2014年12月24日水曜日

海の神話



 海はどうして出来たのか。そんな事を毎日考えていた。
 昔、大陸は一つだった。一つの大地、それを包み囲む水。ただ一つの孤島が水に浮かぶ世界だったのだ。あまりに巨大な出発点と到着点が同じように存在する世界で、海という概念は存在せず、広大などでもなかった。水のある、ただの場所でしかなかった。恵みと幸せを産む大地と、不自由と創世の水の地。その二つだけが世界にあったのだ。だから、住む場所は大地だけだった。
 例えば、大きな地震が起き、津波が押し寄せ島を水浸しにしたのかもしれない。大地のヘソから水がとめどなく溢れ出てきたのかもしれない。どちらが起きたにせよ、それは大小の違いで、陸の中に水を呼び込んだことには変わりないだろう。そうして海となったのかもしれない。
 でも多分、僕の仮説によると、人の足跡説が有力だと思う。色々な人が、僕のであり僕らのである大地を歩きまわった。足は地面に食い込み足跡を作り、それが些細ながらも穴となった。その窪みの一つ一つに小さな雨が流れ込み、垂れ流される日の光が土を固めて、穴と呼ばれるくらいの深さを作ったのだろう。誰かしら躓くぐらいの穴になったその窪み全てに、長雨で水が張った。そこらじゅうを人が歩くから、地面には無数の穴が口を開くことになり、大地は多くの水を溜めこんでいったに違いない。
 何千何万もの窪みが水を貯え、いつしか点と点は繋がり溝となるものが現れた。そうした無数の線はどんどんとつながり続け、そのうちに孤島を跨ぐ大きな溝が一つ現れた。川と呼ばれたものの誕生である。そうして、境界線が引かれてしまったのかもしれない。
 東と西が生まれたのか、北と南が生まれたのかよくわからない。けれど、方向という概念が生まれていったのは間違いない。川の向こうとこちら側。川の端と端。そういう場所ができていったのだろう。
 そして、ある日、何年もやまぬ雨と暴風雨が続いた。その勢いで溢れ出た水は川から離れ、湖にも沼にもなった。件の川は猛々しく流れ続け、大地を蝕み、その恰幅を拡げていった。川の勢いは衰えることなく、日ごと大河へと姿を変えていったのだった。
 終ぞ、嵐は去った。そして、川は泳いで渡れるようなものでなくなってしまった。河は、渡ることが不可能にも見える川となった。その水害では、流されて川を挟み離れ離れになった人もいたのだろう。亡くなったり向こう岸についていたりもするのだろう。なにせよ、河は明確に向こうとこちらを隔てる境界線となって大地を隔てた。
 だから、人々は船を作ることにしたのだろう。超えて、行きたい場所ができた。その思いが人を駆り立てたのだと思う。そうして船を作り、人々は河を超えられることに歓喜した。
 その後も河は増大を辞めず、ついには海と呼ばれた。陸と陸を隔てる大きな海となり、いつしか大地は割れたような形になっていた。そうしたことがその後も何度も起きて、今の世界の形があるのだと、僕は思う。大地は欠け、折れ、沈み、消え、せり出す。幾度ともなく繰り返されたそれが、僕らの今の世界を作ったのだろう。
 
