https://www.youtube.com/watch?v=qNqQC7R_Me4
2014年12月24日水曜日
海の神話
https://www.youtube.com/watch?v=qNqQC7R_Me4
2014年12月13日土曜日
獣ミルク
私が枕元に置くものと言えば、携帯電話、時々寝ながら飲むホットミルク。電話の各種通知のお知らせは切っている。それでいて電波を発信し続けている。WIFIもオン。つまりだ。私の耳の横に、頭の横に常に電波が発信されているということだ。
電波とは光の一種だと聞いたことがある。私の記憶違いという可能性もあるが、そういった光が私の頭皮を貫通して、私に夢を見せているのかもしれない。ここのところ夢無くして眠れていないのだ。
夢を見ないで寝られる日が無い。これをラッキーだと思う者がいるかもしれない。けれども、それは全く以てアンラッキーなのだと一言、私は言わねばならない。
例えば、今日はこんな夢を見た。
いつものベッドにいるのだ。しかし、空は鉛色を通り越して、暗雲が立ち込めている。風の音も車の音もなく、静かで、静かで、街が息をしていない。今日はやけに静かだなと思って、台所に行くと母がいる。血相変えた母がいて、私に外に出てはダメよと言うのだ。
私が不思議がってその理由を尋ねるや否や、窓ガラスが割れた。ピシッというP波の音がして、S波が平面的な圧力を以て窓をたたき割った。一瞬何のことか分からずに、茫然としていたところに獣が現れる。
赤い獣。ライオンのような茶色いタテガミが背骨をなぞるように生えて、毛の無い細い尾が二本、それに続いている。その尾はちょうどチワワのような、あの皮膚感あふれる弾力を持っていて、紫色の血管が浮き上がっていた。耳をピンと立て、フローリングにその四足の爪がのめり込んでいた。着地の反動に怯んでいるのか、動く様子もなくうつむいている。
ハッと我に返った母が、私の手を取った。急いで、と私を怒鳴るように言うなり、母はそのまま私の手を引き、玄関を出た。足をもつらせながらも、階段を駆け下る。危険は察知し、急ぐべきだという気持ちとは裏腹に、一段一段しか階段を下れない私の脚は非常にどん臭かった。もっと恐ろしいモノを見たはずなのに、階段の一段一段が怖いのだ。なんとも滑稽だと、その状況下でも思った。
そして、マンションの階段を下り、右か左か一瞬の思案の後に左を選び、走りだそうとした瞬間、獣が上から降ってきた。音もなく獣は着地し、私と母を見た。その虎の目に似た眼光が、私を怯ませた。母は一歩後ずさり、次の動きに注視しているようだった。
そして、私の手を握る母の手が冷たくなっていった。その次には柔らかさが失われ、ついで色が失われた。大丈夫なわけもないのに、安否を確認するように石のようになった母の手を強く握る。その手には何の弾力もない。それ以上に、母の指をもぎ取ってしまった。サクッと折れたのだ。クッキーを割るように、指が砕けた。それに驚いた私は、一歩二歩と後ずさりし、恐ろしさを肌で感じるに至った。
母のうなじも灰色に浸食されていく。すうっと脱色され、灰色になっていく、見慣れた背中。そして、その灰色の波はとうとう髪の毛にまで迫り、母は石となった。石と化した髪の一本一本が脆さ故に重力に抗えず、地に落ちていく。上半身と服の重みに耐えられなくなった細い足が、音を立てて亀裂を作り、膝が砕けた。腰は砕け、胸も弾け飛んだ。もはや、人の形を成せずに地面にばら撒かれた粉を見て、私は恐怖すらも感じずに、諦念に支配された。
間もなく、裸足で出てきた故の足の痛みも消え、寒風で感じた手の冷たさが失われた。震えていた膝は動かなくなり、筋肉痛を抱えていた腿が自分の物じゃなくなった心地がした。胸にぽっかり穴が開き、食事も通らない喉になり、顔面は蒼白ならぬ灰色になっていくのが分かる。
自分の石化を、つまるところの死を感じた。その最期を獣はその目で私を見続けている。メデューサの呪いか何かなのか。獣のその視線は、私の神経と脊髄とを凍らせ石にした。冷たく、そして何の感慨もなく私を見る。身震いも恐怖も何もかも詰め込んで私の視界を真っ黒にして、私から光が失われていった。
