日曜日。今日は風が強い。雲の流れも速く、島の右端にある大型風力発電装置はすごい勢いで回っている。風取りに休みは無い。あっても良いのだが、万が一に備えて備蓄は必要になるのだ。いくら高性能といえど、集合電池には上限量が決まっている。人が生活していればそれは湯水のように減っていく。優先的な送電のシステムは整っていて、インフラにはなんとか問題にならないようになっているが、この島で最もハイテクな電池を持つ会社として、電池という資産の維持もしなければならない。電気会社もそれだけ潤沢というわけでもなく、僕ら風取りはそれ故に高給取りになりえないのである。
かといって、風が非常に強い日に漁に出るのは危険だ。昔から仕事中に何人も命を落としてきた。以前話した近所のおばあちゃんも、風取りだった旦那を嵐で亡くしている。それだけ危険を伴う職業なのである。と言っても、本土の大規模発電に比べればまだ安全である。僕らは、自然と折り合いを付ければよくて、その折り合いがつかないときは人と折り合いをつければいいのだから。そしてこの島には、ほんのごく一部を除けば折り合いのつかない人なんていない。風土が、文化が、歴史が、この島の人たちには染み込んでいるから。
というわけで、強風登板を前々回すました僕は今日、非番になった。僕の同期は行くらしい。こういう日は強風用の比較的大型で重い船を三人がかりで操作する。普段、僕らが使っている船は一人でも操作できるように、軽くて小さいのだが、それだと間違いなく転覆するし操舵どころではない。強風用は少し無機質で兵器のような無骨な外観なので、旅行者も島民もあまり印象が良くなく、また三人の人員が必要ということもあって、普段は利用されない。但し、ミリタリー系のツウはこの日をあえて望んでいるらしい。件の僕の同期も本土の軍上がりの人間でその傾向が強く、正義感の強さも相まって強風の日は進んで海に出る。奥さんに写真を撮ってもらい、手紙を出して本土の仲間に自慢しているのだとか。嬉しそうに何度も彼を撮る奥さんも含め、ちょっと特殊な人たちだと僕は思ってしまう。バカップルと巷で笑われているくらい熱い二人だ。
さて、非番の僕はすることがない。家にいても特にすることもない。今日は読書という気分でもなく、部屋に寝そべってボーっとしていた。天井を見ては、何にも思わず。窓を見ては、いつもの風景。何もする気が起きない。しかし、ボーっとするのにも飽きてきて、とりあえず外に出ることにしてみた。あえて名づけるなら散歩しに行こうと思った。風取りにとって強風は引きこもりの理由にはならない。海の風に比べれば大したことない風だ。僕は靴を履いて、薄手の羽織に袖を通してでかけた。
近所に住む子どもたちが二人、僕の脇をすり抜けて路地を走っていく。その背中には風車と電池。背中の道具を除けば、木造長屋のように連なっている路地を駆けていく子供たちの姿は、江戸と呼ばれた大昔の資料写真のようだ。これも、この町の魅力なのかもしれない。その後ろから遅れてゆっくりと走っていくもう一人の子は、金属製の棒を両手いっぱいに持っている。おそらく、じゃんけんで負けたのだろう。僕も昔はよくやった。学校鞄と風車の金具たちの罰ゲーム。いつになっても変わらない風景に頬を緩ませながら、僕は彼らの後についていった。無気力だった頭にも酸素が行き届く思いがして、一歩一歩は軽くなっていった。
彼らが目指していたのは広場のような公園だった。芝生が茂り、隅には申し訳程度に置かれたシーソーと滑り台とブランコ。それ以外には何もない、広さが感じられる公園だ。空には波打つような白い雲が、空と宇宙の間に端切れを被せたように敷き詰められている。千切られた綿雲は、目でわかるくらいのスピードで動き、風の強さを物語る。公園からは海が見え、同僚たちが海に出ているのも見えた。彼らの無事を祈りつつ、僕はベンチに座り空を見上げた。メガネのせいなのか、景色がゆがむ。遮るものの何もない空は、間違いなく球面だった。
先ほどの子供たちの他に、もう何人かの子供たちがすでにここに来ていた。彼らはそれぞれ、背中に背負っていた風車を下ろして、土台の金具を地面に挿していた。これがなかなか大変で、小学校に入って間もない頃は上級生に手伝ってもらったものだ。この鋭くないペグと呼ばれる杭を地面に挿して土台を作る。その上に風車を乗せて、風車の背面に一メートルくらいのハンドルをつける。これで、発電機が完成する。真上を向いた扇風機みたいな格好の小型の発電機だ。
風の向きに合わせて、子供たちはゆっくり、時々素早く自分が動くことで風車を操っていく。それぞれが風に合わせて動いていくので、大体似たような動きをしている。遠巻きに見るとこれがけっこうおもしろくて、風の読みに慣れておらず上手くない子は、皆と違う方向に動いていく。目の前の子供たちはバラバラに位置についているけれど、意味を持った形にして慣れた子達がこれを行うと、風に揺れる海藻のように子供と風車が草原に揺らめく。小学校や中学校の運動会などでは大規模なものが校庭で行われ、島の風物詩ともなっている。そのこまごました動きと、大きな発電量が見込めないことから、古くから「風拾い(ふびろい)」と呼ばれるこの方式の風車は今も昔も、主に子どもたちの風車だった。まだ風に慣れていない頃、肌で感じる風の向きと上手な人たちが作る風向が一致した時は、一緒に踊っているようで嬉しかった。
風拾いはそもそもかなり前から行われていた、風取りの訓練として作られた訓練道具で、風を読むため・機敏に反応するための訓練だった。有線式で電池の容量もわずかだったころから存在していて、僕のひいおじいちゃんの時代ほど昔である。けれども、導入当時は魔法の電池と呼ばれた今の電池が開発され、現在の生活が確立し始めたころ、風取りの養成が衰退していくと大量の風拾いが余った。どうにか活用できないかと、考えたある島民が発電機構をそのままにして、パーツを分割。充電先に電池を取り付けた型を作ってみた。そうすると、電気代の都合で贅沢品だと思われていた家庭用ゲーム機の電源を得るのに、子供たちが風拾いを使い出したのだとか。そのうち日常用の電気に蓄電する子どもも増えて、それを喜んだ大人たちがお金をあげ始めると、子供たちの小遣い稼ぎにさえなっていった。