 そして、今僕の目の前にある太古から在る海は、僕にとっては海でもなく、河でもない。ならばなんだというのかと言えば、宇宙とでも言えばいいかもしれない。その宇宙の前には、人々が歓喜し幾度も挑戦した海や河の距離や遠さなど、ただの溝にしか見えなかった。
 僕の目前には、海と、それ以上に表現しようもない膨大な時間や空間の隔たりが居座っている。最早、泳いで行くにしても漕いで行くにしても、遠すぎる距離に僕たちはいる。ただ、単純に遠くなりすぎたのだ。どうしようもなく、何もしようもなく。
 そして、ある日、足を失った僕はただ椅子に腰掛ける事しかできなかった。できることも減り続けて、ただ目の前にあるできることに心身をすり減らしながら挑むも、泳げないという事実に行きつくだけだった。その事実に行き当たるたびに、自ら呪いのように背負った腐りかけの脚が震える。
 何万何億年という時間を生きたような心地を胸に抱きながら、僕は技術者として空を見上げ続けていた。宇宙の先にもいない君の下へたどり着くための船を作り続けているが、結局着くことも叶わずにいる。しかし、物理法則を凌駕することができても、僕は君と共にいることはできないだろう。銀河を渡る船を作っても、君の下には辿りつけないのだろう。ならば僕は何故、空と海を見るのか。
 海と呼ばれた隔たりを臨みながら、僕は君のことを思い続けていた。
 共に居たいと望みながら、神話とも呼べる詩を詠い続けていた。
 歩くことも叶わなくなった僕は、波音と夕陽の温かさに抱かれながらしばし夢の世界に落ちた。




https://www.youtube.com/watch?v=qNqQC7R_Me4

2014年12月13日土曜日

獣ミルク

 私が枕元に置くものと言えば、携帯電話、時々寝ながら飲むホットミルク。電話の各種通知のお知らせは切っている。それでいて電波を発信し続けている。WIFIもオン。つまりだ。私の耳の横に、頭の横に常に電波が発信されているということだ。
 電波とは光の一種だと聞いたことがある。私の記憶違いという可能性もあるが、そういった光が私の頭皮を貫通して、私に夢を見せているのかもしれない。ここのところ夢無くして眠れていないのだ。
 夢を見ないで寝られる日が無い。これをラッキーだと思う者がいるかもしれない。けれども、それは全く以てアンラッキーなのだと一言、私は言わねばならない。
 例えば、今日はこんな夢を見た。
 いつものベッドにいるのだ。しかし、空は鉛色を通り越して、暗雲が立ち込めている。風の音も車の音もなく、静かで、静かで、街が息をしていない。今日はやけに静かだなと思って、台所に行くと母がいる。血相変えた母がいて、私に外に出てはダメよと言うのだ。
 私が不思議がってその理由を尋ねるや否や、窓ガラスが割れた。ピシッというP波の音がして、S波が平面的な圧力を以て窓をたたき割った。一瞬何のことか分からずに、茫然としていたところに獣が現れる。
 赤い獣。ライオンのような茶色いタテガミが背骨をなぞるように生えて、毛の無い細い尾が二本、それに続いている。その尾はちょうどチワワのような、あの皮膚感あふれる弾力を持っていて、紫色の血管が浮き上がっていた。耳をピンと立て、フローリングにその四足の爪がのめり込んでいた。着地の反動に怯んでいるのか、動く様子もなくうつむいている。
 ハッと我に返った母が、私の手を取った。急いで、と私を怒鳴るように言うなり、母はそのまま私の手を引き、玄関を出た。足をもつらせながらも、階段を駆け下る。危険は察知し、急ぐべきだという気持ちとは裏腹に、一段一段しか階段を下れない私の脚は非常にどん臭かった。もっと恐ろしいモノを見たはずなのに、階段の一段一段が怖いのだ。なんとも滑稽だと、その状況下でも思った。
 そして、マンションの階段を下り、右か左か一瞬の思案の後に左を選び、走りだそうとした瞬間、獣が上から降ってきた。音もなく獣は着地し、私と母を見た。その虎の目に似た眼光が、私を怯ませた。母は一歩後ずさり、次の動きに注視しているようだった。
 そして、私の手を握る母の手が冷たくなっていった。その次には柔らかさが失われ、ついで色が失われた。大丈夫なわけもないのに、安否を確認するように石のようになった母の手を強く握る。その手には何の弾力もない。それ以上に、母の指をもぎ取ってしまった。サクッと折れたのだ。クッキーを割るように、指が砕けた。それに驚いた私は、一歩二歩と後ずさりし、恐ろしさを肌で感じるに至った。
 母のうなじも灰色に浸食されていく。すうっと脱色され、灰色になっていく、見慣れた背中。そして、その灰色の波はとうとう髪の毛にまで迫り、母は石となった。石と化した髪の一本一本が脆さ故に重力に抗えず、地に落ちていく。上半身と服の重みに耐えられなくなった細い足が、音を立てて亀裂を作り、膝が砕けた。腰は砕け、胸も弾け飛んだ。もはや、人の形を成せずに地面にばら撒かれた粉を見て、私は恐怖すらも感じずに、諦念に支配された。
 間もなく、裸足で出てきた故の足の痛みも消え、寒風で感じた手の冷たさが失われた。震えていた膝は動かなくなり、筋肉痛を抱えていた腿が自分の物じゃなくなった心地がした。胸にぽっかり穴が開き、食事も通らない喉になり、顔面は蒼白ならぬ灰色になっていくのが分かる。
 自分の石化を、つまるところの死を感じた。その最期を獣はその目で私を見続けている。メデューサの呪いか何かなのか。獣のその視線は、私の神経と脊髄とを凍らせ石にした。冷たく、そして何の感慨もなく私を見る。身震いも恐怖も何もかも詰め込んで私の視界を真っ黒にして、私から光が失われていった。
 
