2015年1月27日火曜日

前日談


 僕らクラフツが現れたのは、世界が崩壊してからだった。「沈黙の日」と呼ばれるあの日、全ての人間が従来の聴力を失ったあの日から、僕らクラフツは生まれ出てきた。
 創造者、あるいは破壊王と讃えられ、忌まれもした最初のクラフツ、ムジーク・バンデルバールはその傲慢さ故に、世界から「聞く」を奪ったのだった。
 原因は暴走する承認欲求の果てだと言われている。
 最初のクラフツであり始祖のマイスターを持つ者として自身の能力を知りながらも、彼は全くその力を評価されなかった。
 彼の綴った、詩にすらなってもいなかった歌「空白」に、彼がどうしてそうなったかがおぼろげながら書かれている。
 彼はその力を授かった時には歓喜の歌を詠い、多くの人に披露したそうだ。決して自慢でもなく、ただ純粋に、彼の中で流れる歌を人々に聞いてもらいたかった。世界はこんなにも美しいのだと、幸福で満ち溢れてると。楽器を問わず、有無さえ問わず、彼はマイスターと共に奏で続けた。
 けれど、その能力を人々は畏怖した。お化けと言われ、魔女とも言われ、悪魔とも言われた。その偏見的な謂れようは、彼が片田舎に住んでいたせいもあるだろう。酷く閉鎖的で貧しい村で、誰も彼の音を認めなかった。聞きもしなかった。
 居場所を失った彼は次第に狂っていく。血の通った自信は枯れ果てて、華々しくも開いた才能は種にもならずに腐っていった。一日を部屋の中ですごすようになり、ごくつぶしと言われ、親からも捨てられた。雑音と罵られ、村からも追い出された。友人は離れ、見知らぬ人さえも近寄らなくなった。
 次第に、彼の音楽は憎しみで満ちたという。粗雑な強拍と臆病な弱拍、躁鬱のような緩急と、音にも漏れ出す我執。そして、憎悪の塊のような暗黒の調和と陳腐な旋律。今やそうした音楽だけがレコードに残り、ムジークの遺作となっている。その狂気に魅入られた者もいるが、カルト的なものでしかなく、決して多くの人が聞くものでもない。瘴気とも猟奇ともいえる精神に「あてられる」から。
 そうした音楽ばかりを吸った彼のマイスターは、際限なく成長していった。その力は膨大になりすぎ、制御が効かなくなった。ムジークがねぐらにしていた場所に近寄った者はその場で死を迎えて行った。彼を罵った者は原因不明の病や事故で亡くなった。村には奇病が流行り、多くが死んだ。彼の周囲には憎悪が溢れた。そのニュースは世界的に流れていたので、僕はよく覚えている。「死の村」とテロップが流れ、どこの局も特番のように報道していたから。戦場かと思えるほどに写真でしか報じられなくて、報道のキャスター達は立ち入り禁止の黄黒のテープが張り巡らされた森の中で具合悪そうに喋っていた。バラエティの為の霊能者を連れて行くと、進入禁止区域の近くで死んだという噂も流ていた。
 そして、その数日後だったと思う。世界は「沈黙の月」を迎えた。
 

    -----------------喪失の朝----------------------
  突然世界から音が消失した。本当に突然だった。
 それは朝の9時少しだった。部屋の中で音楽を聞いていたら、何も音がしなくなった。「おかしいな」と独り言を呟いたはずなのに、喉は震えているのに、声が聞こえなかった。ソファがきしむ音もしなかった。外で走る車の音もしない。膝を叩いても、痛むだけ。手を何度も叩いても痺れただけ。
 完全に音が、世界から消失していた。
 自体を把握するために急いでテレビをつけると、生放送の現場が混乱していた。コメンテーターが喉を抑え、司会者はカメラに何かを手振りで示している。数十秒もしないうちに、コマーシャルがながれたが、やはり音はしなかった。
 僕はできることもなく、部屋の中でインターネットを眺めていた。あちこちでタイムラインは猛烈な速さで流れていく。事故の報せ、休業の報せ、交通の麻痺。世界の混乱と個人の狼狽。そして、聾者のツイートが何度もシェアされていた。
 「まず、動かないこと」
 僕はタイムラインを眺め続けた。
 気が付けば夜になっている。赤い光が窓の外に何度も輝いていた、しかし、その音すら聞こえなかった。
 テレビでは各局が同じ模様を写していた。首相の写真と文字だらけの画面。上端では「非常事態宣言」の文字。壇上でできることもない首相は、おそらくこういう手法を取ったのだろう。全てにルビがついた文字がゆっくり流れていき、あまりの遅さにストレスがたまった。ただ、お年寄りや、子どもにはこのペースが適しているのかもしれない。文字を読めない子はどうだろう。そんな思いで、事態の収束を待て、という公式発表を見ていた。
 音がなく、誰とも関われなくなった世界の夜、全ての人が眠りについたと思う。街から全ての灯りが消えた。

 翌朝、ネット上では多くの残虐な事件と破壊が報じられた。危険を察知する能力の失せた人々は、人々によって恐怖により衰退していくことになる。
 
 
 
 
 

2015年1月26日月曜日

ミューズの聖域にて


 「てめぇがキサを殺したも同然なんだ!」
 客席の中段から発した、アキの怒号がホールに響く。それでもステージの上のアビーは顔色一つ変えない。さも私は然るべきことをしたという顔だった。
 「僕がキサを殺した?それは違う。能力のない僕が一体どうやってキサを助けられたというんだ。買いかぶりはよしてくれ。」
 静まりきったホールは全ての音を響かせた。舌打ちの音さえも、アキがホルダーからタクトを抜く音さえも。
 陽炎で歪んだような東雲色のイントレが、ガガガガという激しい金属の衝突音を伴ってアキの背後で築かれた。イントレの完成と共に縦横2メートル四方に灯る16のリヒトが配され、鈍いスイッチ音と共に青白く光り出す。アキはその光を背にしてタクトを天に向けていた。
 後光のように輝くその照明の中から霧のように現れたマイスターの産声が、不協和音と共にホールを震わせた。言葉を持たないマイスターの空虚な叫びが、無人の会場の此処彼処に刺さる。そして、見えるモノには見えるその姿が、幽霊のように淡く輝き、アキの傍らに現れた。
 アキが天を指していた腕を振り下ろすと、アキのマイスター、クロードの槍がホールの空気を切り裂いた。
 「てめぇはキサを救えたんだ!貴様には能力があるだろう!」
 実体を持たないその矛先は、アビーの鼻先で止まった。3秒にも満たない間のできごとだった。剣の残滓の風圧に舞う、アビーの長髪。目と鼻の先の刃は、命を奪う凶器だと知っている。それでも狂気のアキとは対照的に、アビーは顔色を変えず、何かを願いながらゆっくりと目を閉じ、緩やかに反駁する。
 「僕に能力があるといっても、僕は直接彼らと戦う術を持っているわけではない。力はある。だが、それは剣を取るための力ではない。家族が、友が、そして自分が。誰かの刃に切られぬよう、剣を取るか取らないかを決める力だ。そして、その剣を振るうのは僕ではなく、僕以外の人間だ。僕が持っているのはそういう能力だと知っているだろう。」
 その冷静さはアキの神経を逆撫でした。人の命を軽視するかのようなその態度が、正義を貫かぬ不遜さが気に食わない。今は目を開いてこちらを見据えるその顔は、まるで独裁者のようにさえ見える。
 身体を捩り、槍でアビーの左手を薙ぎ払うクロード。槍は腕をすり抜けた。血も出ることはない。何事もアビーの身体には起きていない。何をも損壊せず、破壊しない。しかし、激痛はアビーの一瞬のうめき声を引き出した。
 マイスターの一振りは切ることなく身体を斬る。アビーはまるで片腕をもがれた様な気分だった。左利きの彼にとって、左腕を、頁を捲るその手を逸したことは痛手だ。
 「お前には痛くもなんともないだろう、アビー。お前様には。」
 アキは皮肉と慈愛を込めた声で問うた。タクトを持った腕を後ろに払い、クロードを数歩下がらせる。
 「まぁ、いい太刀筋なんじゃないでしょうか」 
 笑顔で、あるいは神妙な顔でアビーは応えた。切り落とされた腕の痛みに耐えながらも、弱みは見せなかった。
 そのセリフは聞き飽きたと言わんばかりにアキは壇上のアビーを見下ろし、鼻をならす。
 「だが、キサはもっと苦しんだ。」
 静かに語気を強め、ステージの上方に視線を向ける。ステージ裏に当たる二階席の両脇には、胸元で両手を握る天使の像。その中央に坐するパイプオルガンは、張り巡らされた管を集める鋼鉄の化け物の心臓のようだった。
 「あの機械人間と関わりを持ったばかりに、あんなことに…。怖かっただろう、痛かっただろう、キサ。」
 涙ぐむように独り言をつぶやくアキと、居た堪れない面持ちのアビー。アビーはやるかたなく、アキに背を向けた。
 「だが、お前はそんなキサを見殺しにした。助けられたモノを見殺しにしたんだ。」
 ランタービレ。腕をだらりとさげ、悲しげにアキは言った。
 「あぁ、そうだキサはクソみたいな貴様のせいで死んだんだ。わかるかクソ野郎!お前がキサを殺したんだ!」
 フェローチェ。荒々しく。罵声が飛ぶ。
 「だいたい、なんでお前があの本を持っているんだ。どうしてお前が本の持ち主に選ばれたんだ。お前なんかが選ばれていいわけがないだろう。悪逆非道な、人間味のないお前が…」
 メノ・モッソ。それまでよりは遅く。つらつらと愚痴にも似た思いが垂れ流される。
「だから」
 リンフォンツァンド。急に強く。
 「キサの代わりにお前が死ね!」
 烈火のごときコン・フォーコ。滲み出した怒りが再び決壊し、アキの咆哮が放たれる。
 「スティッシモ!」
 号令と共に瞬時に槍を構え、突進するクロード。その勢いでつむじ風が生まれ、微細な埃がリヒトの光を浴びて輝く。並ぶ席上を飛ぶクロードの軌跡は、薄暗いホールで箒星のようにアビーへ向かっていく。
 
