、僕はマジガンの射程にオオカミを捕捉した。あいつの狙いは頂上の展示会、そこで行われている宝石展。世界最大のピンクダイヤ。魔法の結晶化した、稀有な宝石だ。
  立ち止まり、 狙いを定める。走りながらチャージしたマジガンはフルチャージされていた。手の拳銃の人差し指の先にオオカミを重ねる。オオカミは、ガンッ、ガンッと鉄骨の音を立てて登り続けている。
 外すな、よくねらえ。
 自身に言い聞かす。
 外したらタワーごと崩壊するぞ、中の人も、建物も、すべてが破壊されるぞ。
 絶対に外すな。
 心臓が高鳴る。外すなよ。
 手が震える。外したら人が死ぬぞ。
 息が上がる。外せない。
 狙いを定める、大丈夫だ。
 大丈夫、きっと大丈夫。大丈夫だって。外せない、外さない。
 僕は指先の魔力を放出した。翡翠色の光の玉が、指先を離れ空を進む。まっすぐ、まっすぐにタワーをよじ登るオオカミへ向かっていく。
 大丈夫そうだ。狙いは合っていた。
 よし、まっすぐすすめ、当たるぞ。
 そのまま、そのまま。
 少し、ズレている?大丈夫か?大丈夫だろう。
 いや、ズレが広がっていく。
 マズイ、軌道が、軌道が。
  軌道が。それていく。
 血の気が引いていく。
 
  光弾はそのままタワーの芯、ど真ん中へ向かっていった。
 あとすこしで、危険なことが。あと少し。あと少し。
 頼む、逃げていてくれ。あり得ない可能性を神に願った。
 
 着弾。そして、爆発せず。
 翡翠の光弾は萎んでいく。そしてその先に黒い影が徐々に現れる。帽子と覆面、漆黒のマント。黄色い眼光。 
 「ハットマン」
希望が湧いた。光弾が萎み続けて消え去ると、ハットマンはこちらに一瞥した。黄色い眼光が険しくなった。侮蔑と、悲哀の一瞥が僕に刺さる。その意味は、この距離からでも分かった。
 ハットマンはすぐさまオオカミのもとへ飛んで行った。タワーをよじ登るオオカミの背後に瞬間的についた。オオカミは何かの存在に気付き、ハットマンを認識するや否や、あっという間に地面へ落ちて行った。
 宙を舞うハットマンの手から黒い紐が伸び、オオカミに刺さる。どうやら拘束したようだ。ハットマンの手からスルリと紐が抜けていく。
 警察のサイレンがあたりに鳴り始め、オオカミの雄叫びから解放された人々も動き始めた。ざわめきと、空に浮かぶハットマンへの賛辞がどこからともなく湧く。ハットマンのコール、口笛、拍手。その中で、何もしなかった、できなかった僕はただのコスプレおっさんと化していた。賛辞を贈ることも、平和を喜ぶこともできず、ただ、自身が罪悪から免れられたことに対し、呆けていた。
 上の空に、青空を横切る漆黒の戦士が目に入る。彼は僕の上空で止まり、そして両足を揃え降りてきた。あたりはどよめき、ハットマンと僕を囲むように散って行く。カツカツと長靴を鳴らしながら歩み寄るハットマン。僕の目の前で立ち止まるハットマン。その黄色い目は、憤りに満ちていた。
  