 そこで目が覚めたのだ。変な夢である。ただ、恐怖は汗となって残っていた。その話の重さは、脳に響いていた。私の脳が勝手に弄られ、映像も音も曖昧になりながら疲労感のみが残されるのだ。その緊張は体中に伝わり、特に手足などは張りもし、凝りもしている。その四肢の鈍い痛みや二日酔いにも似た頭痛には現実感しか残らない。
  こんなことが毎朝続くのだ。どうしようもない疲労感が、私の朝を嫌なものにするのだ。最近はそこに寒さという山が、更に越えるべきものとして立ちはだかる。長くガスのかかった道の次に来るその山は、高く険しい。朝からその徒労感と絶望感で、一日のやる気がそがれる。
 こうした夢がもし、携帯の電波のなせる業であるならば、私はそのスイッチをオフにしよう。そうすれば、夢を見ることもないのかもしれない。もう、夢を見なくていいのかもしれない。
 けれど、悪夢は見るだろう。それは間違いない。目覚まし時計代わりの電話無くして起きれずに、遅刻し、上司の言葉に私は石となる。不要物の烙印を押され、その絶望感に膝が笑い、腰が砕ける。首は失意で深々と垂れ、そのまま卒倒したくなる。どちらも夢のような話だ。電話を切るだなんて選択肢は、それこそ現実に戻れなくなる危険なオプションだった。
  話は変わるが、柳が死の植物だという話がある。なるほど、人が項垂れている様子そのものじゃないかと、得心がいく。柳が垂れ、風に揺れるのを見て、どこか不吉さを覚える訳がここにあったのだ。

 話をもどそう。
 ならば、枕元に置かなければいいのでは。そう思った僕は、電話をやや遠くに置いて昨夜は寝たのだった。
 そして朝、悪夢に起こされて、布団をバっとはぎ取ると、枕元の牛乳がしぶきをあげて飛び散っていた。正確に言えば布団がコップを飛ばし、その中の牛乳が雨を降らせた。そして、昨夜仕上げていた資料が、タンパク質豊富な白濁液にまみれた。拭ってもベタつく。何より、臭いがひどい。
目は覚めた。
しかし、悪夢だ。
私は石になる。
ジ・アーメン。