 「テンポ・ジュスト」
 アビーの小さな一声が漏れると、クロードはアビーの2歩ほど前でピタリと静止した。まるで時間が止まったかのように、アビーの心臓に槍を突き立てようとする姿勢のまま、宙に留まっている。撫でるようなそよ風が、アビーに吹く。
クロードの切先には、アビーのマイスター、ヨハンがいた。柔和に笑い目を閉じて、柔らかく右手を矛に翳して、クロードを制止させていた。
アビーがタクトを持つ手を上げる。それと同時に客席の椅子が一斉に開く音。石膏でできたみたいな白い霊体がいつの間にか全ての客席を埋めていた。無表情な観客たちは、弥勒菩薩が纏うような袈裟を着て、微動だにしない。その姿は、全てを悟った、それこそまさしく菩薩のようだった。何の関心もなく、何の表情もない。全ては当然の帰結を迎え、全ては自然へ帰る。そのすべてを知っているような観客ばかりだ。あまりにも淡々としているそれら一体一体の石膏像は、その白い顔をクロードに向けた。
「ユニゾン」
 アビーの一声とタクトの一振りで、2000席の大観衆が弓を構えた。バタッという席が畳まれる音で会場は一つになる。
「戻れクロ------------
 金属音と共にスポットライトがクロードを照らす。
「イナクティーレ(鋭く)」
 タクトが俊敏に空気を切り裂くと同時に、驟雨のような矢の喝采が起き始めた。風切り音鳴り止まぬ会場内。沸き立つ客席。2000もの淡い光の矢が、一条の光となって壇上へ向かっていく。その軌跡は薄暗い会場内に光の扇を描いていた。
 半狂乱でタクトを振るアビーの背中には、狂気の中に燻る悲しみが滲み出ている。鋭い切れ味の高音が胸をせめぎ立て、渦巻く苦悩が重々しく腸に滲みる。短調の旋律を支えるふくよかな長調の和音。その中低音の温かさだけが、唯一の希望のように淡く光をともしていた。
 これは懺悔の歌。またはレクイエム。何もできない代わりに、アビーは思いのままにタクトを振る。伝わらないかもしれない思いを乗せて、声なき声を吐き続ける。悲しみと、この世の不条理さと、罪悪感の音がする。
 そのアビーを背にしたヨハンはゆったりと構え、クロードを眺め続ける。幾千もの矢が刺さり続けるクロードを見る。ピアノの鍵盤の上に体を投げたようなクロードの悲鳴が何度も会場に木霊する。嘆きと、悔しさと、憤怒がクロードの調和だった。彼と、アキにとっての調和だった。それを感じるヨハンは、物憂げな目で、クロードの戦慄を聞くのだった。雑音でしかないその断末魔の一音すら受け止めるよう、感覚器官の全てを自由にした。
 矢の雨はは未だに止まない。雨の降らぬ室内でずぶ濡れになりながら、アビーのタクトは舞い続けた。汗のような水滴が飛び散る。いつまで続くのだろうかという疑念さえ浮かぶ、矢の雨だった。クロードは徐々に姿を保てなくなり、最早人の形もしていない。矢じりに削られ続けて、人魂のように宙に浮いている。
 光線の一つが消え、また一つが消え始めると、急速に光は勢いを失っていった。放射状に広がっていた光矢の軌跡は畳まれて、すでに最期の一本となっている。
 その一本は、未だに壇上へと向かっている。それも、クロードだった光へ向けてではなく、指揮を執るアビーの下へ。弱く、くすんだ色の光子の矢は、アビーに届くことなく消滅している。それが分かってても弓を引くことを辞めない、1人のオーディエンス。無邪気で、無思慮で、感情だけが先行したその一矢を、意地だけで放っている。
 アビーを守るヨハンは溜息をついた。悲哀に満ちた目線を向けると、それは一瞬にして消え去った。
 踊り続けていたタクトは、振り子が止まるかのように速度を落とし続け、終には完全に止まった。終演、そして静寂。一息共にアビーがゆっくり後ろを振り返ると、ホールには誰もいなかった。彼のマイスター、ヨハンだけは壇上でクロードの残り火をかき集めていた。
 アキの姿もなかった。また、逃げたようだった。悔しさと苦々しさが綯交ぜになる。
 それでも、そんな空虚な空間に向かって、アビーはゆっくりと一礼した。今は霧散したヨハンをねぎらいながら、亡きキサを思いながら。
 ホールに静寂が舞い降りて、万遍ない暖色の光が木の温かさを飾る。音を吸ったホールの木々は艶やかに見えた。視界は明るい。ここは素敵な場所だ。
 全てが終わったようだった。けれども、余韻はいつまでも頭に残り続けている。
 漂う音色をかき集め、興奮の記憶をつむごうとする。しかし、掴むことは叶わなかった。
 壇上から降りて、扉に向かいながら、アビーはつぶやく。
 「アキ、君は現実を見なきゃならない、冷静にならなきゃならない。今、君たちを射たのは僕の意志ではない、人々の総意だ。」
 誰に向けるでもなく喋り始めた。
 「君の気持ちもわかる。僕はキサを助けたかった。けれど、それが意味するところは人々の不幸だ。僕にどちらかを選べというなら、僕には多くの人を守らなくてはならない義務がある。だから、見殺しにした。その汚名は受けよう。僕に力がないばかりに、見殺しにしたんだ。」
 一瞬の感情の高ぶりを呑み込みんだ後、再び平静に語る。
 「だが、感情ばかりの音に、美しさは生まれないよ。論理と心理と、その二つが伴って音楽は生まれるんだ。感情だけの音楽は、最早快楽だ。かつて忌み嫌いもした、快楽だ。」
 「僕らの音楽はそうなってはならない。それができるからこそ、僕らはクラフツとして生かされている。」
 「正義は美しさと同様に、それぞれが感じるものだよ。過度な正義は人を苦しめる、そしてそのうちに正義さえも見失う。」
 「だから願わくば、僕は全ての人に美しいと思ってくれるモノを届けたい。それが人の理想を繋ぐなら、僕は世界を救えるかもしれない。ヨハンと共に。」
 唾を飲み込む音さえも響きそうなくらい、ホールは沈黙していた。
 「さようなら、クロード。転生した君が、愛あるクラフツの下に幸福を奏でられんことを。」
 「さようなら、キサ。無力だった僕を許してくれ、多くを背負わなければならない僕を恨んでくれ。」
 「また会おう、アキ。いつの日か君に届く音を作れるよう、僕は向かい続けるよ。同じ景色を、それぞれの目で感じられるようになるまで。」
 「------------------クラフツ、アビー・ハートは誓う。」
 