僕もしょっちゅう風拾いを持って出かけた。くれるお小遣いなんか微々たるものだったけど、その為だけというのでもない。父さんは本土暮らしていたのであまり会えなかったが、母さんは水産加工や工芸品やらを作りながら僕を育ててくれていた。僕には母さんとの記憶の方が鮮明で、いつもひっついて歩いていた。あまりにも街中で見かけられるらしく、時々、よく喧嘩する同級生にマザコンだとか言われていた。そういわれるのが嫌で、ある日、仕事から帰ってきたところ「母さんのことなんか嫌いだ」って言ったら、母さんはその場でボロボロ泣き出した。懇願するのでもなく、怒るのでもなく、呆然と立ち尽くして僕を見ていた。口は半開きになって、肩が落ちているが見てわかるほど、背筋と共に心まで丸まっているのが見て取れた。それくらい、僕にはあのうつろな目が怖かった。罪悪感より、捨てられるんじゃないかという恐怖を感じる。しばらくして、母さんは「そう」とだけ言って、いつも通りご飯を作り始めた。その日の晩御飯は、本当に美味しくなかった。噛めば噛むほど唾液が分泌されて、纏わりつくような苦みが喉から口の中まで浸食していった。次の朝、その意味も分からず土下座をして謝った。意味も解らず、愛してます、とか口走ってしまった。それを聞いて母さんは堰を切ったように大笑いし始めた。無理に笑っているような気さえするほど笑っていた。しまいには涙を流しながら、笑っていたんだ。だから、僕も涙が出るまで笑い続けた。
子ども達を見ていたら、そんな子供の頃のことを思い出してしまった。風拾いの景色は、いつも子供の頃を思い出させる。風と踊る子供たちはその強風とそれぞれの位置の距離に負けじと、大声で何かを話しているようだった。片手をハンドルから離して、もう片方の手で作る拡声器。受け取る側は片手で集音器。大して意味もないのに、昔から誰に教わるともなく、見様見真似でやってしまっている。この街は全然変わらず、そういったことだけはもっと前から同じように繰り返されているんだろう。今日も風が強いだけの、さしも変わらぬ日常が続いていく。
2013年12月27日金曜日
風取り
僕が「風取り」になってからそろそろ10年くらいたつ。電気が希少な孤島のこの町では、風取りが一つの職業になりえてしまう。大きな発電所もなく、あるとすれば住民が苦渋の決断の末に2本だけ立てた大きな風力発電装置だけ。週に一度、本土から来る船から見ると「へ」の字のように見える島の右端に建てられた二つの風車。その二本だけで、最低限の電力をまかなう以外は、僕ら風取りの収穫くらいがこの町の電気なのだ。
風取りの仕事にはもう慣れたもので、昔は大嫌いだった早起きも今は何の苦もない。毎日そこそこノルマは達成できているし、決して豪華ではないけれど生活も並みだ。ゆっくりと、僕の毎日は仕事と共に流れていく。
風取りの朝は早い。4時には起床し、4時半から港で始まる朝礼に間に合わないといけない。朝礼では、旅行者の数がどのくらいだから今日は少し多めにだとか、雨が降っているのであまり島から離れずにやれだとかいう、大まかなその日の指針のようなものが部長から伝えられる。その後、暦的なものから迷信的なものまで、全員が知るべき凶兆や吉兆のようなものを、個人が手を挙げ発信する。大して役に立たないと思いきや、どうでもいい町の噂があったり、稀に仕事上でも役立つので、面白半分だがしっかり聞いている。今日は僕のご近所のおばあちゃんが風邪気味だ、とかいう他愛もない話があがった。これはさすがに役に立たないな。
朝礼が終わると、僕たちはそれぞれの船に乗り込む。三隻の小船が作る三角形の真ん中に、大きな風車がマストのように立っている。少し大きめの先頭の一隻には人が乗り、小振りな後ろ二隻には畜電池が丸々乗っている。これが僕ら風取りの船の基本的な形だ。(中には大型化と複数化をして副業的に漁業を営んでいるものもいる)。この船を使って陸から少し離れたところでうまく風に乗って、効率的に真ん中の風車を回さないといけない。そのエネルギーを、何十年も前の技術革新で大容量化と小型化がなされた後ろ二隻の電池に貯めていく。それを島に持ち帰って、町の人たちが使うような電気になっていく。旅行者からは「電気を漁しに行く」などと言われる。そう考えると「風獲り」という方があっているのかもしれない。それが僕らの仕事だ。
これがなかなか難しいもので、まさしく風を読まないといけない。気温や、雲などを見ながら、何時間後にはどういう風が吹くとか予想しながら、風車周りの帆を操り、効率的に風車を回さねばならない。電気を取りに行くのに、漁そのものに電気を使うのは良い事ではないという昔からの方針で、いまだに帆船として動いている。しかし、実際は風に身を任せているだけということが多いので、あまり電気駆動が必要ないというのもある。それよりも、駆動に電力を使うと本部にバレるし、その分しょっぴかれて給料も減る。だから、帰島するときぐらいしか、念のためについているエンジンは使わない人が多い。連絡は未だにモールス信号だし、とてもこの化学の発達した世界とは思えない省電力さだ。電気の力を排除するため、乗り手には高度な技術と知識が要求されるのだ。それらを操っている姿は中々に雄々しいもので、人材はあまり不足したことは無いとか。僕もその一人であるし。
人材が減らないのは、僕ら自身の存在が観光資源になっているということもある。海に浮かぶ帆船。水平線に沿って棚引く帆と澪。青い海原に、太陽の光という花を添えて回る風車たち。それらが、風に合わせては同じように向きを変えて行く様は、踊っているように見えるという。僕にはそんな感性は無いので、そんな芸術めいた感情は起きないが。それでもたまの休みに、夕焼けから溢れる光をぶつ切りにしながら回る羽根が、隙間から漏らす朱の光を見られた時は、涙が出そうなくらい感動する。潮の音と木々のざわめきをBGMにして、迫る夕闇をゆっくりと、ゆっくりと回る風車と共に眺め過ごす時間は、どんな芸術にも負けないこの島の人間的な美しさを感じる時間だ。