 「お前は人を殺しかけた。恥を知れ未熟もの」
 彼はそう言うと、僕の腹に一撃をめり込ませた。あまりの衝撃に一瞬宙に浮き、そして膝から着地し、崩れる僕。痛みは腹から心臓まで迫ってくるようだった。
 あたりは更にどよめく。いったいなんだ、という疑問の声。あいつも敵なのか、という不安の声。うずくまる僕を見て、同情の念。ざわつくギャラリーをよその、ハットマンはその場からすでに去って行った。
 「なんでそいつを殺さねぇんだハットマン!そいつもあのオオカミの仲間だろう!」
 キャップを被った、中年太りの男がハットマンに呼びかけた。
 「俺は動けないながらも見たぞ、その男がタワーを破壊しようとするのを!それをハットマンが止めたのを!」
 あたりは更にどよめく。 僕は自分が何を言われているのかが分からなかった。
 僕が?敵?
 タワーを破壊しようとした?そんな馬鹿な。
 痛みに耐えながら立ち上がる僕を見て、新たな声が聞こえてきた。
 「わ、わたしも見たわ、その男が緑色の光線をタワーに向けて打つのを!」
 確かにそうだ。僕は確かに、マジガンを打った。だが、タワーをよじ登るオオカミめがけてであり、タワーそのものを狙ったわけじゃない。
  そもそも、僕が敵の一派なら、どうして仲間ごとタワーを破壊するんだ。
 そんな疑問も、つい先ほどまでのテロリズムから解放されたばかりの民衆には意味をなさなかった。正常な判断が失われている。
 「ま、まってくれ、僕は」
 「てめぇはこないだのクソヒーローじゃねぇか、先週壊した車を早く弁償しやがれ」
 先週の事件のジジイだった。なんでこんなところにいるのだろうか。
 「こないだ強盗逃したダメ男じゃん」
 学生風の若い女が汚い口調で僕をののしる。待ってくれ、僕は。
 ゴツン。
 突然後頭部に鈍痛を覚えた。頭に当たったと思しきものは、カラカラと音を立て、僕の左方に転がり落ちた。それは、石だった。
 ゴツン。
 今度は額に似たような痛みが走った。それは額にあたり、浅い切り傷を作った。やはり石だった。またひとつ石が飛んできた。またひとつ、ゴミ袋が。空き缶が、紙くずが。どこから飛んできたか分からない。
 僕はただ、わけがわからなかった。
 何かが飛んできて、何かを浴びていた。つつくような痛覚のシャワーに、僕はびしょぬれになった。
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 気がつくと、僕は病院にいた。青いカーテン。白いベッド。ここは間違いなく病院だった。
 右側頭部がひどく重い。いや、痛い。触れてみると包帯が巻かれている。どうしてこんなところにいるんだろう。この傷は。
 ガラガラという音とともに、看護師が現れる。横になりながら額を触る僕を見て、驚いた顔して部屋を出て行った。
 一分もしないうちに医師を連れて先ほどの看護師がやってきた。
 「倉さーん、大丈夫ですか?」
 看護師は心配そうに尋ねる。看護しの後ろからヌッと医者が出てくる。白髪で、やや面長の素敵なジジイだった。
 「涙がでているけれど、目でも痛いのかい。」
 医師はそう聞いてきた。そして、瞼の下を押さえ、眼球をむき出しにする。
 ふむ、と一声漏らし、異常なしという風に身体を起こして、彼はカルテに目を向け始めた。
 痛くない。目はいたくない。痛いとすれば。
 心だった。
 
 
 
 

2016年1月17日日曜日

最近のモヤモヤ

 僕が大小関わらず暴力を行使しようとする者に怯えている理由は何だろうと、この数週間、ずっと考えていた。
やはり、その思想や思考そのものが、テロリストと何ら変わりないからである、と思った。貿易センタービルを破壊しないだけで、銃を乱射しないだけで、あれらテロリストと同じ種族の人間であるからだ。

 ISISや難民達、その他諸々によるテロにも似た行為が日々起きていく中で、その不条理に曝され痛みを受ける人々がいることを思うとやるせなくなる。
それらテロ行為が恐ろしいと感じるのは、その国の法律という、ごく一般的なルールを守れない人が自分の近くに存在するという恐怖感があるからだ。人を殴ってはいけない、殺してはいけないという、単純なルールさえも。
 そもそも、人を殴ってはいけない、殺してはいけないは、他人の権利を守る為にあると思う。他人の自由を保証するためにあると思うのだ。損害により生じる代償や、精神的な痛みを「自ら」償う「不必要なことをしない」権利を守る為だ。自分の、加害者の心の自由を保証するために暴力が存在するのではない。
 それを分からないらしい、すぐ隣にいる人が爆弾(暴力)を抱えてるかもしれない。その可能性に、日常が脅かされる。その可能性が、人を抑圧する。外に出るのが怖くなり、意見を表明することが怖くなる。テロとはそういうものだと思います。
 それら暴力を有している(そういう思想を持っている)、というだけで、その人への信用を各段に下げざるをえない、と思う。
 暴力を行使すると表明する人間になるとはそういうことだと思う。「冗談」だとしても、いざとなればルール(法)を無視する人(他人に痛みを伴わせようとする人=他人の権利を守ろうとしない人)、そういう前歴を持った人が約束を守るとは思えないのだ。
 だからこそ、テロリストの要求は飲めないし、テロリストの口上は聞き流されるのだと思う。信用のならない言葉達だからだ。いざとなればルールを暴力でねじ曲げる、その可能性がある人達を信用できるだろうか。
 彼らは彼らなりのルール(法)を持ち出し、その法で人を裁く。勝手に自分の城を築き上げて、その君主になったつもりで他国に攻め入る。異端者は粛正し、自分の信用できる人間に自分の正しさを確認しながら、自分の正しさだけを是として進む。他に、例えば日本国憲法という法があるにも関わらず。
 私法が、私刑がいけないのは、法律というルール外で処罰される者の冤罪の可能性があり、そのせいで再起不能になるかもしれないからだ。正しさなんてのは万人にあり、その万人の正しさをすり合わせる為、落としどころを探すために僕らは言葉という道具を使い、対話するのではなかっただろうか。

 些細だろうが痛みは痛みだ。じゃれあいのつもりでも、痛みは痛みだ。器物の破壊も同じだ。「遊んでいたつもりだった」という、いじめと同じ。
被害者には損失がそこに生じる。自制していれば、起こるはずのなかった損失が生まれる。そうした暴力を行使してくる可能性があるだけで、そういう思想を持つというだけで、暴力と暴力を行使する可能性のある者を不信し、僕は自分の身の為に、暴力に怯えるのだ。
テロリストに怯えるように。
僕のその怯懦を保身というのなら、他人を屈服させるために、自身のフラストレーション解消のために、自身の正しさを証明する為に行う暴力も保身なのではなかろうか。