そこで目が覚めたのだ。変な夢である。ただ、恐怖は汗となって残っていた。その話の重さは、脳に響いていた。私の脳が勝手に弄られ、映像も音も曖昧になりながら疲労感のみが残されるのだ。その緊張は体中に伝わり、特に手足などは張りもし、凝りもしている。その四肢の鈍い痛みや二日酔いにも似た頭痛には現実感しか残らない。
こんなことが毎朝続くのだ。どうしようもない疲労感が、私の朝を嫌なものにするのだ。最近はそこに寒さという山が、更に越えるべきものとして立ちはだかる。長くガスのかかった道の次に来るその山は、高く険しい。朝からその徒労感と絶望感で、一日のやる気がそがれる。
こうした夢がもし、携帯の電波のなせる業であるならば、私はそのスイッチをオフにしよう。そうすれば、夢を見ることもないのかもしれない。もう、夢を見なくていいのかもしれない。
けれど、悪夢は見るだろう。それは間違いない。目覚まし時計代わりの電話無くして起きれずに、遅刻し、上司の言葉に私は石となる。不要物の烙印を押され、その絶望感に膝が笑い、腰が砕ける。首は失意で深々と垂れ、そのまま卒倒したくなる。どちらも夢のような話だ。電話を切るだなんて選択肢は、それこそ現実に戻れなくなる危険なオプションだった。
話は変わるが、柳が死の植物だという話がある。なるほど、人が項垂れている様子そのものじゃないかと、得心がいく。柳が垂れ、風に揺れるのを見て、どこか不吉さを覚える訳がここにあったのだ。
話をもどそう。
ならば、枕元に置かなければいいのでは。そう思った僕は、電話をやや遠くに置いて昨夜は寝たのだった。
そして朝、悪夢に起こされて、布団をバっとはぎ取ると、枕元の牛乳がしぶきをあげて飛び散っていた。正確に言えば布団がコップを飛ばし、その中の牛乳が雨を降らせた。そして、昨夜仕上げていた資料が、タンパク質豊富な白濁液にまみれた。拭ってもベタつく。何より、臭いがひどい。
目は覚めた。
しかし、悪夢だ。
私は石になる。
ジ・アーメン。
2014年12月2日火曜日
親と子と
特に進路決定においてはよく見るシーンです。
???「心理学部入りたい」
親「入っても職業につながらんだろ」
という話を聞いたことがあります。
今の私も似たようなもんです。
音楽していたいとか、芸術の制作に携わりたいとか、やりたいことがあるんですよ。
でも、親はやめてくれって言います。
私も親の恩を感じる分、無碍にもできず悩むのです。
でも、それを止める親も恨めしく思ったりもします。
そんな親と自身を分離するための、もっと言えば将来親になった時に、どう接したらいいかを自分なりの考えでまとめてはみました。
なお、続きは「うさぎドロップ」の解釈へと続く内容です。
続きはコチラ→(http://tu-fu.blogspot.jp/2014/12/blog-post.html)
私の両親も含め、大体の「親というモノ」は以下に分類されます。
親殺。、子殺し。最近は割とよくある事件です 。
そして、以下の彼女の言葉は私の根底を流れる一つの思いです。
「子どもにそんなこと言ったってわかるわけないでしょう」
よくこういうセリフや、その意図を違う形で耳にしますが、決してそうではないと思います。
以上を踏まえて、うさぎドロップの結末について書きたいと思います。
続きはコチラで(http://tu-fu.blogspot.jp/2014/12/blog-post.html)
うさぎドロップ再々考
以前の記事(http://tu-fu.blogspot.jp/2014/12/blog-post_2.html)を踏まえ、
大好きなアニメ、漫画である「うさぎドロップ」の最終回について書きたいと思います。
芦田真菜ちゃんで映画化もされたので、そちらは黒歴史だとして、
原作コミックでは、そのりんちゃんと大吉が20になって結婚(?)しちゃうのです。
原作未読組はビックリですね。
子育て漫画から急に近親相姦ものかよ、と納得しない方も多かったと思います。
が、個人的な見解を述べるならば、やはりそうなっても良いと思うのです。
僕は何も近親相姦を容認しろと言いたいのでも、否定したいわけでもないのでご了承ください。
(まぁ血は繋がってないので、そんな捉え方する人もいないと思いますが。)