2015年1月24日土曜日

蟀谷


 谷底は真っ暗だった。脈打つように凹凸を作りながら、流れ、うねる黒い川のようなものが、肉の崖の間を流れていた。その闇の奔流のせいで、谷間は奈落みたいで、闇の入り口みたいだった。黒く大きな口を開けていて、呑みこまれそうになる。闇は全ての光を飲み込んでいて、深さも分からない。深いのか浅いのか定かではない。だからこそ、吸い込まれそうだった。
 足元の崖はブニブニと柔らかく、見渡せば粘液みたいなものが辺り一面に張っている。私の足も粘液で浸され、崖に少し沈みこむ。温かく柔らかい、それ故に気持ち悪かった。今は昔にしたキスの、彼の口腔内を思わせた。あの湿り気、柔らかさ。べったりと足を包み込んでいた。
 遠くは見えないけれど、白い物も浮かんでいる。あれは雲なのだろうか。それにしては硬質そうだ。
 谷から音がしているのに、はじめたのに気付いた。ゴキュゴキュ。木の衣擦れみたいな音。ガリガリ。石と石が削り合う音。パコパコ。うたかたの点滅音。その音はどんどん大きくなっていく。ゴキュゴキュガリガリパコパコ。地鳴りのように響いてる。音は膨らみ続け、耳を塞ぐらい大きくなった。音の大きさと共に、谷底の闇がせり上がってくるらしかった。岸壁が徐々に消えていく。その勢いは不気味なくらい速かった。そして、氾濫した。
 谷から黒いモノがあふれ出して、目の前で火山のように噴火もした。黒い数々は天まで届く柱を作り、黒い数々を飛び散らせた。重力に負けて落ちた黒いモノが、雨のように降り注ぐ。水たまりのような黒い穴があちこちに出来ていく。谷からゆったりと溢れた黒いモノが、肉の大地を浸食する。
 ゴキュゴキュガリガリパコパコ。音は止まない。
 辺り一面を黒く染めていき、とうとう私の足元まで闇が迫ってきた。
 轟音は全身に響いていく。私は何故だか動くこともなく、その黒い川の氾濫を見ていた。見えているモノ全てが闇に染まっていく。私の脚も闇に呑まれた。冷たい何かに体が食べられていく。手も無くす。腹も闇に呑まれ、私は顔だけになっていく。とうとう目は光を失った。前後不覚、天地無用。
 真っ暗闇の中、ただ轟音だけがするのだった。ガリガリゴキュゴキュパコパコ。
 
 我を忘れて叫ぶと、目が見えていた。視界は黒くない大量の汗が冷たい。それを吸ったパジャマが見える。布団は床に落ち、レースの隙間から光がさしている。またこの夢だった。
 私の頭の中には虫が住んでいて、時折暴れ出す。だいたい三か月に一回くらい。痛むのはちょうどコメカミのあたり。英語で言えばテンプル。お寺と一緒。龍に拐れた男が言っていた言葉で、よく覚えている。
 今朝の夢もそのせいだった。虫がうずき始めると、顎関節の繋ぎ目にカブトムシの殻が入ったように鈍い痛みが続く。耳の中にゼリーワームが入り込んでその軟らかい関節を鳴らしているような音もする。それくらい気持ち悪い痛みと音が、私を襲うのだった。 
 その痛みはだいたい三日くらい続く。そして、ちょうど6時間ごとくらいに、痛みだすのだ。寝てる時に起きると、だいたい悪夢にうなされる。だから、その三日はまともに寝れることはほぼ無い。
 但し、治療すれば治るのだ。
 しかし、治療と言っても割とハード。蚊取り線香を麺棒で叩いて小さくし、すり鉢で粉々にした粉末を50mlの水で溶かして、それを全て鼻から飲む。鼻から、である。初めてやったときは本当に辛かった。蚊取り線香の臭いは大してしないのだけれど、とにかく溺れる。息ができなくて、地上で窒息しそうになるのだ。まるで、陸に上がった魚みたい。
 たかが50mlされど50mlで、肺に入ると死にかねないと言われて、一度は喉奥で水を溜め、その後に飲み込むようにやるなければならない。磨り潰しが甘いと、鼻の奥やのどの奥で刺さる。そして、鼻に水が入るのは、どうしたって痛いのだ。
 その治し方を教えてくれたのはおばあちゃんだった。初めてそれを教わった時はよく覚えている。おばあちゃんに顎を腕でロックされ、鼻に漏斗を刺されて飲んだのだ。ひいひい言いながら飲んだその時は、おばあちゃん子の私でも恨んだ。しかも中々に力が強い。皮膚は緩んでいるにかかわらず、骨ばった腕は音を立てそうなほど強かった。一方で、脆くもあり、力を込める度に些か震えているようにも感じた。
 どちらにせよ逆らえなかったのだ。無理やり飲ませようと、治そうとする強い意志と、鬼気迫るような表情を浮かべていたおばあちゃんの顔は忘れられない。おばあちゃんの骨が今でも頬に食い込んでいる気がするくらい、鮮烈な記憶なのだ。
 とにかく、祖母との戦いの末に、斯くして摂取したところ、病は半日間治ったのだった。飲み込んでから30秒ほどして、一瞬で治った。おばあちゃんもそうして治すんだと、ひいひいおばあちゃんから教わったらしい。おばあちゃんも、ひいひいおばあちゃんも、ひいひいひいひいおばあちゃんも、そうして治したらしい。皆、私と同じように20歳前後で発症したのだとか。科学的には解明されておらず、医者にも治せない。治療も対処療法的にしか効かない。そんな病気なのだという。
 それ以来、発病した際は、毎回この治療を行っている。
 私ももう発症して何年目かになるけれど、病魔の三日が始まるとひどく憂鬱になる。6時間ごとの治療。会議中なんかだと最悪だ。鼻飲みも慣れない。それで未だに溺れるのも嫌。発現期間になると漏斗を持ち歩かなきゃならないのも嫌。あの音と痛みは、もっと嫌だ。ゴキュゴキュ、ガリガリ、パコパコ。耳の奥でそんな音が鳴っている。発病する度に、なんでこんな思いをせねばならないのかといつも思う。
 この奇病のせいで、御花見も、花火大会も、京都旅行も満足に楽しめなかった気がする。ちょうどどれも薬が切れる時間帯で山場を迎えていた。御花見の時は一発芸を強要されて、皆の前に出た時に。花火大会では当時の彼氏と良いムードだったときに。京都に紅葉狩りへ行ったときは、料亭の天ぷらが出てくる直前に。遅めのスキー旅行の時は皆とお風呂の時に。其々、薬は切れたのだった。ゲロ子とあだ名がついた時もあったし、彼と別れる要因の一つにもなったし、天ぷらも揚げたてを食べれなかったし、風呂はまあ特にいいか。とにかく良いことなどないのである。