世界は臆病者でできている。
プライドが人を殺す。
保身が他人を脅かす。
トラウマが今を作り出す。
めんどくさい生き物だなぁ、人間。

2015年9月27日日曜日

心が叫びたがっているんだ。(二周目)

急遽休みになったので、心が叫びたがってるんだ、二周目見てきました。
゙必要ない゙とがいらない゛とか人から言われたことがある人は、響くアニメだと思います。

「災厄からの救い」
自分の存在が災厄だと思ったことありますか?自分のせいで人が不幸になり、自分のせいで煩わしくなったり苛立たせたり。そんな風に人を思わせる自分ば災厄゛で゙最悪゛だと思うことはありますか?
自分は毎日のように思っています。
僕が部下じゃなかったら、僕がこの家にいなかったら、僕が僕という人間じゃなかったら…とか毎日そんなこと考えてしまいます。
そうならないために、努力はしなければなりません(なかなか報われないものではありますが)。その努力を見ていてくれる人が、この世界には存在するということを感じさせてくれるアニメだという一つの見方もできると思いました。
例えば主人公、成瀬順を多くの級友が認めているのばがんばっている゛ことです。彼女の才能とかではありません。
何かを伝えようと必死になってる順ちゃんをもっと他の皆に見てもらいたい、という思いが周りの人達から溢れてくるのは素敵な゙優しさ゛だと思います。
あともう一つの例として、田崎君の友人、三嶋君が彼を庇う姿にも同じようなものを感じます。
あとは、坂上君が成瀬順を庇うところもですね。
いずれにせよ、本人が知らない魅力や努力というものを他人が知っているという事実を描いてる気がしてならないのです。
自分の知らない魅力、努力。(もちろん欠点も)
これって他人と関わらなければ分からないんですよね。
゙世界が広がる゛ってこういうことを言うんじゃないかと、思います。
そうして、世界が広がって、人は救われるのです。
誰かが私を見てくれて、それを好きだと言ってくれて、罪悪感から幾分か解放され、世界に居場所を見つけて、人は初めて救われるのです。

 「救われる為の゙言葉゛」
 それに気づく為の遣り取りをする手段が、どうしたっで言葉゙なんです。どうしたって。ここさけはこの言葉にも勿論焦点を当てています。
 ゙世界が広がる゙時、場合によっては、自分も他人も知らない自分が言葉になって表れるかもしれません
(そういうのが悪意や狂言と呼ばれるものでしょう)
大抵の場合は、自分と他人の知ってる自分や、自分だけが知ってる自分、他人だけが知ってる自分が、誰かとの言葉の遣り取りの中で生まれます。
それはフィーリングとかだけではどうしたって伝わらないんですよ。
 言葉というのは、意思伝達の為の共通記号なはずです。梨の音を奏でても全員が梨とは判断できませんし、梨の匂いを嗅いでも全員が梨とは判断できません。梨の味がしても全員が梨とは判断できませんし、梨を描いても全員が梨とは判断できないかもしれません。
でも、「梨」の字一つで、全員がそれぞれに思う梨を想像できます。言葉とはそれだけの一般性を含んだものなのです。
ですから、言葉で遣り取りするということは非常に具体的で客観的、反芻可能で再現可能な、僕ら人間のみに許された非常に便利な意思伝達手段だと思います。
 だから、誰かに何かを伝えるにはやはり「言葉」で在る必要があるのです。分かりやすく、主観の混じらない言葉を伝えなくてはならないのです。
「言葉にしなきゃ伝わらない」ってやつです。

 「音楽の力」
だのに、世界は言葉にするのを躊躇ったり、煩わしく思ったり、恥ずかしかったりする人が多くいます。それは「不器用」なだけで、一種の個性であり、決して糾弾されるべきものではありません。
そんな不器用な成瀬順が「音楽の力」を借りて人に何かを伝え続けようとする姿が描かれます。
そう、「音楽の力」もまたこのアニメのテーマだと思います。
不器用な人間が、言葉以外で伝える為に努力し続ける。その手段の一つが、音楽として今回は描かれました。
何故音楽が、言葉以上の価値を持つのかは語りきれるものではありませんが、それで伝わる事があるのは言うまでもないでしょう。割愛。
しかし、不器用な成瀬順にとってのコミュニケーションの手段が音楽であり、音楽にはそれだけの力があるということを、不器用かもしれない監督長井龍雪にとってのコミュニケーション手段であるアニメで僕に伝わりました。芸術とはそういうものだと思います。
言葉にできないものを試行錯誤して、丹誠込めて作り、言葉以上を伝える。アニメの力をも感じられる作品です。