そんな中でも僕の最も好きな瞬間がある。夜も操業している者もいるような繁忙期には、孤島の澄んだ空気が曝け出す満点の星空と、人が灯した海上の星々を同時に臨める。水平線の残り日を境界にして、背後から闇と共に星が迫り、人の気配のする港からは灯が旅立っていく。星も、人も水平線の先の冥府に赴くようで、もの悲しさすら感じるその光景を、僕は何度も見てきて、何度も幸せを感じてきた。
僕の初恋が叶わずに、涙も流れぬ悲しみに暮れた日も、そんな夕焼けだった。港の横には海に突き出した崖があり、悲しいことがあると僕はいつもそこへ向かっていた。(今でもよく行くのだが。)その時そこから見た海原の果てで焼け焦げた空は、僕をあの世へ誘っているようだった。何も悪いことをしていないのに、まるで地獄行きが決定したような気持だった。世界の終わりだと、途方に暮れた。けれども、地獄の扉は日没と共に閉じる。代わりに、視界が全て瞬く星に代わってしまった。夜空の星達は僕と共に光る涙を浮かべているようで。海の灯りは僕のところに帰路を教えているようで。この島の自然と生きている人々に抱かれているようで、何も怖くなくなった気がした。大きな溜息一つ吐き出して、その場にあった石を海に向かって思いきり投げて、その日は家に戻っていった。
そんなときもあったのである。
風取りの仕事にはもう慣れたもので、昔は大嫌いだった早起きも今は何の苦もない。毎日そこそこノルマは達成できているし、決して豪華ではないけれど生活も並みだ。ゆっくりと、僕の毎日は仕事と共に流れていく。
風取りの朝は早い。4時には起床し、4時半から港で始まる朝礼に間に合わないといけない。朝礼では、旅行者の数がどのくらいだから今日は少し多めにだとか、雨が降っているのであまり島から離れずにやれだとかいう、大まかなその日の指針のようなものが部長から伝えられる。その後、暦的なものから迷信的なものまで、全員が知るべき凶兆や吉兆のようなものを、個人が手を挙げ発信する。大して役に立たないと思いきや、どうでもいい町の噂があったり、稀に仕事上でも役立つので、面白半分だがしっかり聞いている。今日は僕のご近所のおばあちゃんが風邪気味だ、とかいう他愛もない話があがった。これはさすがに役に立たないな。
朝礼が終わると、僕たちはそれぞれの船に乗り込む。三隻の小船が作る三角形の真ん中に、大きな風車がマストのように立っている。少し大きめの先頭の一隻には人が乗り、小振りな後ろ二隻には畜電池が丸々乗っている。これが僕ら風取りの船の基本的な形だ。(中には大型化と複数化をして副業的に漁業を営んでいるものもいる)。この船を使って陸から少し離れたところでうまく風に乗って、効率的に真ん中の風車を回さないといけない。そのエネルギーを、何十年も前の技術革新で大容量化と小型化がなされた後ろ二隻の電池に貯めていく。それを島に持ち帰って、町の人たちが使うような電気になっていく。旅行者からは「電気を漁しに行く」などと言われる。そう考えると「風獲り」という方があっているのかもしれない。それが僕らの仕事だ。
これがなかなか難しいもので、まさしく風を読まないといけない。気温や、雲などを見ながら、何時間後にはどういう風が吹くとか予想しながら、風車周りの帆を操り、効率的に風車を回さねばならない。電気を取りに行くのに、漁そのものに電気を使うのは良い事ではないという昔からの方針で、いまだに帆船として動いている。しかし、実際は風に身を任せているだけということが多いので、あまり電気駆動が必要ないというのもある。それよりも、駆動に電力を使うと本部にバレるし、その分しょっぴかれて給料も減る。だから、帰島するときぐらいしか、念のためについているエンジンは使わない人が多い。連絡は未だにモールス信号だし、とてもこの化学の発達した世界とは思えない省電力さだ。電気の力を排除するため、乗り手には高度な技術と知識が要求されるのだ。それらを操っている姿は中々に雄々しいもので、人材はあまり不足したことは無いとか。僕もその一人であるし。
人材が減らないのは、僕ら自身の存在が観光資源になっているということもある。海に浮かぶ帆船。水平線に沿って棚引く帆と澪。青い海原に、太陽の光という花を添えて回る風車たち。それらが、風に合わせては同じように向きを変えて行く様は、踊っているように見えるという。僕にはそんな感性は無いので、そんな芸術めいた感情は起きないが。それでもたまの休みに、夕焼けから溢れる光をぶつ切りにしながら回る羽根が、隙間から漏らす朱の光を見られた時は、涙が出そうなくらい感動する。潮の音と木々のざわめきをBGMにして、迫る夕闇をゆっくりと、ゆっくりと回る風車と共に眺め過ごす時間は、どんな芸術にも負けないこの島の人間的な美しさを感じる時間だ。
そんな中でも僕の最も好きな瞬間がある。夜も操業している者もいるような繁忙期には、孤島の澄んだ空気が曝け出す満点の星空と、人が灯した海上の星々を同時に臨める。水平線の残り日を境界にして、背後から闇と共に星が迫り、人の気配のする港からは灯が旅立っていく。星も、人も水平線の先の冥府に赴くようで、もの悲しさすら感じるその光景を、僕は何度も見てきて、何度も幸せを感じてきた。
僕の初恋が叶わずに、涙も流れぬ悲しみに暮れた日も、そんな夕焼けだった。港の横には海に突き出した崖があり、悲しいことがあると僕はいつもそこへ向かっていた。(今でもよく行くのだが。)その時そこから見た海原の果てで焼け焦げた空は、僕をあの世へ誘っているようだった。何も悪いことをしていないのに、まるで地獄行きが決定したような気持だった。世界の終わりだと、途方に暮れた。けれども、地獄の扉は日没と共に閉じる。代わりに、視界が全て瞬く星に代わってしまった。夜空の星達は僕と共に光る涙を浮かべているようで。海の灯りは僕のところに帰路を教えているようで。この島の自然と生きている人々に抱かれているようで、何も怖くなくなった気がした。大きな溜息一つ吐き出して、その場にあった石を海に向かって思いきり投げて、その日は家に戻っていった。
そんなときもあったのである。