2014年12月2日火曜日

親と子と

 親の希望と自分の希望が違って、板挟みになることというのは良くあります。
特に進路決定においてはよく見るシーンです。
  
 ???「心理学部入りたい
 親「入っても職業につながらんだろ」 

という話を聞いたことがあります。
今の私も似たようなもんです。
音楽していたいとか、芸術の制作に携わりたいとか、やりたいことがあるんですよ。
でも、親はやめてくれって言います。
私も親の恩を感じる分、無碍にもできず悩むのです
でも、それを止める親も恨めしく思ったりもします。
 そんな親と自身を分離するための、もっと言えば将来親になった時に、どう接したらいいかを自分なりの考えでまとめてはみました。




 なお、続きは「うさぎドロップ」の解釈へと続く内容です。
続きはコチラ→(http://tu-fu.blogspot.jp/2014/12/blog-post.html)


 私の両親も含め、大体の「親というモノ」は以下に分類されます。
 生物学的な親。つまり、血縁関係のある子どもとその親。
 法律的な親。養子や、戸籍などの行政が親子と認識する関係ということです。
色々な形の親子が存在するわけですが、
それでも、親子が必ず円満かというとそうではありませ
親殺、子殺し最近は割とよくある事件です

そんな全く以て円満じゃない関係の例として、西尾維新の猫物語(黒)で登場キャラクタ、羽川翼がいます。
そして、以下の彼女の言葉は私の根底を流れる一つの思いです
 親が子を愛することは果たすべき義務ではなく気持ちであり、それができないなら(中略)子を持つべきではない

 少し紹介すると、羽川翼というキャラクタは複雑極まりない家族構成を持ちます。
【彼女の血の繋がった父親の所在は不明。母親は羽川を生んですぐに金銭目当てで結婚したが、その後自殺。更にその結婚相手である「父親」は羽川を連れて再婚するも、過労死。そしてまた「母親」は再婚をし、そこでようやく名字が「羽川」となる。ここまでで羽川はまだ3歳にもなっていない。(http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%BE%BD%E5%B7%9D%E7%BF%BC)】
 一切の血のつながりの無い家族の中で育ち、そんな環境で育った者として西尾維新は彼女を描きました。
彼女の言葉が上の言葉であります。
羽川は、何もわからない頃から大人の義務感で家庭とも言えない家庭に入り込んでいた子でした。
いっそ、彼女は施設にでもいた方が良かったのかもしれません。

 まぁ、羽川への言及をする場ではないので、詳しいことは割愛しますが、そうすれば彼女の苦悩や苦しみは幾分か和らいだのかもしれません。
 そこには「気持ち」があったかもしれないですから。
 そんな羽川翼の言葉を借り、少なくとも私が学んだことは、
 子も一人の独立した存在であるということです。
つまり、個人であり、意思を持った人間だということです。
 
「子どもにそんなこと言ったってわかるわけないでしょう」

 よくこういうセリフや、その意図を違う形で耳にしますが、決してそうではないと思います。
 人は、目の前にある事象現象をその人が「楽しい」と感じたから「楽しい」として認識します。
「悲しい」と感じたから「悲しい」と認識するのです。
小さい頃、飼っていたペットが死んだりします。何故だか知らないけれど泣いてしまったり、モヤモヤするものが心に残ります。
これは、本能的に「悲しい」ということを感じているということです。
ただ、「悲しい」という言葉や概念を知っているかは別問題です。
悲しいを感じることはできる、けれど、悲しいと認識することはできない。
意志や意識はあるけれど、概念としては馴染んでないということです。
 だから、同じように「子どもに言っても分からないこと」として言われた馬鹿にしたような言葉でも、概念は分からずとも、そこに内在する侮蔑や嫌味といった悪意は感じ取れるのです。
もう一例上げます。
これは友人の話ですが、
前に、学童で働いていた時に、おれが全ての遊びのルールを決めてたら、子供達に、何で○○先生が全部決めちゃうの?って言われたことがある。僕達だって、決めたいんだって。俺はそれでみんなで考えるべきだったよ、ごめんね、って謝った。民主主義だ。その言葉を与えるだけで、こいつらはその概念を理解出来ると思った。理解出来ないのは、言葉であり、概念であって、感じられない訳じゃない。