「コミュニケーションとは傷つけることが目的ではない」
ただし、言葉にすること、伝えることで人を傷つけることも多くあります。
言葉は誰かを傷つけるのです。
どんなに゙心が叫びたがっていても゙、人を傷つけて良い理由にはなりません。
「消えろとか簡単に言うなよ」、って成瀬順が激昂するシーンがあります。
あれは「心が叫びたがっている」シーンなのに、何故誰も幸せそうに描かないのだろうと、ふと思ったのです。
田崎君が陰口を言われるシーンや、通りすがりの女性に「無理」と言われているシーンもそう描いてました。
あぁそうか、「言いたいことを言う」は、誰かを傷つける為に使ってはいけないんだという戒めなんだ、と思いました。
 「言いたいことを言う」がまかり通って「キモイ」だの「うざい」だのなんだのが流行り、多くの人が死地や絶望に追いやられました。これは「言いたいことを言った」結果なのでしょう。でも、誰も幸せになってないんですよ、これ。言われた方も言わずもがな、言った方も「言う必要のないこと」を言っただけであって、誰も幸せになってないんです。
 「言いたいことがあるなら直接言えばいいじゃない」と以前、うちの子に言われましたが、多分それは「傷つけるための言葉」だったから言うべきじゃないと思ったのでしょう。
 友人の言葉が思い出されます。「批判と非難は違う」と。
 人を傷つける為に、人に何かを伝えて良いわけがないのです。安部死ね(敢えての誤字)と言っている人たちに幻滅するのはこの部分なのかもしれません。
巷によくいる「一回殴って良い?」だのと軽々しく口にする人たちも同じです。人を傷つける為に人にものを伝える人たちです。(俺の人生はこういう奴らにぶち壊されたとも言えます、吐き気がします)
 僕らは誰かを傷つけるためにコミュニケーションをするのではない。僕らは誰かを傷つけるために表現をするのではない。僕らは誰かを傷つけるために言葉を持ったのではない。
 分かり合うために言葉を持ち、表現をして、コミュニケーションを図るのだ。そう、僕には思えます。

 「分かり合うこと」
しかし、劇中、成瀬順は坂上君を傷つけます。散々罵ります。でも、それを聞いて坂上君は涙するのです。その涙の意味だけはイマイチ飲み込めないのですが、しかしながら、傷ついた様子はあまり見えません。
おそらくそれは、傷つけられる側(坂上君)に覚悟があったからなのでしょう、分かり合うための覚悟が。坂上君は、成瀬順を分かる為に、傷つくのを覚悟で叫びたいことを叫ばせたのだと思います。だからその後、成瀬順も坂上君に傷つけられるのを覚悟しながら、聞いたのでしょう。本当に分かり合うために。
このシーンでの、二人の会話は相手を傷つけるための会話だったでしょうか。多分違います。
言葉にしないことで起きるすれ違いを、衝突させて消したのでしょう。互いに一歩を踏み出すために。互いを思いながら。
この日本じゃ波風を立てないというニュアンスで、衝突することが悪いみたいな風潮がややあります。しかしながら、互いの進歩の為の衝突はあるべきだと思います。(語気が荒くなったりするとそれはともすると喧嘩になりかねませんがね)。互いのために、進むために衝突はしてもいいのだと思います。
相手を思いやることが根本にある衝突はあって然るべきだと思います。

「誰かが100%悪い訳じゃない」
世の中全部、そうだと思います。100%の悪意で誰かがアクションを起こしてるのではないのです。
成瀬順は、仁籐菜月は、坂上君や田崎君は自身の不甲斐なさに涙します。誰かが100%悪いのではないことを知っているからです。
そのことを知る寛容さと、精神的に進む向上心、心が叫びたがることを伝え、ジョハリの窓を全て見て、他者と分かり合う。そして、ともに進む。
その先に何が見えるのでしょうか。