Many times, many ways. merry Christmas to us
朝起きて携帯電話を見て、今日がクリスマスだったことを思い出した。ベッドのある位置とは正反対のCDラックにわき目も振らず向かい、並んだケースを指でなぞる。赤いジャケットのそれを見つけて、ミニコンポのスイッチを押す。トレーがゆっくりと手を差し伸べるように伸びてきて、傷がつかないようにケースから丁寧に取り出した円盤を、そっと手渡す。「はいはい」、と少し面倒くさそうに、円盤を飲み込んでいく。読み込むまでの数秒は無駄な時間なのかもしれない。テレビのチャンネルを回し続けることと同じくらい無駄なのかもしれない。それでも、私は動けない。数秒間、無心で待ち構える。
0:00が表示されて、空気が変わる。いつもと変わらない景色なのに、今日は違う。今日、この日の為に作られた音楽は、幸せに向かって部屋に広がる。こんな明確な目的なある音楽が他にあるだろうか。空の向こうで、同じように同じ曲を聴いている人がいるかもしれない。それだけでも嬉しいのに、街中がその為の音楽で埋まっている。子供たちの笑い声と共に響き、恋人たちの愛の間に入り込んでいく。
街を歩けば、煌びやかな街の灯りと相まって、煌びやかな音が鳴り響く。ポケットに手を突っこんで、音楽再生機のスイッチをいれる。反対側のポケットにあるイヤホンを取り出したが、絡まっている、ほどくのも嫌になるような見た目だ。街中でいきなり立ち止まるのも問題なので、そのまま元のポケットにもどした。
街のざわつき、人の往来と共に、クリスマス商戦という言葉が視界の片隅にちらつき始め、商売に精を出す人々がいる。沸々と、漂う資本主義の臭い。それで私はいつも、クリスマスが宗教的行事から始まったことを思い出して、世界にはクリスマスなんかない人がいることを思い出して、そして、それどころじゃない人を思い出す。そもそも、クリスマスというものがあるのを知っているのか。プレゼントを待ち望み、誰かと愛を分かち合う日に、そのどちらにも知らずに、命を落としていく人々を思う。世界がこんなになって、どうしようもないのは分かっているけれど、それでも、不平等さを、不条理さを嘆かずにはいられない。
そうなったことには何の意味もない。病気になって死ぬのと同じくらい意味のないことなのだ。何の悪意もなく、何の善意もない。無意識と無差別によって産み落とされた感情が、たまたま呵責という名の言葉を知ってしまっただけなのだ。そして、たまたま降って湧いた私自身というものが、そうあっただけなのだ。社会という秩序を持った理論が成立したこの世界で、私は数字のひとつでしかない。係数や乗数を少しばかり持った、数式でしかないのかもしれない。そんな自分自身を分解して、分解して、ナノやピコの世界を通り越して、原子のレベルまで分解して、さらに奥に進むと、自分自身の素粒子がある。それは曖昧で、定まっておらずに、自由であって。誰も解き明かすことができていない。世界中の知能が集まっても、未だに完全な解明はできていない。そんなものが、私自身を形作っていると思うと、まだまだ私も捨てたものじゃないなと思える。
巡り巡って、今の私にフラッシュバックするように、現実が目に入る。どうしてここに立っているのだろう、この目はどうしてこの世界を見ているのだろう。途方もない奇跡が折り重なって私を包み込んでいる。地球の中心から幾層にも重なった地層が、私を支えている。世界の罪悪と、害悪と、災厄の上に私の人生はそびえ立っている。後ろを振り返れば車が大きな質量をもって過ぎ去っていく。ここで、縁石一つ乗り越えて車道に跳べば、私の人生は罪悪から災厄にシフトする。でも、しない。それは説明できないけれど、何の証明もできないけれど、どうしてもできない。もし、簡単にいうならば、それは勿体ないからかもしれない。どうでもいい奇跡がもったいないのだ。人間は本当に欲深い。
周りを見渡すと、家が建っている。窓に明かりが灯っている。その窓の先に人がいる。もしかしたら家族なのかもしれない。恋人同士なのかもしれない。独りの可能性もある。それでも人はいて、もしかしたら笑っている。泣いているかもしれないし、何かに耐えているのかもしれない。その時間軸の手前にある、それぞれの人生を考える。全然思い浮かばない。すごいことだ。だから、せめて、今は笑顔でいたらと思う。
通り過ぎる恋人たち。茶色のコートを纏った女の子は、男の子腕にしがみついて、寒さを人知と人血で和らげている。温かいものは近くに欲しい、私たちは猫みたいなものなのかもしれない。それでも、何でも良いというわけでなくて、例えば私が、その男の子の側によっていきなり抱きついてみる。彼はいきなりの事に驚いて、払いのけるだろう。私が絶世の美人だとしても、辞世の凡人だとしても、それは変わらない。隣の彼女はもしかしたら、怒りだすかもしれなくて、そのまま嫌な思い出になって、恋というものさえ終わるのかもしれない。だから、何でもいいというわけではない。どうしようもなく、二人が二人でいることは素敵なことだった。
気がつけば歩き続けて、繁華街から抜け出ており、人もまばらになっていた。私は、ポケットに手を突っ込んだ。さっきの絡まったままのイヤホンを見つめる。なんでこんなに絡まっているのだろう。とりあえず、ほどき始める。解きほぐす。簡単に一本のコードになった。あんなに絡まっていたのに、あっけなかった。往々にしてそういうものだ。
耳にイヤホンを挿して、ポケットの中で再生のスイッチを押す。“Charity is a coat we wear twice a year.”。 George Michaelが”Praying for Time”でそう詠った、365日のうちのたった二日だけの慈善の羽衣を纏う日なのかもしれない。それでも願わずにはいられない。今日は、そう、クリスマス。目の前にある幸せさえも不幸せになったら、この世界はもっと歪で、汚いもので、永遠に目を閉じていたくなる。多分にそういう世界だけど、何の免罪符にもならない幸せを太陽から浴びるように感じてしまっている。私はなんて醜い女だろうか。それでもこの感情に不思議と温かさみたいなものを感じるのだから困ったものだ。だから、少しでも幸せが大地に注ぐように、私は日陰で生きていよう。