 今日も今日とて、合コンを断った。酒を飲みながらあの症状が出ると、ラリッたようになる。頭はかゆくなるし、五月蠅さが半端じゃない。だから叫び散らし、当り散らす。本当にどうしようもなくなってしまうのだ。自分が精神異常者なのではと思うほどだった。そして、そういった奇行が件の彼と別れた最大の原因だった。
 仕事終え、帰宅して時計を見ると8時半ころだった。コートを脱ぎ、鞄を放り投げ、真っ直ぐベッドに倒れ込む。何故だか今日はどっと疲れた。風呂も入らずに寝てしまいたいぐらいに眠たい。けれど、やや汗ばんだ服が気持ち悪い。メイクも落とし、コンタクトも外さなくては。お腹も減っている。
 ベッドから起き上がり台所へ行く。水に浸しておいたスパゲッティを茹で、食べる。ミートソースのパウチを開ける。食後にコーヒーを飲み、人息つく。歯を磨く。風呂に入る。
 風呂を出ると痛みが発現した。痛みにあ意味のない舌打ちを投げて、洗面所へ行く。投薬の時間だ。これをしないと、またあの夢にうなされかねない。苦々しくも、痛々しくも私は天井を見つめ、鼻に漏斗を刺し、そこから砕いた線香入りの水を流し込んだ。
 嗚咽がする、息ができない。鼻孔の奥が焼かれたように痛い。鼻の痛みで頭が酸欠状態のように苦しかった。
 他人には聞こえない、ゴクリという音が耳になる。
 辛い時間は過ぎ去った。少ししてから、鳴っていた痛みも音も消えた。鼻の痛みは濃く残っているものの、あの病に比べれば「ただの痛み」に過ぎなかった。
 いつもの支度を終わらせて、私は早々に寝ることにした。時刻は22時とちょっと。少し早いが、眠るとしよう。悪夢にうなされぬよう、ささやかに天にいるだろう神様に祈り、私は目を閉じた。
 肉感の崖、粘液の湿地。眼下には闇を湛えた谷底があった。光も何もかも飲み込む川。水の音はしないが、代わりにゴキュゴキュガリガリパコパコという音がする。木の衣擦れ、石のすれ違い、気泡の点滅。そんなような音だった。この光景にはどこかで見覚えがあるけれど、どこだか思い出せない。兎に角私はここに立っている。ならば、ここはどこだろう。
 もう一度谷に目をやる。肉の谷間を縫って黒い川は流れている。奈落だけが谷底にあった。他には何もない。時々、黒点が飛び散っているように見える。やはり川みたいだった。けれど、どっちに向かって流れているかもわからない。ただ黒い光が、眼下で蠢いている。
 ゴキュゴキュガリガリパコパコ。
 突然大きな音が後ろから聞こえた。振り向くと、いつの間にか後ろに川が流れていた。谷底にあるような、あの黒い川が。ゴキュゴキュガリガリパコパコ。
 あの黒い流れを初めて近くで見た。そして、だからこそわかったのだけれど、それは無数の虫の群れだった。スカラベみたいな、ゴキブリみたいな丸い虫。ミミズかムカデみたいな長い虫。その外皮はどれも光を一切反射しない漆黒だった。其々に足があるのかも分からないほどに、黒々していた。そんな黒い生き物たちが、ひしめき合い、もみ合いながら、蠢いていたのだ。
 粘液の湿地を行軍する虫たち。隙間という隙間も埋め尽くされ、虫の上を蟲が這う。微細な音であるはずの関節の稼働音。殻と殻の衝突音。かき回されて泡立った粘液の破裂音。それらが川となって、轟音のせせらぎとなっていたのだった。
 虫たちの漆黒が一筆、肉の大地に滲見流れる中でただ一つ、他とは様子の違う箇所があった。黒い球体の塊がいたのだ。その高さは私の背丈ほど。ボールが空き地に転がっているかのように、そこに黒い塊はいた。
 いた、というのは変な言い回しかもしれないが、ビクビクと動いていたから、生きているのだと思う。だから、そこにいるという方が適当だった。心臓の鼓動ほどの速さで、その球体は自身の部分を素早く盛り上がらせていた。それはまるで胎児が母体のお腹を蹴るようにも見えた。そしてその動きの度に、虫たちは飛び散っていった。闇の塊から、黒いしぶきが上がっている。どうやら、何かが中にいて、その周りを虫たちが覆っているようだった。虫たちはそれを隙間なく、黒く染めていた。
 塊は次第に動きを鈍くしていった。黒飛沫は力なく飛び散るようになり、脈動も不規則でまばらになっていった。終には数秒に1回の周期で微動し、そのまま次の鼓動を鳴らすことなく静止した。
 動かなくなった塊に飽きたのか、覆っていた虫たちも散り散りになっていく。おそらく、塊は死んだのだろう。虫たちが塊から剥がれ落ちていく。その隙間からは淡い桃色の表面が見えている。虫たちの衣が完全に消える頃には、塊は組織の塊になっていた。およそ肉とも言い難い軟らかな肉塊がは、ポリープと言えばいいのだろうか、腫瘍と言えばいいのだろうか。かつて見たことあるようなその不自然な膨らみは、粘液も纏わずに、血が渇いたように色あせている。そして、いつのまにか虫の流れに乗って動き始めていた。めんどくさそうに、力なく、その肉塊は動き出した。
 私の背後を流れる黒虫の川は、数メートル先で谷に注いでいた。肉塊はその上を、どんぶらこ、どんぶらこと流れている。終には崖から、黒い滝と共に落ちて行った。そして、塊は消え去った。
 谷の底も、あの黒い虫たちが暗闇を作っているんだろう。時折、闇が噴き出ているのは、もしかしたらあの肉塊が川をせき止めているからなのかもしれない。それを食らっているのだろう。
 虫たちが率いる闇の谷。
 ゴキュゴキュ。関節の軋む音がする。
 ガリガリ。微細な咀嚼音、または殻が肉を擦れる音がする。
 パコパコ。粘液が跳ね、無数の泡沫を作りだし、その一つ一つが壊れていく。
  しかし、その音は次第に弱まっていった。心の足か、谷底の闇も薄らいできたような気がする。遠くの谷底は最早干上がっていた。肉の川底が完全に露出していた。虫たちは退去を始めていた。そのスピードは川の流れよりも早く、眼下の谷底も、もはや黒い点を残すのみとなっている。
 あたり一面の肉の大地。組織のクレバス。
 あの音も全くしない。周期的な心臓の鼓動だけが聞こえた。その度に、地面が震えているような気がした。
   ただ、遠くで何かが聞こえる。なんの音だったろうか。鈴の音?にしては攻撃的だ。この音は何だっただろうか。このジリリリという音は。
 次第に音は近づいてくる。視界は変わらないのに、音だけが大きくなっていく。
 
 ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ
   
 目覚まし時計の感触がすると、やっと音は治まった。寝ぼけ眼で見た時刻は朝の9時だった。一瞬、寝坊したと思ったが、今日が土曜日なことに気が付いた。休日なのだ。
 それにしてもしっかり眠れたような気がする。変な夢は見ていた気がしたが、悪夢というほどでもなかった。今も虫たちは騒いでない。まだ、発病から1日目だというのにどこへ行ったのだろう。
 しばらく思案して、こんな時もあるかと結論付けた。
 窓をみれば温かい光が溢れている。外は快晴なようだ。遠くでは犬の吠える音、自転車の軋む音。子供たちの声もする。
 今日は昼間からビールでも飲んでしまおうか。
 目覚めの良い朝は、楽しくて仕方がない。
 
 

2015年1月17日土曜日

空白を埋める


 初めて紹介するけれど、僕には彼女がいる。でも、彼女はかなりのポンコツ。
 挙動不審なところ、センスは常人とかけ離れてる。彼女の言葉はいつも足らず、時々過剰。何が言いたいかも分からない時もままある。多分、全員が全員、彼女の言葉を解さないし、下手をすれば外国語とさえ思うかもしれない。これが所謂コミュニケーション障碍者なのかもしれないといつも思ってしまう。
 けれど、僕はそんな彼女の言わんとすることが何故だかわかる。それはもしかしたら、一緒に過ごした経験の多さなのかもしれないし、俗にいう「ウマ」が合うなのかもしれない。たとえ、それが世界にたった一人だとしても、僕にはわかるのだ。
 ただ一つその要因があるとするならば、僕たちはいつまでも話を辞めないということだ。僕らは一つのトピックであったり、一つの感情、概念そのものにもの膨大な時間をかけて話し合う。それは夢を語っているからでもあるし、自分自身の人生そのものを語っているからかもしれないからだ。僕ら20余年の人生すら、語るには永くて、まとまりはしないのだ。
 それをお互い持ち寄って、40年余の話をしようとしてしまうから、なお話は長くなる。その20余年に散らばった互いの感情や知識、知見を持ち寄って理解し合おうとする。自分を分かって欲しいというエゴと好奇心がせめぎ合いながら、僕らは話すともなく話すのだった。だから、分かり易さの欠片もない。求めたい答えがあるのでもない。分かち合う。ただ、それだけに僕らの対話であるところの会話が収束していく。意味もなく、収斂されていくのだ。その共有こそが幸せだということに、僕ら二人が気付いているから、僕らはそうやって長々話し続けるのだ。明確な答えでなくていい。感じられる幸せを。そう僕ら二人は知りながら、答えを探し続ける。
 その点において、会話という点において、彼女はものすごく不器用だ。だけど、何かを伝えようとしているというのは分かる。それは時には涙として溢れたり、怒りと共に可愛い気な暴力として表れたりするけれど、そのどれもが僕に向けられたものであり、もしかしたら僕に向けられたものである。僕にとっては、そうして伝えようとすることそのものが素敵だった。そして何故だか分からないけれど、そうして伝わった、伝わってしまったその何かに、僕は心惹かれる。その上で、彼女に惹かれていく。
 だから、僕は分かるまで延々と話し続けて、向かい続けて、彼女の孕んでいる感情や思いに触れるのだ。互いの言葉はいつも不十分で全てを言い表せない。表情は不完全で必ずしも感情そのものじゃない。だけどそのどれもが記号でしかなく、彼女に渦巻く感情の一部でしかないのだ。言葉が全てを伝えないし、笑顔が全てを語りもしない。だから、それら一つ一つをヒントに、彼女の言わんとするところを探し、選び、分かり合う。僕にしかできないものだと思いながら、毎日僕らは向き合っていくのだった。これまでも、これからも。
 例えば、彼女が初めて僕に言った「愛してる」というたった54文字でも、体を動かし、言葉にし、表情にする彼女の「愛してる」はこの世界のどんな「愛してる」より、僕は愛されていることを実感できた。そこには僕らが共にした経験と時間とが濃密に凝縮されて、甘美な果実として成った。僕らが育てた樹の、命の実に。一口含んだだけで、嬉しさが湧き、涙が広がる、そんな味だった。
 その一方で、僕の「愛してる」は僕の不満足のまま彼女に伝わっている気がしてならない。色々と趣向を凝らして、明喩も暗喩も含み、過剰も過小も大小も構わずに、感情を吐き出し続けてきた。歌にも、詩にも、絵にも、言葉にも、体にもしてきた。それでも、僕は彼女を愛せている気がしない。彼女が愛されていると感じた気がしないんだ。僕が感じさせてもらった幸せの切れ端すらも表せていない。技術も、想像も、論理も追いつかない。彼女から与えてもらうばかりの僕は、悔しくて仕方がない。
 だから、僕は彼女の言葉を理解しなければならない。たとえ不完全でも、行間を埋めるように彼女の言葉に意味を見る。空白を縮めるために最大限の想像力と思考を働かせ、彼女の思いを補完する。不規則な音の羅列にもイメージを見出す。取り留めのない言葉をつむいで一本の糸へ。手繰り寄せ手繰り寄せて、布を織り、一枚の服へ。
 そうしてまた新しい彼女を知るたびに、僕は彼女に包まれ、満たされる。とても身近に感じて、どんどん近づいて、やがては身体も精神も超越する。経験の中にさえ入りこむようだ。純然たる彼女の思いが頭に流入して、僕は彼女になる。それが僕らの愛の形だ。
 彼女は自身の表現に余念がない。悲しくなるほどに濃い感情の塊が僕に投げられ、時々それに押しつぶされそうにもなるけれど、やはり僕は受け取ってしまう。彼女が、この世の美しさを知っていることを、僕は知っているからだ。
 昨夜もまた一つ、彼女は僕にそんな塊を投げてきた。最初は難解だと思ったけれど、知らぬ間に僕の血肉になっていた。何故だかわからないけれど、彼女の思いを知った。彼女の見ている景色を知った。それは僕だけにしか分からなくとも、確かに僕は新しい世界を教わった。そんな世界を見せてくれた彼女に、彼女を産んだ天に、僕を産んだ天に、感謝した。
 臼歯で噛み砕いた塊が口から噴く。塊の残滓が風に舞う。それを大きく吸い込む。
 愛おしい匂いがする。
 性懲りもなく、僕は「愛してる」と言ってみた。
 隣に座っていた彼女は「バカ」と興味なさそうな顔で言う。
 僕の脇腹をポンと叩いた音がする。
 全然、痛くない。
 
 

2015年1月13日火曜日

俺にとっては


  

 あいつはバカだった。本当に馬鹿だったよ。
 頭は切れてたんだ。勉強なんかしてないって顔で軽々と高得点とって、制度こそないモノの誰もが主席と認めていた。けれど、知らず知らずのうちに勉強をしていて、知らず知らずのうちにそれが「ふつう」だと思い込んでいた。奴にとっては、ふつうだった。あいつはそんな奴だ。皆が皆誉めそやすような地域一番お学校に入って、そのまま有名な大学にもいった。
 けれど、ある日、妙な思想、というより思考にはまっちまった。
 この世界は腐っている。なんでそのことが分からないんだ、とずっと俺に諭してきやがった。どうして皆が笑っていられるんだ。電車で隣りに居合わせた奴が今にも死ぬかもしれないんだ。目の前にいる人は嫁に裏切られ、挙句社会の体裁と裁判で全てを奪われ、煉獄で放浪しているかもしれないんだ。地球の裏側で飢餓に苦しみ、寒さで凍え、恐怖で眠ることも出来ない人がいるかもしれないのに。なんでそんな人たちを気にも留めずに生きているんだ。そんなことばかり言ってたよ。
 だから俺は言ってやった。何で他人の不幸に巻き添えにされなきゃいけない。運が悪かったんだ。俺は俺でたまたまこの国に生まれた、飢餓で死にそうな奴もたまたまその国に生まれた。その事に何の責任もないし、俺は責任の取り用が無い。
 そしたらあいつは言ったよ。なら、その幸運を、その幸せを独り占めにするべきじゃないだろう。ほんの少しで良いから分けてやれよ、時間や、金や、気持ちをほんの一瞬でも注いでやれよ。誰かが不幸になっていい理由がない、助けなきゃいけないんだ。それが、こうしてこの国に生まれた者の義務だって。けれど、「持っているもの」達は何もしていない。格差は広がっていく、将来が見えなくて自殺する若者、制度が規律を呼び、規律が拘束を産み、拘束が常識化した先で、日常が制度になって、僕らの日常はシステムになっている。常識や、そういうもんだという思い込みが、人を独りにして、愛を曖昧にして、今日生きることに怯える人がこの国にさえいるんだ。
 俺は返したよ。じゃあ、おまえ今幸せかって、返したよな。
 そしたら黙りこんじまった。あいつは不幸だった、だから答えられなかったんだ。
 平気で笑いながら日々を過ごしている奴らが憎いんだよ。輝かしい日々を生きている人になれない自分が嫌で、その理由を他人の罪悪感の無さに転嫁してる。自分が正しいことをやっているんだと思い込みたかったんだ。だから、自分はもっと認められるべきだ。もっと愛されるべきだと、思っていたんだろう。言葉の端々から、そんな思いが滲み出ていたよ。
 でも、実際そうはならないよ。ならないんだよ。
 奴が知らず知らずのうちに努力していたように、皆もしているんだよ。目の前にある幸せを求めて、それが唯一かもしれない幸せだから、それに向かって努力してるんだ。もしかしたら、奴はそれを知っていたのかもしれないし、知らなかったのかもしれない。どちらにせよ、奴の思い込みで多くの人をひとくくりにして「何も知らない奴だと」馬鹿にしていたんだ。そうだろう。
 誰かが不幸になるのに理由があるように、誰かが幸せになるにも理由があるんだよ。
 そうして、色々背負い込んでいった。神でもないのに、神のようであろうとした。自身を戒め続けて、その不幸や痛みを糧に進んできた。とんだマゾヒストだ。その痛みを拗らせながら、フェティスシズムにも似た不幸体質が、あいつにはいつもあった。
 多分、暴力に消化できれば幸せになれたのだろうよ。チンピラにでもなって、正義を執行し続けて幸せになれたんだろう。ヤンキーと言われるような奴と、その思想は何も変わっちゃいないんだから。ただ、奴には人を殴れない。何があっても。
 そんな馬鹿だった。俺は奴の気持ちなんかこれぽっちも分からねぇ。奴の思想の半分だって理解できねぇ。生き辛いんだよ、奴は。
 だから、だからこそ、というべきか俺は奴が大好きだった。俺が女だったら抱きしめてやろうとさえ思った。その悲しみを別の何かで拾ってやりたかった。言葉はあまりに無力で、目に見えているものはあまりにも曖昧だ。聞こえてくるものは雑然としていて、認識できるものは経験の範疇を超えられない。だから、触れてやりたい。そう思った。
 愛されているという実感は、触れている時に感じられるもんだ。心は遠いから、身体だけでも近づきたい。限りなく、心に触れるすぐそばまで。そんな願いの顕れだろう。
 一度だけ、奴と握手したことがある。出会った時だった。それ以来、一度だって触れていない気がする。気が付いたら奴は冷たくなって俺の前に現れていた。結局、言葉も届かず、死んでった。
 俺は奴を好きだった。愛していた。けれども、愛してなどいない。例えお前との出会いが人生を変えたとしても、一生共に居たいと思っても、俺はお前を愛してなどいない。
 いったい、俺とお前はなんだったんだろうか。
 