多分、世界が美しく見えるのだと思います。
この世界を抱きしめたくなるのだと思います。
愛してると、誰かに伝えたくなるのかもしれません。

僕が今伝えたいことは、とりあえずこんなもんでしょうか。

2015年9月7日月曜日

まぼろし


 目に見えているものを数えてみた。
 ダッシュボード、光の落ちた計器類、オレンジの街灯。窓の外には高温すぎる地平線が熱を帯びて完全燃焼していた。屋根と梁だらけの狭い視界の中で、生まれかけの群青が雲みたいな綿ぼこりを白く焦がしている。質量のある空気が、私にのしかかっていた。
 私はというと、暑さに起きたのだった。一瞬、ここはどこだろうと思案する。眠気に潰された瞼を持ち上げ、顎を伝う汗を甲で拭いさりながら、思案する。
 昨日のこと。あれは確か、仕事終わりだった。しがない会社で、お茶汲みすら含まれた事務仕事を終えて、虚勢だらけのださい制服を脱いでる最中だった。
 アルミの板が増幅した携帯電話の振動に驚いて、ロッカーに手を伸ばした。周りに誰もいないことを確認し、視線を右手に持ったディスプレイへ運ぶ。
 『海へ行こう』
 そんなメッセージが届いたのだった。
 『今から?』
 『今から』
 『急すぎるよ』
 『明日休みでしょ』
 『そうだけど…』
 『じゃ、最寄りの駅に7時ね』
 現在時刻、1815分。多分彼のことだから、もういるんだろう。そう思った。
 返信することもせずに早々と着替えて、足早に退勤。金曜日のコンパ好き同期に会うのも煩わしかったので、私は誰にも挨拶せずにビルをでた。彼を待たせるのも申し訳ないし。
 徒歩15分、ベッドタウンと都会の境界に位置する会社のほとんどが、長い。距離を歩く。それを知っていて駅を集合場所にするのが彼らしい。ややもすれば気が利かない、そういう奴だった。
 通り雨のにおいで蒸した道すがら、私は言うのだった。
 『会社今出た』
 すぐに返事はないか、と諦めてバッグにしまおうと思ったときだ。
 『ごめん、ほんの少し遅れる』
 との一報。忘れ物かなんかだだろう。残念ながらすでに待ち合わせ場所にいるという予想は外れた。
 『わかった』
 そう返事をして、私は電話と入れ替えに、小さな水筒を取り出し、暑さを紛らわすようにヒヤリとした水を飲み、歩調を緩めた。9月だというのにまだ暑い。
 
 駅につくと彼はいた。待った?と聞いてくる彼に「今来たところ」と返す。
 よし、と言いながら、彼は私を車に誘った。

 そう、そこまでは覚えていたのだが、その後の記憶がない。が、そんなことはどうでもよかった。運転席には誰もいない。エアコンも切れている。ここは蒸し風呂状態だ。だくだくの汗が不快さを増す。本当にあいつの気の利かなさはすごい。にわかに苛立つ、私。ただし、にわかにだ。
 暑さに耐えかね、私はすぐにドアを開け外に出た。ふわっと強めの風が吹く。肌の水滴を通して熱が吸い取られ、私の体温は空に舞った。額や腕、首筋までのすべての汗が、火照った体を穏やかにする。リネンのブラウスが肌をくすぐるように触れて、その微細な隙間を風が通り過ぎて行った。
 気温はやや暑いけれども、海風は心地よい。くすんだ潮の匂いが鼻腔と肌に積っていく。舞いあがり、頬に張り付く髪を手櫛で撫で、耳にかけた。
 ここは海だと思いながら、未だ深く碧い地平線を眺めていた。
 陸と海と。その二択しかない光景が、私は好きだった。星はまだ輝きを失わずに空に散りばめられていた。都会とは違う夜空が、私は好きだと思った。絶えず吹く風が耳元でざわつくのも、私は好きだった。誰もいない静けさが、好きだった。
 どうして。
 誰もいないの。
 久々に見た自然の大きさに包まれて、私はすっかり忘れていた。
 あいつはどこだろう。
 半開きにしたドアからバッグをあさり、小さなタオルで汗を拭く。
 電話をとる。
 ここは、彼は、どこだろう。
 『どこにいるの』
 『あ、起きた?砂浜にいるよ、おいで』
 『嫌だ』
 待ってみたものの、既読はしばらくつかなかった。
 その無言の返事を見て、数歩歩いて、駐車場を作る石垣から海を見渡した。
 なるほど、確かに彼は砂浜にいた。ベージュ色のシャツの丸い背中が、砂浜に落ちていた。景色と同化しているみたいに、ピクリとも動かない。薄暗がりの中でなんとか見える彼の姿は、かろうじて見える星みたいだった。とめどない地平線のせいもあって、ひどく遠く感じた。単調で広大な砂浜と海が、遠近感を奪っているだろう。視界に移るすべてが際限ないせいで、彼はとても小さかった。
 車の中のバッグを拾い上げ、彼のもとまで歩きはじめた。

 コンクリートの階段下り、少し歩いてわかったのは、ゴミも散る砂浜を歩くのは苦労だということだった。しかも、ヒールで。決して高くはないヒールの足は砂に埋まり、非常に歩きづらい。靴の中にまで砂が入り込むのもわかる。思うように進まない。 
 諦めた私は打ち上げられた適当な流木を見つけ、腰かけた。靴を脱ぎ、揃えて木の上に置く。ストッキングも脱いで、砂を払い、畳んで靴の上に置いておいた。そして、私は素足のまま小さな砂漠をまた歩く。
 足の指の間に砂が入り込み、それが不快だった。貝殻みたいなかたい何かがあたるたび、ときどき痛かった。潔癖症というわけではないけれど、こういうのはあまり好きじゃない。わずかだけれど、彼を恨めしく思いながら、ゆっくりと進んでいった。蜃気楼みたいな、保護色の彼のもとまで。
 歩き続ける最中、彼は本当に微動だにしなかった。本当にあれは彼なのか、むしろ人なのか心配するほどだった。ひたすら海に面し、体を丸めて、砂浜にそれは置いてあった。保護色になって若干見づらい彼は、もはや蜃気楼みたいだった。