サンタクロースに何か頼むのはもうやめておこう。もっと、もっと届くべきところに届いてくれれば。届いていれば。私の人生から、クリスマスはいつの間にか遠くになっていたけれど、どんどん近くになっている気もする。”Many times, many ways, merry Christmas to you” 声にもならない声で唄ってみる。
0:00が表示されて、空気が変わる。いつもと変わらない景色なのに、今日は違う。今日、この日の為に作られた音楽は、幸せに向かって部屋に広がる。こんな明確な目的なある音楽が他にあるだろうか。空の向こうで、同じように同じ曲を聴いている人がいるかもしれない。それだけでも嬉しいのに、街中がその為の音楽で埋まっている。子供たちの笑い声と共に響き、恋人たちの愛の間に入り込んでいく。
街を歩けば、煌びやかな街の灯りと相まって、煌びやかな音が鳴り響く。ポケットに手を突っこんで、音楽再生機のスイッチをいれる。反対側のポケットにあるイヤホンを取り出したが、絡まっている、ほどくのも嫌になるような見た目だ。街中でいきなり立ち止まるのも問題なので、そのまま元のポケットにもどした。
街のざわつき、人の往来と共に、クリスマス商戦という言葉が視界の片隅にちらつき始め、商売に精を出す人々がいる。沸々と、漂う資本主義の臭い。それで私はいつも、クリスマスが宗教的行事から始まったことを思い出して、世界にはクリスマスなんかない人がいることを思い出して、そして、それどころじゃない人を思い出す。そもそも、クリスマスというものがあるのを知っているのか。プレゼントを待ち望み、誰かと愛を分かち合う日に、そのどちらにも知らずに、命を落としていく人々を思う。世界がこんなになって、どうしようもないのは分かっているけれど、それでも、不平等さを、不条理さを嘆かずにはいられない。
そうなったことには何の意味もない。病気になって死ぬのと同じくらい意味のないことなのだ。何の悪意もなく、何の善意もない。無意識と無差別によって産み落とされた感情が、たまたま呵責という名の言葉を知ってしまっただけなのだ。そして、たまたま降って湧いた私自身というものが、そうあっただけなのだ。社会という秩序を持った理論が成立したこの世界で、私は数字のひとつでしかない。係数や乗数を少しばかり持った、数式でしかないのかもしれない。そんな自分自身を分解して、分解して、ナノやピコの世界を通り越して、原子のレベルまで分解して、さらに奥に進むと、自分自身の素粒子がある。それは曖昧で、定まっておらずに、自由であって。誰も解き明かすことができていない。世界中の知能が集まっても、未だに完全な解明はできていない。そんなものが、私自身を形作っていると思うと、まだまだ私も捨てたものじゃないなと思える。
巡り巡って、今の私にフラッシュバックするように、現実が目に入る。どうしてここに立っているのだろう、この目はどうしてこの世界を見ているのだろう。途方もない奇跡が折り重なって私を包み込んでいる。地球の中心から幾層にも重なった地層が、私を支えている。世界の罪悪と、害悪と、災厄の上に私の人生はそびえ立っている。後ろを振り返れば車が大きな質量をもって過ぎ去っていく。ここで、縁石一つ乗り越えて車道に跳べば、私の人生は罪悪から災厄にシフトする。でも、しない。それは説明できないけれど、何の証明もできないけれど、どうしてもできない。もし、簡単にいうならば、それは勿体ないからかもしれない。どうでもいい奇跡がもったいないのだ。人間は本当に欲深い。
周りを見渡すと、家が建っている。窓に明かりが灯っている。その窓の先に人がいる。もしかしたら家族なのかもしれない。恋人同士なのかもしれない。独りの可能性もある。それでも人はいて、もしかしたら笑っている。泣いているかもしれないし、何かに耐えているのかもしれない。その時間軸の手前にある、それぞれの人生を考える。全然思い浮かばない。すごいことだ。だから、せめて、今は笑顔でいたらと思う。
通り過ぎる恋人たち。茶色のコートを纏った女の子は、男の子腕にしがみついて、寒さを人知と人血で和らげている。温かいものは近くに欲しい、私たちは猫みたいなものなのかもしれない。それでも、何でも良いというわけでなくて、例えば私が、その男の子の側によっていきなり抱きついてみる。彼はいきなりの事に驚いて、払いのけるだろう。私が絶世の美人だとしても、辞世の凡人だとしても、それは変わらない。隣の彼女はもしかしたら、怒りだすかもしれなくて、そのまま嫌な思い出になって、恋というものさえ終わるのかもしれない。だから、何でもいいというわけではない。どうしようもなく、二人が二人でいることは素敵なことだった。
気がつけば歩き続けて、繁華街から抜け出ており、人もまばらになっていた。私は、ポケットに手を突っ込んだ。さっきの絡まったままのイヤホンを見つめる。なんでこんなに絡まっているのだろう。とりあえず、ほどき始める。解きほぐす。簡単に一本のコードになった。あんなに絡まっていたのに、あっけなかった。往々にしてそういうものだ。
耳にイヤホンを挿して、ポケットの中で再生のスイッチを押す。“Charity is a coat we wear twice a year.”。 George Michaelが”Praying for Time”でそう詠った、365日のうちのたった二日だけの慈善の羽衣を纏う日なのかもしれない。それでも願わずにはいられない。今日は、そう、クリスマス。目の前にある幸せさえも不幸せになったら、この世界はもっと歪で、汚いもので、永遠に目を閉じていたくなる。多分にそういう世界だけど、何の免罪符にもならない幸せを太陽から浴びるように感じてしまっている。私はなんて醜い女だろうか。それでもこの感情に不思議と温かさみたいなものを感じるのだから困ったものだ。だから、少しでも幸せが大地に注ぐように、私は日陰で生きていよう。