2015年1月12日月曜日

移動プラン


 財布を落としました。あれの中には全財産が入ってまして。クレジット、キャッシュ、デビッド、居酒屋、図書館、健康保険の各種カードはもちろん、現金も持ちうるだけ入ってました。何でそんな金を持っていたのかはあえて言わないけれど、とにかく僕の全財産が入っていたのですよ。
 そうは言って、その額と言えばたかが知れたもんで、ほぼその日暮らしの僕の口座には5ケタあるかないかの貯金が入ってるだけなのです。幸運なことに借金は皆無なのが唯一の救いかと思います。それでも、呑み食いの享楽にも女との肉欲にも溺れることもできなくなってしまったのです。こりゃ、僕の精神状態のピンチです。僅かながらもこのお金で正月をちゃらちゃら過ごそうと画策していた僕には大きな痛手ですよ。相当についてない。この勢いのままFXやっても株やっても有馬行ってもパチ行っても、きっとろくなもんじゃないでしょう。そうに違いないですね。
 どこで財布を落としたのに気付いたかというと、あるお風呂に行く前でした。今年の洗い納めだと意気揚々と小田急に乗って、新宿まで向かおうと地元の改札を抜けました。170円しかICに入ってねぇやとか独りごちたのは覚えています。そして、急行待ちのあまりの寒さにホットココアを買おうとした刹那ですよ。
 そう、ないんです、ポケットに。財布が。僕の楽しみを叶える魔法の財布が。昔、どこかで聞いて覚えのある「ポケットの中から財布が一つ」って童謡を諳んじながら、そわそわ手をポケットに突っこんでも糸くずしかつかめないんですよ。乾いた笑いが地割れのように鳴りました。今一度ポケットをポンポン叩いてみて、出るかなぁ、と期待しながら突っ込んでも今度はレシートしか出てきやしません。しかも、カリカリ梅11円というしょうもないレシート。そんなポケットいらねぇよ!という憤慨とともにゴミ箱を探してそのレシートを投げ捨てたんです。ついでに糸くずも捨てました。
 そう、ないんです。やっぱり財布はどこにもありません。ビスケットが出るポケットが無いのは分かりますが、入ってるはずの財布のないポケットがないなんて信じられません。兎に角、僕は唇が渇きました。寒さのせいか、唇も震えだしました。唇に温度が無いってすぐわかったんですよ。血の気が引くってこういうことかと思いました。 レジの打ち間違えで客からぼったくった事もありますし、お客さんに麦茶ぶちまけたこともあります。が、これほどまでに心が冷えたことは生まれてこのかた無いと記憶します。あぁ、なんてことでしょう!今年は厄年なのか!と思ったものの多分違います。
 とりあえず、その事実に気付いたまま僕は下北沢まできたあたりで、やはり電車を引き返しました。元の駅に戻るのです。財布が無いんじゃ都会に出る意味がありません。まったくありません。できることと言えばファックでコーヒーを飲むことでしょうか。いやいや、そんな金もないのでそれすらできないですね。
 戻りの電車は酷く味気ないものでした。行きと帰りのこの短時間で同じ景色二回も見る羽目になったのと、江の島方面に行くと思しきカップルが多くいたからです。憎らしい。ちなみに僕定職なし、女なし、家なし。こんな三無しですから、早起きして三文得してもきっと意味がないと思われます。三と三が打消しあい、相殺し合い、は跡方もなく消えるのでしょう。情けない限りです。
 地元の駅に降り立って改札を出ようとしたら、改札機に止められました。あぁ、そうでした、入場料は取られるんでしたか。大晦日のこの夕方、未だ仕事の有った可哀想な人たちが大挙して帰っている時間帯でしたから、皆が僕のことを行列を止めた厄介者のように見る視線は悔しい限りでした。誠に遺憾です。この現象はなんというでしょうか、いつも不思議に思います。詰まったと分かればまるで川の流れのようにさっと進行方向を変え、新しい流れを作り出す。人間も川と同じような物なのでしょうか。なんとも合理的な生物だと感心します。
 とりあえず、駅員に一声かけて改札を出ることができ、私の所持金はICカードの数十円だけになりました。駄菓子屋でICカードを使えれば、やけ食いとばかりにうまし棒やあは玉やらでんぐりガムを買うんですが、そんなハイテクな駄菓子屋は聞いたことがないので叶わぬ夢となりましょう。「おばちゃん!これちょうだい!支払いはカードで!」ってちょっとカッコイイ未来だと思いませんか。僕が小学生だったら多分、「俺はコイツで買うぜ」って言って端末にICカードを叩きつけたでしょう。今はこれほどまでに落ちぶれている僕も、若く元気だった時分があったのだと感慨も一入です。
 家路への帰途、神社を見つけました。見つけたというのは些か語弊がありますが、今まで特に気にも留めなかったのですここに神社があったと初めて認識したのですから。元旦に向けて、出店の準備が着々と整っているようでした。駄菓子屋の話ではありませんが、お賽銭もICカードで払う日がくるんでしょうか?中国には馬鹿馬鹿しいことにインターネット墓場があるらしいので、その可能性もなきにしもあらずかもしれません。その場合は有名な神社などはお賽銭用カードなんかを売り出すんでしょう。式年遷宮の時などは枚数限定で発売して神社マニアの間で高値で取引されるんでしょう。限定発売すると大混乱が起きるやもしれないので、元から抽選か受注生産にすべきだと思われます。
 そんなことを思いながら境内を抜けて、財布が見つかりますようにとお祈りをしてきました。お賽銭?そんなものはもちろんなかったのですが、先ほど自販機の釣銭入れの所で十円を見つけまして、そのお金を投げ入れました。悲しいことに、いつも下ばかりを向いている僕は、自然と自販機の返却口に目が行ってしまうのです。はしたない、とはわかっているのですが、何分顔を上げるほどの幸せが常にあるとは限りませんし。そうして拾った10円ですが、どうせなにもできぬ十円なら神頼みに使った方がいい効果は得られそうです。きっとそうにちがいありません。 
 いや、人のお金をお賽銭にしたら罰が当たるんじゃないでしょうか?その可能性を考慮しなかったことに今気づきました。これはマズイことをしました。ネコババしたお金を放って罰があたる。なんとも落語になりそうな話じゃないですか。やや、これはこれはマズイマズイ。
 ナンマイダと繰り返しつぶやきながら神社を出ようとすると、厄除けに関する看板が途中にありました。それによると来年、僕は後厄だそうです。つまり、今年は厄年だったわけです。成程、今の状況も納得できます。今年は何かと不運で、自転車のサドルはブロッコリーに変えられているわ、三回も職務質問されるわ、家のコンセントが爆発しそうになるわとなことが起きていません。そういえば、今年財布を落としたのは二回目でした。その時は小銭入れだけでしたが、行ったお店に電話をかけた所、あったので事なきを得ましたその事を思い出す多と、今度はすりにあったことや、友人から5000円が返ってこないことなど、この一年の数多の失敗や不運が芋づる式に脳裏に浮かんできました。何の運も無く、私が無能なばっかりに何の成果も得られなかった一年間がフラッシュバックしてきたのです。
  電話。そうでした、電話をかけてみましょう。体をひねり、電話を探しました。しかしありません。公衆電話が見当たらないのです。今に始まったことではありませんが、公衆電話など最近めっきり見なくなってしまいました。数か月前に、友人の付添で病院に行ったとき、その病院にも公衆電話は無くなっていました。あの病院にです。タクシーを呼ぶ為に、○○交通とご丁寧に電話番号を書いたポップまで用意してあった病院にさえ、公衆電話の姿が無かったことに僕は失望を隠せませんでした。そのかわりIP電話なるものが置かれていたのですが、やはり重厚な受話器重みは見た目からも感じられなく、また、お金を入れた時の鈍い音も想像させないような作りでした。時代は速いモノですね。そして何よりも、テレフォンカード最早過去の遺物と化したことが悲しく思えました。テレフォンカードコレクターはきっとこんな未来を予想してはいなかったでしょう。彼らにとってそれらの品はある種の資産的価値があったかもしれません。しかし、彼らのコレクションは実用性のほぼ無いタダの磁気カードとなり、その価値を著しく減退させたに違いありません。幸いにも、公民館やコミュニティセンターなどの公共施設には時折、公衆電話の姿が見受けられるのが唯一の救いだと思うのでした。