 しかし、果たして彼は間違いなくそこにいた。別人でもなく、他人でもない。顔を見なくても、その後ろ姿を見ればわかった。彼の後ろに立って、見覚えのある背中を感じる。
 「ここ、座りなよ」
 そういって彼は、体の前に隠しておいていた小さなイスを私に差し出した。驚かしてやろうかと思っていたが、気づかれていたか。
 私は「うん」とだけ言って、横に座った。
 「コーヒーでいい?」
 そう聞きながら、バッグをあさる彼。紙封筒みたいな袋をだして、水筒を取り出した。
「ちょっと待ってね」
 私はうなずく。
 彼は小さな三脚に乗ったカメラを前に据え、写真を撮っていたようだった。ご丁寧に小さな机もある。コップも二つある。コーヒーが入ってるらしい袋を机の上に置いて、お湯を注ぎ始めると、香ばしい香りがした。本当にコーヒーのようだ。
 「ここどこ?」
 「大洗」
 いつぞや一緒にいこうと言ってた場所か。彼にとって所縁の地だとか。
 ふーん、と気のない返事をすると、私は話すことがなくなった。
 彼はひたすら、海を見ている。
 電話でもいじろうと思ったけど、車に電話だけ忘れたみたいだった。だから、私もひたすら海を見ることにした。
 押して寄せる波。果てなしの碧い空。その境界をなぞる日の朱色。雲と、隙間からのぞく星。ただそれだけだった。
 目に見えるものは、本当にそれだけ。
 風のざわめきと、うたかたが立ち消える音、そして、かすかに聞こえる音楽。
 彼は小さなスピーカーで何か聞いてるようだった。それも、消え入るような音で。
 聞こえるものは、本当にそれだけだ。
 「きれいだね」
 彼はふと、私に問うてきた。
 私はうなずく。
 きれいだった。
 ただ、それ以外の感想は浮かばなかった。
 そうして数分が過ぎて、彼はコーヒーを注ぎ、手渡した。
 「外で飲むコーヒーは別格だよね」
 ため息ひとつついて、彼はそう言ってきた。
 「うん」
 私はそう答えた。確かにおいしい。どんなバタースックスのコーヒーより美味しく感じた。
 ふと彼の海を見つめる横顔を見ると、ときおり深呼吸しては、ただ、海を見ていた。険しい顔をしているわけじゃないけれど、ぼんやりと遠くを見ていいる。
 私も真似をしてみた。ただ、海だけを見る。雲だけを見る。空だけを見る。どれもしてみた。けれど、ちょっと耐えられない。じっとしてられない。よくあんなことができる。何を考えているんだろう。
 改めて彼をまじまじと見ることになった。カッコイイわけでもない、むしろ頼りなさすらある。なんで私はこの人といるのだろうと、ふと思った。
 もう一度、海を見て、考えた。けれど、答えは浮かばない。どうして、私はこの人とここにいるんだろう。
 肩と肩が握りこぶし一個分しかない私たちの距離のせいか、ときどき、潮の匂いとは違う塩の臭いがする。汗でもかいているのだろう。彼はあまり暑そうには見えないが。
 そう思って首をひねり、頬をじっとみてみる。汗ばんでいる様子はなし。剃り残したと思しき、髭の長い一本、風でみだされた髪の数本が散らばり、肌には無数の毛穴。そんな皮膚があった。張りはないけれど、温かそうな肌がそこにあった。大き目の鼻、ややも張った頬骨、ぱっちりした瞳。
 少し、体をひねって、首を伸ばせば、唇で彼に触れられるなのだ。意識してみると、無駄に緊張する。まぎれもなく、彼は男の人だという意識が頭から離れなくなってしまった。
 熱に一番敏感な唇で、その体温を調べてみれば、もっと近くに感じられるのかもしれない。私にはない筋肉のついた腕や、大きな体を。空気を伝いジワリとにじり寄るその温かさを、感じられるのかもしれない。そう、思った。思ってしまったのだった。
 