サンタクロースに何か頼むのはもうやめておこう。もっと、もっと届くべきところに届いてくれれば。届いていれば。私の人生から、クリスマスはいつの間にか遠くになっていたけれど、どんどん近くになっている気もする。”Many times, many ways, merry Christmas to you” 声にもならない声で唄ってみる。
フェードアウト
気付いたら見知らぬ世界だった。宇宙のように真っ暗な黒。遠近感も光もない闇の上に
私は立っていた。突然、ボワッと光りだす蛍光色の緑の物体。それは、ドットで描かれた線のように大きな正方形が連なっていて、線となって天とも分からぬ闇の天井に伸びている。皆目見当もつかない場所。現代アートの展示物か何かなのだろうか。立ち尽くすことしかできない。むしろ、立っていた方がいい。足元を見れば同じように闇がある。広がっているのでもなく、口をあけているのでもなく、視界を闇という物質が占拠しているこの場を動けば、体勢を変えれば、何が起こるのか分からない。ただ、二本の足で立っているよりほかに何もできなかった。
「やぁやぁ、気付いたね」
声がした。いや、それは正確な表現ではないだろう。鼓膜の振動。どこから聞こえているのか分からず、それ以外の説明を許さないような声が僕の脳に響いた。気配も、声のする方向も分からないのに、私は辺りを見回した。反射的に視線を動かした。しかし、闇に次ぐ闇。時折、視界に現れては消える緑色の物体。何度も見渡した。やはり、誰もいない。
「後ろだよ。後ろ。」
私は足の位置を変えず、視線を右から後ろになるように、首をひねった。筋肉が引っ張られるくらいひねる。それでも何も見当たらず、自然と眼球だけがさらに後ろを向く。命綱を守るように足に重力を感じながら、足が動かないように腰をよじる。
なんだあれ。
皆目見当もつかない物体が後ろにいる。千葉県某市の非公認マスコットのような歪な形をしている。だが白い。白いというよりも、光そのもの色のようだ。色はついていない何か、としか言いようがない。
「足の位置、ずらしたら死ぬからね、気をつけて。」
また、鼓膜が振動する。動かないという自分の判断の正当性を証明できたようで、その言葉に少し安心した。しかし、むしろ恐怖が引き返してきた。足の形に、体中の全神経が集中する。足裏の輪郭を崩さぬように、重力に張った根が遠くまで伸びていくようだった。
「死ぬ、と言っても君はすでに死んでるんだけどね」
その言葉で、思い出す。あぁ、そうだ。私は電車のホームから飛び降りたはずだった。オレンジのラインが体を貫通するように跳んだはずだった。なのに生きている。というか、生きている感覚を感じている。わけの分からない空間に立っている。
「なんだかいろいろ腑に落ちない感じだね。」
それはそうだ。私は死ぬつもりだった。死んでなければならなかった。死にたかったのだ。そこまで反駁の言葉を頭に浮かべて、思い出した。死にたかった理由を思い出した。毎日、通勤に二時間かかり。まともに残業代も出ない残業の毎夜。同期は出世していき、自分は何年も平のまま。ろくにノルマもこなせずに、六時退社は夢のまた夢。飲み会にも誘われなくなって、昼飯も移動中だけで済ましていた。それも、おにぎり2個。
「なんだか、悲惨な生活だね。」
悲惨、なのかもしれない。体を壊した嫁は毎晩、立つのもやっとで私の帰りを待っている。台所に立って、ご飯を作って待ってくれている。それでも、彼女にはそれが精いっぱいで、疲れ果てて寝てしまう。というより私が寝るよう促して、彼女は悲しい目でベッドに戻る。そしてその後、食後の片づけは私がやる。洗濯物も私がする。ゴミをまとめて、排水溝の生ごみを乾かして。お風呂掃除などする気力もなく、何年も湯船に浸かっていない。気がつけば12時半。毎朝は6時に起きるので、5.5時間の睡眠。自由な時間など殆ど無い。仕事の辛さだけが心と体に刻み込まれる毎日だ。
「役立たずな嫁さんだねぇ」
その言葉に、力なく首を振るしかなかった。それはどうしようもないことだから。彼女は何も悪くない。私たちの間には小学生の子供がいた。元気な男の子だった。毎日外に遊びに出かけて、門限も守らない時もあったけれど、それは元気すぎるが故のことだった。頭はそんなに良くはないけれど、手伝いもするし、約束も守るいい子だった。けれど、あの子はある晩、帰ってこなかった。そして、その晩に帰ってきた私が玄関を開けると、警察と共に妻がいた。食卓を囲んで、尋問さえ受けているような妻がいた。私の怒りと困惑で血の登った頭は、すぐに冷めることとなった。
「息子さんが亡くなられました。」
警察の一言で、血もなき血を口から噴いた。唇がカラカラに乾いて、酸味を帯びた体液が逆流してきたのを覚えている。それから、妻は人形のようになった。何をしても反応がない。テレビを見ても、笑い話をしても、雪が降っても反応が無い。台風ですら動かずに、ベッドに座りながら、外を見ている。それでも、ある日突然にご飯だけは作るようになった。回復の兆しかと思った私は、涙を流してその飯を口に入れた。しかし、彼女の回復はそこで止まったままだ。精神も味覚も失った妻の、味気ないご飯。料理だけで疲れ切っても、ご飯だけは用意してくれて待っていること。そして、それしかできないという彼女の自身の無力さに対する罪悪感。ありありと五感で感じるその優しさと、悲痛さに、私の涙もいつしか乾いていった。
「不幸なじんせいだね」
あぁ、不幸という言葉は私にとってしっくりくる。先月言い渡された解雇通知でさらに箔がつくだろう。息子は死に、妻は魂を失った。日常には時間が隙間もなく張り巡らされ、わずかに見えたと思った隙間さえ本能に食いつぶされる。貯金の残高が私の手を引いて、自由を奪い去っていく。頑張れという言葉が期待から嘲笑に変り果て、その理由も崩壊し始めていった。不幸と言われるのは、むしろ心地よい。今は同情すら、空虚だけれども私を作り出すものになっている。同情される私すら、私のアイデンティテイになっている。
「ところでさ、僕、鉄道会社のモノなんだけれど。」
唐突に、文脈に無い言葉が聞こえてくる。背後にいるアレが、鉄道会社のモノだって。
「賠償金ってどうしてくれますかね?