そして、子供にまつわる悲劇の多くがこの「子どもが独立した一個人である」ことを忘れているがために起きていると思っています。
  例えば、「親の望み通りの人間になる」は一種の悲劇です。
親が子どもの選択肢を潰しているからです。
  しっかりした教育を施し、温かい家庭をくれて、何一つ不自由ない生活をくれた親がいたとします。
そんな親も加齢や仕事を原因に生産能力を低下させ、最終的には自分の力じゃ生きられなくなってくる。そこで、今まで育ててきたのだから、老後は面倒を見てくれると期待して、医者にでも、一流企業にでもいれようとする。
  「自分の叶えられなかった夢を子どもに叶えてもらう」という思いもあるでしょう。
  しかし、その子供にはその子の夢がある。
まぁ、例えば音楽だとしましょう。
その子が、一生音楽をやりたいと、音楽を仕事に生きていたいと願う時期になります。
一方で親は一流企業に行けという。公務員になれとも言うかもしれない。
  それはなりたいものじゃないから当然、子は嫌なわけです。自身の夢を捨てがたい。けれど、ここまで育ててくれた親を無責任に見放すのか。そう思うでしょう。
親からの愛を感じた分だけ、親から与えられたものを認識すればするほど、自分の夢と親への恩返し、どちらをとるか悩むでしょう。
そして、どちらをとっても何かしらの痛みを伴います。
もし、息子が音楽の道を選択したならば、親は「言うことを聞かない子供になった」と失望し、子は「期待に応えられない愚息だ」と罪悪感に苛まれる。
前者をとれば、不良息子のように捉えられ、親不孝のように扱われかねません。
そして、それ故に一般的には「薄情だ」と理解されにくい話であります。
が、親は勝手に子どもを産み、勝手に公務員になれだとか理想を押し付けてきた過ぎません。

“親が子を愛することは果たすべき義務ではなく気持ちであり、それができないなら(中略)子を持つべきではない”

この言葉に戻るなら、親が子に与えてきたのは気持ちであるはずなのです。
義務でも、見返りを求めているわけでもなく、ただ、愛する者との間にできた新しい「か弱い命」を愛おしいと思えるから、多くのモノを与えてきたはずだと思います。
毎日ご飯を作り、時には叱り、時には褒め、おもちゃを買ってあげるとか、旅行に連れて行ってあげるなど、多くのリソースを割いてきたはずです。
そして、どうしてそういったものを与えてきたかと言えば、「こどもの幸せ」 の為だったはずでしょう。
それが親の愛の具体的な根源なのではないでしょうか。
 逆説的に言えば、 「気持ち」があるから親であるということも言えると思います。
誰よりも「子」であり「個」の幸せを願う、のであれば、それは親のやっていることそのものです。
 命題 「親ならば子に気持ちを与えるはず」の対偶は「気持ちを与えられないなら親じゃない」という、羽川翼的な答えになります。
  そして私は、そうあるべきだと感じます。

  だから、上の例「親の望み通り子になる」場合、子は自身の幸せを最優先して選択していいのでは、と思います。
  バッサリいきましょう。親は親のやりたいことを実行してきただけに過ぎず、ならば、私も私のやりたいことを実行すればいいにすぎません。
 ドライにも思われるかもしれませんが、親が子を思うならば、子の意志を尊重し自由を選ばせてあげるべきだと思います。

 子どもの幸せを願う、親の愛。

 その気持ちに甘え、自身の夢と幸せを優先する。
これは我儘でしょうか?