 けれども、そんなことをしても、どうしようもないことを知っている。私は彼の恋人でもないのだから。ましてや、好きという風に思ったことすらない。これは本当だ。ただ、なぜだか彼と一緒にいることが多いというだけの間柄だった。その理由もわからないが、ただ、居心地のいい人だった。彼との間で交わされる時間のやりとりが、私には非現実的にすら思えて。それは穏やかで、柔らかくて、心地よくて。そうそれは、幻のようだった。
 多分、世界のどこにもこういう人はいないだろうな、と思ってしまう。こんな人が二人といるわけがないだろうな、と思ってしまう。なんだか彼は、特別な気がしてならないのだった。
 友人は、「あんたの縁のなさのせいで、彼が世界で唯一の相手だと思いこみたがってるのよ」となかなか辛辣なコメントをくれたが、果たしてそうなのだろうか。
 私と彼との間を恋でつなぐことももしかしたら可能かもしれないし、愛を架けることも可能なのかもしれない。
 だけれども、そうしない理由があるのだとすれば、私が彼を愛してしまっているからかもしれない。愛してるからこそ、もっと違う言い方をすれば、彼の幸せを願っているからこそ、私は彼の恋人にも愛人にもなる気がないのかもしれない。いつかは終るかもしれないそんな関係性は、私たちを言い表すにはどうも適当じゃない気がする。大勢が求めた真実の愛、純愛ではない関係性が私たちにはあって、それをなくしてしまえば、もう二度と修復できないような。そんな予感がする。それが怖くて、悔しい。
 だから、私は私でいるのだ。一歩も進まず、一歩も退かず、彼の横にいるキーホルダーみたいに、私は私でいるのだ。
 それで、私は幸せだった。幸せなはずである。
 愛でもなければ、恋でもなければ、友情でもない。多分、私たちのこの時間は、夢か何かなのでは。幻なのでは。
 
 そんな押し問答を繰り返しているうちに、苛立ち、私は立ち上がり海まで駆けていった。苛立ったのかは定かではないが、なんだかストレスがたまった。
 波がくるかこないかの瀬戸際まで来て止まり、波の往来の真ん中に立ち止まった。空は白み、海原は燃えている。もう夜は帰りだし、すでに朝は萌えている。雲の隙間から光が立ち、消えかけの月が大きく見える。
 知らぬ間に、海は足元までやってきていた。砂を運び、私の足をぬらした。
 海の水はもう冷たかった。その冷たさに思わず、大きな声が出てしまう。
 「大丈夫?クラゲか何か?」
 と言いながらやや慌てて小走りに彼が近づいてきた。なんだか心配してくれたらしい。
 近くに来るなり彼はしゃがみこんで、私の足を見た。
 波が寄せて二人の足を浸す。
 屈んだ彼の足も海につかる。
 「えい」
 私は柄にもなくそんな声をだして、水を蹴り上げた。水が跳ね、滴が白んだ空を舞う。局地的な豪雨だった。
 雨上がり、彼のベージュのシャツは、ところどころ色が濃くなっている。それも結構な面積で。顎や指先から水が滴っている。
 しかし、何の反応もない。怒るでもなく、苛立つのでもなく、仕返しするのでもなく。
 彼の黙りようを聞いて、私は思わず逃げ出した。彼は怒る時はかなり怖い。
 「もうさ、子供じゃないんだから…」
と、彼が深いため息交じりにそんなことを言ってるのは聞こえた。
ただ、私は逃げた。下手したら説教パターンだったから。
 しかし、彼はいいサンダルを履いているせいで、すぐに追いついた。
 スポーツ用ビーチサンダルなど持っているのである。ファッションセンスはないくせに、そういうのは一人前に持っている。
 そうして、追いつき、私の手をつかみ、いうのだった。