「ほら、あなた、飛び降りたじゃない?
「電車は遅延するわ、死体処理はしなきゃいけないしで大変なんですよ
「しかも、目の前であなたの跳ねられた姿を見た、通学中の小学生がいましてね
「よほどトラウマだったらしく彼女は今病院に通いながら、生活しているそうですよ
「困るんですよ、僕たちにも家族がいるし、余計な損失を被ると給料も減る
「心ない客から怒鳴られて怒鳴られて、再起不能になった部下もいましたね
「まぁ、彼の場合、やわだったからっていうのもありますが
「とりあえず、僕の仕事は死んだ人から賠償金をとってくることなんですよ
「死んだ後に金なんかない?そうですか。困りましたね。
「じゃあ、死んでない人に頼みますか
「奥さん、まだ健在でしたよね
「生きていると言って正しいのか知りませんが、あちらへ伺ってみます
「え、何ですか?この状況を見ればわかるでしょう?
「僕たちに常識とか法とかそういったものは無いんですよ
「絞る方法なんていくらでもありますよ
「あなた方の不幸が計算不能なくらいに、
「あなたの行動が起こした影響は計算不能なんです
「だから、僕たちの独断と偏見と独善を以て、損失を償わなくてはなりません
「平等と権利を守らなくてはなりません
「僕らはあなたの死を気にも留めちゃいませんが、
「あなたの死で起こった事象には心底、やるかたなしと言った気持ちです
「理不尽ですよ、
「何故に、私が、僕が、彼が、彼女が、
「こんなつらい思いをしなくちゃいけないんですか
「そんな顔をしても困ります
「そんな顔をしても困ります
「だから、僕は人民の総意で以てあなたの所にきたのですよ
「わかりましたか
「もう、迷惑かけないでくださいね
2013年12月26日木曜日
ダメ元あかり
ダメ元という言葉を私は良く知っている。
私の頭が中途半端なのにもかかわらず、東大を受けてみようとか、お祭りで3等すらあてたことないのに、お年玉全部を春の宝くじに使ってしまったとかそんなじゃない。私の名前が橋本あかりだなんてこととも全く関係ない。
私の性癖が、私の恋心が、着地点を求めてさまよっているのだ。いつからこんな風に感じたのは分からない。気が付いたら私は彼女たちに恋をしていた。私は男性に恋をするよりも、女性に、女に恋をしてしまう。
初恋は中学校だった。私はクラスで目立たない存在だったけど、そこそこ頭がよかったので、時々、平気で30点取ってしまうような女子生徒から勉強を教えてと請われるのだった。友達の少ない私はそれが嬉しかったし、何より、私の取り柄になった。足も速くなく、面白いことを言えるのでもない、中学校という狭い世界における第三のステータスを手に入れた気でいた。頭の良さ。中途半端にも関わらず私は鼻高々だった。
そんな私も高校受験という、多くの中学生が迎える最初の試練にぶつかった。初めての模試、4月。意気揚々に問題に向かう私だったが、明らかに違和感がある。国語も社会も、何もかも。あっているはず、という「はず」の壁が次々に現れては私の自信を奪っていった。数学に至っては筆が止まる始末だった。多少、有頂天な中学生時代を過ごしてきただけに、これは大きな衝撃だった。私のステータスは脆くも崩れ去った。泣くこともできず、かといって過去の栄光(この場合、有頂天が通用した世界)を易々と手放すこともできず、私は自暴自棄にすらなった。頭のいい私と、頭の悪い私、場所が違うだけで私は私を使い分けなくてはならないように、なってしまった。
そんな時、ふと受験について語りあう仲となった、同じクラスのバレー部の彼女の存在が色濃くなり始めた。気づいたら、真っ赤に変わっている紅葉のように、鮮明に彼女が視界に入ってきた。他の誰とも違う、彼女の色が見えている気がした。彼女は彼女で受験に必死らしく、昼休みはいつも勉強をしていた。かといって、部活も真剣にこなしているようだし、誰も彼女をガリ勉だなんて揶揄するような輩はいなかった。というより、彼女はそう難解でない易しい問題にいつも頭を悩ませていたので、クラスの人は彼女の頭の悪さを笑っていたのだと思う。それくらいして当然だ、というように。
2か月に一度しか行われない席替えで、彼女の隣に座って以来、彼女は私に勉強を教えてと私に近づくようになった。これは、私の失墜を慰めるのには十分すぎるほどの優しさだった。ことあるごとに彼女は私を褒め、しかも何の嫌味もなく心から、私の事を「すごい」と評するのだった。そんなにすごくないよ、と自嘲半分と嬉しさ半分に応じるも、私は慰められた。私よりも下がいる、という安心感も少しはあったが、素直に私を認めてくれる彼女の優しさが、何よりもうれしかった。私にもできることがあるのじゃないかと、希望が湧いた。
夏休みに入っても、彼女は私を度々、近くの図書館に呼びつけた。私も私で、一人ではどうしてもサボってしまうので、これを機にと毎回足を運んだ。図書館の学習スペース、並んだ机の、真ん中より一つずれた窓際の二つの席。私たちはいつもそこに座った。隣同士に。向かい合ってじゃなく。