 それをどう考えるかはお任せいたします。
ただ私は、子は自身の幸せをとって良いと思います。
少なくとも、悪いことではありません。
苦しい道だとしても、その道を貫いて、「貧乏でも私は幸せだ」と満面の笑顔で伝えることこそ、
「こんな幸せな選択をさせてくれて、ありがとう」と言えることこそ、
大切なんじゃないかと思うのです。
  ただ一つ、親も同じく「独立した一個人である」ということは忘れてはなりません。
親も全知全能ではなく、1人の人間です。
例えば安定した職に就いて欲しい、というのも親の気持ちであるので、それも尊重されるべきではありましょう。

  

 以上を踏まえて、うさぎドロップの結末について書きたいと思います。
 続きはコチラで(http://tu-fu.blogspot.jp/2014/12/blog-post.html)

うさぎドロップ再々考

 
  以前の記事(http://tu-fu.blogspot.jp/2014/12/blog-post_2.html)を踏まえ、
大好きなアニメ、漫画である「うさぎドロップ」の最終回について書きたいと思います。  
芦田真菜ちゃんで映画化もされたので、そちらは黒歴史だとして、
原作コミックでは、そのりんちゃんと大吉が20になって結婚(?)しちゃうのです。
原作未読組はビックリですね。
  子育て漫画から急に近親相姦ものかよ、と納得しない方も多かったと思います。
が、個人的な見解を述べるならば、やはりそうなっても良いと思うのです。
僕は何も近親相姦を容認しろと言いたいのでも、否定したいわけでもないのでご了承ください。
 (まぁ血は繋がってないので、そんな捉え方する人もいないと思いますが。)


一度、前記事の内容をまとめるならば、

 ・「子ども」も一個人であり、独立した存在であること。

 ・「気持ちがあるから親である」

ということを主に言及しました。

 それを踏まえて、私がリンと大吉の結末を容認できるのは、

①親子といえども、その関係は一個人と個人であること

②「親の愛」は年齢性別関係なく「受け渡しされるもの」であること

③「親の愛」も「気持ち」であり、「気持ち」とは即ち愛であること

ならば、リンと大吉は結ばれても良いのではと思うのです。





 親は子を選べません。当然、子も親を選べません。

故に、親と子は、偶然にも同居することになった大人と子なのだと思います。

たまたま一緒に住むことになった人でしかありません。

子の、個人としての独立性を考えるなら、そうであるはずです。

そこに法律的な親子関係と、生物学的な親子関係が存在しているだけにすぎません。

こんな兄弟嫌だ、とか、こんな両親嫌だとか良く聞くセリフですね。

それは当然、個人と個人であるから、人の好き好きというものがあるからでしょう。

だから、不和も諍いも起こってしまうものだと思います。

 うさぎドロップの大吉とリンの関係もそうした文字通り「偶然に同居することとなった個人と個人」だと思います。

そして、リンの生母である正子にとっては、たまたま家族となることになってしまったリンという個人との関係を家族(生物学的・法律的な関係)という形にしなかった、というだけに過ぎないのかもしれません。

 (大人として責任はまた別で追求すべきではありますが)