「もう子供じゃないし、お互いもういい年だしさ、結婚でもしておきますか?ぼくら。」
 

2015年8月17日月曜日

「なぞなぞ。夏になると急に動きが悪くなるものなーんだ。」
彼女はそう僕に問うてきた。考えるフリをして、あたかも考えているる風を装おうとして、腕を組み彼女から目を離してみる。正直何が何だか、全然答えの見当がつかないので、外の景色に目が行く。今日も熱い。青空とも言えない、霞みがかった空。視界を奪う気のないやる気のない霧のように、僕から青だけを奪う雲。いい加減飽き飽きしていた、8月の半ばだった。
「答えは君でした。」
彼女はそういった。考える時間すらまともに与えてくれない。
「僕?」
「そう、君。」
彼女は笑っていう。
「だっていつもつまらなそうじゃん。私の声も耳に入ってないみたいだし、どこかに行こうと言っても暑がるし。何、いったい何が不服なの?」
べつに、と言葉を逃すにとどまる。何の不満もないけど、あえて言えば何の満足もないのが不満だった。
「きみはいつだってそうだ。私のことを好きだとか、平気で言うくせに、いつも楽しそうじゃない。大体の場合、楽しそうじゃない。こんな美人放っておくなんて贅沢ものだよ。」
彼女は若干ふくれっ面めいた顔をする。あたかも怒っているように顔をつくる。僕はその顔が半分本当で、半分嘘なのを知っている。そしてその全部が心地よく目に入ってくるのを幸せに思う。これは本心だ。
「ごめんごめん。だってさ、うるさいじゃん。セミ。扇風機。車の音何もかも。」
「私は五月蠅くないのに?」
「たとえ五月蠅くても、そこに君がいるのは僕がそうしようと思っているから在る結果だ。不満も満足もあるが邪魔じゃない」
「あんた誰よ、いったいどんな妄想家なのよ」
彼女の言葉で僕はいかに臭い言葉を言ったか一瞬考えたけれども、考えることをやめにした。
「まぁ、そんなやつだから仕方ないよ。」
僕は自嘲的に言う。そして意味もなく空を見る。
彼女は、ふーん、と関心なさそうに応え、立ち上がって、キッチンへ向かった。
 憎き蝉どもめ。君たちは何故僕らの静かな時間を奪うんだ。その7日間の命を子孫繁栄のためだけに費やすなんて、辛くないのか?仮に人間がそんな生き物だったとしても、毎日胸を張って、叫んで、辛くないのか?たとえ毎日がセックス三昧だったり、毎日女の子に言い寄られたりしても、やることが子孫繁栄だぜ?君たちの思いはどこにあるんだ?何の使命があって子孫を残すんだ?
僕だったら嫌だね。快楽だらけの人生だとしても、なんか嫌だ。毎日が快楽だとしても。
「それは人間の暴論だよ」
彼女はコップ片手に戻ってきた。モノローグを読む彼女。
「蝉は蝉で、あれが幸せだと思ってやっているんでしょ?幸せも何もないかもしれないけど。何かにつき動かされてやっているんでしょ。だったら文句言っちゃいけないよ。君は何でも、自分が正しいと思っている。違うよ、彼らには彼らなりの正しさがあるんだよ」
「僕だってそれくらいわかっている。ただ、蝉が人間だとして、彼らの一生を子供を産むことに費やす気持ちとはどんなものだろうかと考えただけだよ。」
彼女はコップを机に置いて横に座る。
「じゃあ、子供を産みもしないのに本能のままに動く人間って何なの?」
「生きるのに飽きた生物?」
 彼女は意味わかんないと言いながら、僕に口づけをしてきた。不意打ちだ。
麦茶の匂いがする。口から鼻孔をくすぐるように、麦茶の香りが僕の舌にのしかかる。彼女の口は冷たかった。氷が解けるようにゆっくりと、その冷たさも人肌になじんでいく。彼女の鼻息が逃げ場をなくして、僕の頬を撫でる。もみあげと、顔の産毛が引っ張られるような、真っ直ぐとした彼女の匂い。
 いきなりされたものだから、僕の目は開いたままだった。汗で艶やかな彼女の額で視界は染まる。彼女の目が閉じられているのを見て、僕の目はやり場もない。ゆっくりと視界を黒くした。足から力が抜ける。痺れるように、冷たくなるように。まるで彼女に脳をいじられてコントロールされているみたいに、僕は身動きもとれない。
「蝉にでもなる?」
唇を離した彼女は冷たく笑いながら、僕に聞いた。覚めていて、冷めていた笑顔で。何か企んでる。
「僕はもう生きるのに飽きているからね、それもまた一興」
「つまらない男だね、本当に。」
「ならどうして僕とこんなことをしているんだ?」
「私もつまらないから。」
「ならば君こそ蝉じゃないか」
「私は夢も目標もある人間です」
ふて腐れたように彼女は言う。
「なら一生君に付いていこうかな。」
そういう僕は、今年何回目かの彼女を見下ろしながら、なりゆきにまかせる。
溜息一つ、放り投げる。
さようなら。
僕はまた今日をなんとなくで殺していく。
6日目の事だった。

2015年7月1日水曜日

hello etchiopia



日本という国はそれなりにどこも一緒である。
文化住宅とアスファルト、電信柱。どこいっても同じなのである。
日本らしさ、というのは特に存在しないと思っている。けれども、それが日本人らしさなんだとも思ったりする。
暗闇に浮かぶ信号機が宇宙船のスイッチの一つ一つのようで、車は川のように目に見えない変化を伴い変化する。空は消えても気温と湿度に互換を張り巡らせ、季節や空気を感じられる。
そんな風にして、日本の空気を感じ取った音楽こそ、日本人にしか作れない音なのじゃないかと思うのである。ジメジメとしながら、微風を纏う音楽。ホッピー やサワーのような、工夫して美味しくしようとして、オヤジギャグみたいな、遊び心を大切にした音楽。(失礼)。でもいいバンドがいるもんだなぁ、と思うの である。
日本のごった煮で丼ぶりな都会的なポップセンス。可愛い物と美味しいものが煌めく、狂楽的な娯楽に薄汚れながらも幸せに満ちた街に楽しいをもたらす音。
急ぐのを辞めながらも憧憬の消えぬノスタルジア。取捨選択をし続けて、質素になって、着飾らずに音楽と共に歩き続けた。猛スピードで去っていく人の流れと時間に追いつこうとして追いつけずに流された物に思いを馳せる。
この曲に関しては後者に寄った曲で、ドツボだった。島と島を隔てる果てのない概念としての海が、本物の海にも人海にも横たわる。物理的な距離、精神的な遠さなど、遠く感じる全てに思いを、郷愁を巡らす。そんな音なんだよなぁ。
はっぴいえんどとかCEROが好きな人はきっと好きだよ。遊び心と音楽愛に詰まった曲だらけ。演奏してる方も楽しんでるのが分かる気がする。
日本人にもいい音楽作る人たちはいっぱいいるんだよ!