ある日、来る途中に汗ばんだ、彼女の匂いがしていた。ほのかに感じる、甘い臭い。女の匂いが詰まった中に感じる、鼻の中に詰まるような人の匂い。運動部だったからなのか、引き締まった腕。陽の光をわずかに反射するような白いその腕。摘まめば肉を掴みそうな、それとも骨にあたるような、丸みを帯びた骨と肉のバランス。固すぎず、柔らかすぎず。髪はサラサラと、柳のように揺れている。顎から水平に線を引くと、髪の端にたどり着くような長さで。墨のように彼女の横顔を塗りつぶすその黒い髪は、何かを大事な物を隠しているようにさえ感じられた。その黒のベールの隙間から覗く、机に真っ直ぐ向く視線。真っ直ぐ、私を見ているときのように。
ある日、来る途中に汗ばんだ、彼女の匂いがしていた。ほのかに感じる、甘い臭い。女の匂いが詰まった中に感じる、鼻の中に詰まるような人の匂い。運動部だったからなのか、引き締まった腕。陽の光をわずかに反射するような白いその腕。摘まめば肉を掴みそうな、それとも骨にあたるような、丸みを帯びた骨と肉のバランス。固すぎず、柔らかすぎず。髪はサラサラと、柳のように揺れている。顎から水平に線を引くと、髪の端にたどり着くような長さで。墨のように彼女の横顔を塗りつぶすその黒い髪は、何かを大事な物を隠しているようにさえ感じられた。その黒のベールの隙間から覗く、机に真っ直ぐ向く視線。真っ直ぐ、私を見ているときのように。
私は、気付けば何度も彼女を確認していた。気の遠くなるような自分の参考書の1ページを横目に、わからないそぶりを待っていた。話すそぶりを待っていた。待ちわびたその声に、私は即座に反応する。私も勉強していたのに、という風を装って。意識的に、でも、あくまで必要性を装って、彼女に少し肩を触れる。私よりほのかに温かい。私の綿と、彼女のポリエステルを境界にして触れる肩と肩。彼女の発する赤外線が、私の心まで貫くように、伝わる。
もどかしい。じれったい、もったいない。何故こうも遠いのだろう。
もどかしい。じれったい、もったいない。何故こうも遠いのだろう。
「ちょっと暑いよ」
彼女は、俄かに頬を緩めながら、茶化すようにそう言った。私は我に返った。謝った。俄かに頬をひきつらせながら。何を焦っているのか、自分でもわからなかった。嫌なところを突かれたような、バツの悪さ。何より、相手が同じ女の子であるという、自分でも問うていない事実を無意識的に問うている自分がいた。自分にしらをきるように、笑ってごまかした。力なく。
その日以降、私は彼女の向かいに座るようになった。彼女の匂いから離れるため、空気を伝播する温もりを避けるため。彼女は初めこそ「なんでそっちに座るの」と聞いたが、てきとうな理由を付けてごまかした。そのうち、それが自然になっていく。離れていくのが自然になっていた。惜しさが私を攻め立てた。弱い私自身を罵っていた。
そんな日常も、あっけなく崩れていった、彼女はある日、嬉しそうに彼氏ができたと私に耳打ちした。他人ばかりが集まる図書館で、誰も聞いてないの、彼女は私の耳元でささやいた。私の耳をくすぐる。揺れもしない耳が、彼女の声の振動で揺れているような。初めて私に向いたその吐息は、その実、私以外に向けられたものだった。
耳たぶが熱い。軟骨がその温かさで溶けてしまいそうになる。呻きにも似た溜息が、私の半開きの口から漏れ出した。
対照的に、心は冷め切っていた。心臓が委縮するのがわかった。ディレイがかかったように、鼓動のスピードが感じられなくなる。笑いを含んだ彼女の言葉にもならない空気が、私の中に空虚に染み渡った。
ケーキの上の蝋燭の、消しきれなかった、ほんの小さな灯を消そうとする息に似たその声に、私は部屋が真っ暗になるような気分になった。私の誕生日の日の事だった。
耳たぶが熱い。軟骨がその温かさで溶けてしまいそうになる。呻きにも似た溜息が、私の半開きの口から漏れ出した。
対照的に、心は冷め切っていた。心臓が委縮するのがわかった。ディレイがかかったように、鼓動のスピードが感じられなくなる。笑いを含んだ彼女の言葉にもならない空気が、私の中に空虚に染み渡った。
ケーキの上の蝋燭の、消しきれなかった、ほんの小さな灯を消そうとする息に似たその声に、私は部屋が真っ暗になるような気分になった。私の誕生日の日の事だった。
その後、彼女とは疎遠になったわけでもないが、明らかな線をひいた。臭い物に蓋をするように、涙ながらに線を引き続けた。悲しい、というより怯えるように。
それ以来、私は繰り返している。光り輝く女性たちを見る度に、思いを寄せることを繰り返してきた。
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