そうして家族となったリンと大吉ですが、「親みたいなもん」として、リンと日々を過ごしていきます。

その日々の中で大吉があげたのは「親の愛」そのものだったと思います。



 ここで「親の愛」をとりあえず定義しなければなりません。

  これに関しては様々な意見があるでしょうが、個人的な見解を述べるならば、

「無条件の愛」「先天的な愛」とでもしましょう。

より具体的に言えば、「拒絶されないこと」「何の努力もしないで得られた愛」であると考えます。 やや極端かもしれませんが、そういうことだと思います。

何故なら、人と交わる手段であるコミュニケーションを、最初に受け取るのが親というモノであるはずだからです。

 人が人と交わる手段である会話、つまりコミュニケーションはキャッチボールだと言います。

しかし、ボールを返さなかったり、サッカーボールを投げ返してくる人とはキャッチボールはできません。したくない、に近いでしょう。

幼少期というのは、キャッチボールを知らない時期であり、

受け取ることもままならず、真っ直ぐに返すこともままならない状態であります。

そんな時期の、子どもが不格好ながら投げたボールを拒否しない。

その投げたボールに、同じボールで反応する。

それを最初にするのが親の役割な場合が多いはずです。

 そして、そうしたキャッチボールができるのは「無条件の愛」があるからだと思います。



 そうした「親の愛」は親子関係にのみ成立するものではありません。

老若男女問わず、そうした「親の愛の受け渡し」は行うことができますし、行われています。

腐れ縁とか、面倒とか思いつつも構ってしまったり世話を焼いたりしてしまう関係があるでしょう。

どんなに性格が悪いと思われる人がいたとしても、誰かしら友達がいたりするでしょう。

どんなに面倒臭い、と思われている人でも大切な人がいたり、いてくれたりするものです。

 こいつと関わっていても何も良いことないのに、どうしてか一緒にいる。

それこそ「無条件の愛」、即ち「親の愛」というものじゃないでしょうか。

単純な損得勘定だけでは割り切れないのが人間です、そして、そういう人は誰かしらいてくれるものです。

 そうした愛を欲している人もいますし、与えられる人もいます。それが結ばれて恋人同士になったりするのだと思うのです。



 ここで、もう一度、「親と子をつなぐもの」とは何か?考えましょう。

言い換えるならば、親である条件とは何か、です。

 それは「気持ち」であり「愛」があることがその条件だと私は思います。

羽川翼の言葉を借りるなら、気持ちがないならそもそも子を産むべきではなく、気持ちが無くては「親子」は成立しません。

  なら、「一人の男と一人の女が繋ぐもの」は何でしょうか?

それもやはり、「気持ち」であり、「愛」だと思います。 

  一般的にイメージする「愛」でも、「相手の幸せを願う」というのは同じではないでしょうか。

この人に幸せになって欲しい、この人と一緒にいることが幸せ。

それは、「親の愛」となんらかわりないでしょう。

命題 「気持ちを与えられないなら親じゃない」羽川翼的な答えの対偶は「親ならば子に気持ちを与える」です。

その命題の逆は「親じゃないなら気持ちは与えない」であり、その裏は「気持ちがあるならば親である」となります。

「気持ちがあるならば親である」。その「気持ち」とは即ち「愛」であり、「親の愛」だと私は思います。

故に私にはどの結論も、「真」であると思えるのです。



  リンにとって、一個人として「気持ち」をくれた大吉がいました。

  大吉は親がくれるはずだった「親の愛」をくれた。

  リンも大吉に感謝し、(子としてなのか女としてなのかは言及しませんが)愛し、一緒にいたいと、大吉の幸せを一番に願う気持ちを持ちました。

  

  そうして愛で繋がった2人を、何と呼ぶべきでしょうか。

 

  その答えは、読んでくれている皆さんにお任せしますが、

私は、「親のようなモノ」と「子のようなモノ」である愛で繋がった大吉とリンが、

「男」と「女」として愛で繋がることには何の違和感も覚えないのでした。

  勿論、大吉としてもリンとしても違和感はあるでしょう。

しかしそれでも、それでも良いかな、と思います。

(合法ですし()



「お前にとってはじいさんが唯一、つながってる糸だったんだから」

つながりがあって初めて、俺っていう知らないおっさんとでもなんとか暮らしていけるんだよ」

   

  その大吉の言葉に、「決心のついた」というリンの気持ちもわかる気がするのでした。



  私は恋愛に疎いので、多くの人がこの通りに思うとは思いません。

それでも、一愛読者として、そういうことなんだろうな、と思っていただけると嬉しく思います。

  ただ、やはり良い漫画だなと思わずにはいられないのでした。



  以上です。ここまで読んでくれた方がいましたら、感謝感激です。

  批判やコメント、シェアしてくれると、大変嬉しく思います。





  P.S. でも、親子が離れることになったとしても、教育費は出してくださいね。

  お金を稼ぐ能力の無い人に、つまり子に、 できないことを強いるのは傲慢でもなんでもないですから。

  それは相手が大人でも同じことでしょう?