 数日前にとうとう故障し、携帯電話が無い生活を強いられている私ですが、しかしながらこの財布喪失の件を除けば何ら問題にはなりませんでした。私に連絡をよこす人など、大河の一滴より少ないからです。それを過言というならば、鳥取砂丘の中の米粒とでもしておきましょう。または、日本国民の中のエボラ感染者とでもしておくべきかもしれません。兎に角それくらい、私の電話は鳴らないのです。最も基本料金の安いプランにしても毎月無料通話は繰り越され、パケット定額にすらしていません。そのため未だに現役のガラケーであり、なおかつメールアドレスもウォーダフォン・ドット・エヌイー・ドット・ジェイピーなのです。しかし、それでも何ら問題はありません。通信費という生活コストが最低限で済むのは素晴らしい事です。注意力散漫になることもなく、依存することもなく。現実の人間関係が僕の帰属欲求の最大を満たすことは残念ながらありませんが、24時間他人と繋がっている必要が無いというのは、自由ではあります。今の世界では稀有でありますが、根源的な自分という世界を、もと簡単に言えばプライベートを守れることに安堵するばかりです。
  そうは言っても今は電話が欲しいのです。公衆電話の捜索を諦めることもできず、歩いていたところ、とんでもないことに気付きました。いや、あえて僕はそれを見えないふりをしていたのかもしれません。または、何か強大な力が私の視界を曖昧にしその事実から目を背けさせたのかもしれません。どちらにせよ、どちらでもないにせよ、寧ろどちらでもないので、つまるところ僕は財布を無くしたという根本の問題をすっかり思考の片隅に追いやっていたのです。お金がなければ電話はできないじゃないですか!ノスタルジックな公衆電話とセンチメンタルな携帯電話に思考が満たされ、自身の荒寥とした半生が悲壮の矢となって知らず知らずのうちに我がを削っていることに気付きもしなかったのです。自虐と自嘲により自身の努力不足や悲しみを正当化し、剰えそれを正へと転じさせようとした生への冒涜ともいえる痛恨の過失でした。そしてその傲慢が、僕の根本的な問題を忘却の彼方へと追いやっていたに違いありません。
 ここで、僕は自分が何を言っているのかが分からなくなってきました。 いつもの僕と心なしか思考の仕方が違うような気がしました。想像以上に財布の喪失は僕に損害を与えているのでしょう。ていうか、そもそも拾った10円玉を公衆電話用に取っとけばよかったのですよ。考えたらずの自身を恨みました。
 そうこうしているうちに、僕は家に付きました。3無し、と僕は自身の先ほどの説明に間違いありません。しかし、僕のじゃない帰る家はあります。いえ、早めに出てけとは言われているのですが、友人の家の一部屋を借ていただいてるのです。友人に、寝る場所だけで良いから、と首を深々と垂らし、膝に小石が食い込むほど長い間地に伏して、居候を願い出たのでした。結果友人は彼の自転車部屋を私に貸してくれました。
 自転車部屋と聞いてお洒落な自転車が三台ほど壁にかかって展示されている部屋かと最初は想像しました。都会のカフェみたいな場所だと思うでしょう。しかし、実際は違いました6の自転車が立ち(立っているのです)、2台が其々逆を向いて、ホイールが空に幼児遊具のようにぶら下がっているのです。更には壁に釘を刺して浮いている折り畳み自転車が一台、こんなに小さくなるのかと思える細長い自転車もゴルフバッグのように置かれています。これは地震が来たらひとたまりもないということは良くわかりました。あのペダルが、あのスポークが、ハンドルのでっぱりが、クランクのギアが私の上に覆いかぶさり、僕の肉に食い込むのが容易く想像できました。上からは、あの銀輪が流星のように落ちてくるのでしょう。その瞬間を想像するだけで、怖くて眠れない日が何度か続きました。そう、彼のその部屋はさしずめ自転車屋でした。オイルの臭いは常に満ち、メンテ後と気付かずに手を滑らせればワイヤーの破片が手に刺さることもありました。「蓮根掘ってきた」と笑顔で語る日には、泥が部屋中に落ちていました。
 そうして確かにすみづらい場所ではあるのですが、今ではそういったことに対応できるように静かに掃除するテクニック身に付き、何とか無事に寝泊りすることができています。寧ろなれれば、これほど割のいい寝床はそうないように思えます。には料理の腕もままあるので、家賃も免除してもらっていますし。
 しかしながらルールは厳しく、彼にはいつでも僕の帰宅や持ち物の拒否権があります。また、帰宅時間申告制であり、いかなる理由があってもその時間以外の帰宅契約違反と見なされ、強制立ち退き執行する権利が彼には与えられました。許可なく自転車に触れるのはもってのほかと彼は口うるさく言います。そして、俺の言うことは絶対だ、と彼は言うのです。
 いつだかの大雪の日のことです。その日は観測史上最大の大雪で、電車は止まり、タクシーさえも動かず、膝まで埋まる雪の中を進み、時には転び。そうしてまさしく命辛々家にたどり着いたのです。やっと帰れる、と安堵の溜息を洩らしたとき、玄関の前で電話が鳴っているのに気付きまし。こんな時間に誰からだ、と思いメールを開くとその彼からの「今日は帰ってくるな」との連絡でした。寒さで消えた足の感覚手の感覚。雪をかき分け進んだ疲労感。の芯まで凍りついていた中、かろうじて帰宅することができたこの時ばかりは、僕は軽い絶望感を味わい、彼を恨めしく思いました。部屋の中でナニをしているかはわかるような分からないような気がしたものです。後日聞くと、帰れなくなった同僚を連れ込んでいたのだとか。そうです、僕の当時の予想は大当たりだったわけです。
 幸い、家の近所にはプチストップがあり、イートインスペースのあるそこで一晩を過ごし暖をられたのですが、翌日は高熱を出して寝込むこととなりました。もし、そのコンビニがホーケーストアであったり、セイコウマートであったりアイブオンであったならば僕の身体はヘブンイレブンへと向かっていたことでしょう。プチストップで本当に良かったと思います。後日このことを笑い話のように彼に言うと、
「お前、入ってたら家失ってたぜ
と笑いながら言われたのでした。ちなみに、目は少しも笑ってなかったのを僕は後生忘れません。あんな冷徹な笑いができる人間がいるのかと思いました。奴の目はマジでした
 さりとて、この日以外、そうした厳しルールが僕に何らかの影響を与えることはほぼありませんでした。彼に帰宅時間を告げる以外は普通に生活しているだけで僕は万事がこなせました。彼とは付き合いが長いせいもあり、彼が僕のことを良く知っているがために僕は普通の生活ができており、その上でそうした契約を結んでくれたのだと思います。
 また、影となり動くことは僕の唯一かもしれない特技の一つで、中学生の時のバスケ部時代もこの特技のおかげでレギュラー入りしていました。決してい運動能力は高くないのですが、ポジショニングの妙とその存在感の無さで敵の意表を突くようなプレーヤーでした。ちなみに、黒子の出る有名な某企業のCMになぞらえて、日本ガイジというのが僕のその頃のあだ名でした。僕ごときにレギュラーを奪われた同年代の部活在籍者がそう呼び始めたのです。その話はまたの機会として、その特技故に、ひとたび見つかると不審者扱いされることも多かったのですが、そのおかげで叶ったことも多くありました。彼の家での居候もその一つです。
 とかく、僕にはほんの少しの不自由のみが存在する僕のではない家が、僕にはあるのです。家賃もタダ。薄給の僕にはこれほどいい物件はありません。
 その家に帰り、僕は財布を落とした、このろくでもない日を寝て過ごそうとドアノブに手をかけました。しかし、ノブは廻りません。 そうだ、今日は奴の誕生日だったからいないんだった。雪の日以来の彼女とどこかへ行くと言っていましたね。僕は舌打ちして憎らしい思いを露わにしながらも、鍵を出そうと、ジーンズのポケットを触りました、カギはどこにもありません。ジャケットの内ポケット、外ポケットも探しましたが見つかりません。
 ふと急にやや強い頭痛が僕を襲うのです。耳が鳴り、視界が曖昧になりました。-----------その痛み異変と共に僕の意識は現実を離れ、なんと空を飛んでいったのです。そしてすぐさま、これが夢だということが分かりました。何故なら、空を飛んでいるのにスカイツリーもハルカスもエッフェル塔もロンドンアイも見えたのです。これは何があっても僕の家の上空ではないことがすぐさまわかりました。勿論現実でもありません。しかし、僕の家はそこにあります。そして、その玄関の前に立つ僕自身が見えたのです。
 僕の意識は玄関にいる僕の手元へ向かいました。服と動作を見る限り、今日僕が出かける前の様子だということが分かりました。
 僕は鍵を閉めたようです。一度ノブをひねり、締まっていることを確認して、僕はアパートの階段を降りていきました。キーホルダーの輪の部分に指を入れて、僕はクルクルと鍵を回しています。鼻の下を伸ばしながら揚々と階段を降りている自分は何とも見苦しいですね。そして最後の一段を踏んだ瞬間のことでした。なんということでしょう。カギが指を離れ、どこかへ飛んでいきました。僕は慌てて宙に飛んだ鍵を追うように、体を曲げていました。しかし、空中で掴むことは能わず、目の前23歩ほどの所にチャリンと音を立てて落ちたのです。僕は急いで鍵の下に駆け寄り、そのカギを拾い上げていました拾い上げた鍵を暫し眺めた後、「大事だから」と一声漏らし、そしてなんと、おもむろにポケットから財布を取り出して、その中に鍵を入れていたので-------------
 僕は悪夢から覚めました。冷や汗のような汗を書いています。意識は現在に戻ったのです。僕は、財布の中かよ!キレました。さすがにツイてなさすぎるだろ。普段ならそんなことしないのに、なんで今日に限って!行く宛の無い義憤が僕の足を操り、二階の廊下部分を形作る鉄柵を蹴らせました。柵は音もせず少し揺れたもののびくともしません。一方で、僕は声も出せず小刻みに震えました。地味に痛かったのです。
 さて、このフラッシュバックが暗示していたことは何だったのでしょう。僕がカギを財布に入れた、ということでしょうか。珍しいことをするものだから明日雪が降る、ということでしょうか。いや、そうではないでしょう。鍵を財布の中に入れた、という一つの真実が浮き彫りになったのです。そして、その財布を今日無くした、というたった一つの事実が、これから僕を待ち構える運命の過酷さを予言しているのでした。
 人は部屋に入れないとどうなるのでしょうか。人は行く宛が無いとどうなるのでしょうか。人はお金がないとどうなるのでしょうか。白痴である僕がいとも簡単に絞り出せてしまったその解は、ただ寒く、寂しく、そして、プチストップにも行けないというそれぞれの明確な解でした。
 そう、僕は今日この瞬間から、多くを失ったのでした。風雨を凌ぐ家の尊さ。このめでたき日に、何も生産できず何も消費できないことの非力さ。そして頼るベの無い放浪の民が故郷も無く彷徨う寂しさ。その全てを僕は感じることができたのです。
 そうした感情に囚われ、打ちひしがれた僕は、玄関の前にうずくまったのでした。扉を背もたれにし、冷たいモルタルの床に腰を下ろし「はぁ、どうしよ」とため息がもれました。吐く息は白く、水蒸気の一滴一滴が目に見える。その靄は風に乗ってやや渦巻き、うねり、透明になって空気の中へ一瞬で消えていきました子細な水蒸気の其々が大気に熱を奪われたのでしょう。
 大晦日のせいか街は静かで、子どもの声も足音もあまりしないことにも気づきます。普段は頻繁に見る宅配食の配送車もそういえば見なかった。活気はないが、薪の下で燻る炎のような微かなざわめきの連続が、街を生かしているように思わせました。外には漏れ出さない屋根の下の団欒が、人の温かさのようにそこかしこで輝いている。日も傾き、孤独を迫る闇がその幅を利かせたからこそ、そうした光が見えだしたのかもしれませんどちらにせよ、私には縁遠いことでした。
 今は誰そ彼の時。 夕とは"彼は誰なのか"を問う時なのかもしれません。夕焼けに燃える景色に、燃えて灰になる何かの幻影を見るのかもしれません。人を灰にし、人が作ったものを灰にし、人に見えないものをも塵と帰せむ火。自分も火に焼かれるのか、罰せられるのか、それとも常にどこかで火が萌しているのか。炎という現象を叩き台に、そうした自らの等価性を問いたくなるのが夕刻なのかもしれません。頬に手を当てても、手の冷たさしか感じませんでした。手と手を重ねても、乾いた空気で弾力を失った手が衣擦れのように音を立てるだけでした。指はある、血は流れてる、手は動く。けれど、そのどれ一つも僕が存在しているという証明にはなりません。今この瞬間は夢なのじゃないかと思えるほどに、僕には何もありませんでした。思考も停止し、何も考えられません。万策は尽きたのです。
 何もすることができない僕を、寒さは容赦なく体内に入り込んでいきます。歯は震え、熱を産み出そうと筋肉が独りでに動き始めています。温かさから離れた僕は、自らの身体で暖を取ろうと手を体中に滑らします。脇の下、首、曲げた膝の間。ふと、手は股間に導かれました。そこには分厚い布越しながらも確かな温かさが、その皮相の下渦巻いていたのです。何ら淫靡な想像も卑猥な妄想も猥褻な空想もしていないのに、僕の陽物は炉のように熱を持ち、巨神のごとき逞しさと力を湛えているのがわかりました。
 寂しさと寒さが、僕によからぬ考えをもたらしました。
 ここで鍵を摘まみ窓を開け、その神々の奇跡とも言うべき陽物を手することができれば、僕は賢者ともなれたかもしれません。全てを悟り、この世の欲や孤独、死さへも超越できるかもしれません。しかし、それはアダムとイブが犯した以上の禁忌であり、この世という楽園を追放される理由ともなる賢者の石の生成を意味していました。その生成にはあまたの血と白濁液が流れるのでしょう。そして生成の後、私の手には何人も疑わぬ聖痕が残り、その罪過の痕が証拠となるに違いありません。そして、その瞬間を誰かに目撃されたならば、僕は間違いなく裁きの間へと連れていかれ、自由を奪われるのでしょう。
 そこまで想像をめぐらして、僕は我に返りました。いかんいかん、この日の為に蓄えてきた僕の龍の瘤が張り裂け、火を噴くところでした。僕の手は右ポケットの奥深くにもぐり込んでいるだけで、郁氛は微塵もしやしませんでした。とりあえず、開きかけていた世界の窓を閉めなくては。
 ジーッというファスナーの音はふきさらしの廊下の風音にかき消されました。僕は冷静さを取り戻し、自分のどうしようもないほどの性欲の不在を確認しました。一安心です。
 しかし、僕は何故そんな危険な真似を犯そうとしていたのでしょうか。その原因は寒さなのかもしれません。僕のカラダは温かさを欲していました。ココロも然り。不干渉が長年続き不感症になった精神は、無関係の関係しかない世界に埋没してしまい、自分の影響力が萎み諦観に萎れるのを日に日に感じているのです。完全に閉じた世界でいきているような僕が、人と関わるためには動かなくてはなりません。繰り返される微動だにしない日々を揺らさなくては。そんな日々が思い出され、ここにいてはならないという、漠然とした不安とどうしようもない衝動が僕の魂に爪を立てました。
 チクリとした痛みを感じて、今の自身を見つめなおすことになりました。こうして、扉の前に蹲っていることは、ドラマか何かの見すぎなのでしょう。なぜなら、ここにわざわざ腰掛けることに一切の合理的な理由がありません。悲劇的な自身を演出して、自分を慰めているにすぎないのです。(本当に自分を慰めそうにもなりましたし。)人間は悲しいことがあると本能的に蹲りたくなるのでしょうか。その可能性もありますが、何の解決も望めない行動でしょう。マゾでもない僕は、そこまでして自分をいじめたくありません。そして、そこまでの罪過でもありません。そう思うと、僕が今ここにいることそのものがバカらしくなってきました。ここにいれば寒さも寂しさも、何一つ変わらず、寧ろ勢いを増して僕を襲うだけでしょう。
 僕は立ち上がりました。立って歩き出しました。だって二本の足があるから。そして、小走りに。しまいには走っていました。何故走ろうと思ったのかは分かりません。ただ、どこかでパトカーの音がしたことに怖気づいたのだとは思います。どこかで見られていた可能性が脳裏に浮かび、本当に怖かったです。無意識に布を擦っていたのを見られたのでなくとも、扉の前で貧相な男が座り込んでいるというのだけでも十分に怖いです。
 永らく全力疾走ということをしていなかったので、僕の脚は悲鳴を挙げていました。筋肉が軋み、過熱した発熱量が筋繊維を焼き切っているのが分かります。心臓はカエルの宿ったTシャツみたいに跳び跳ね、僕を地面にたたきつけようとしていました。肩に無駄に入った力が肺周りを強張らせ、僕にかがむことをも許さなかったのです。ミジンコの息の僕は息も絶え絶えブランコへ座り込んだのでした。ベンチに座れれば良かったのですが、あいにく以前ここの公園のベンチに人糞が置かれるという事件があってからは座らないようにしているので、丁重に辞退しました。
 そうして数年ぶりに乗ったブランコは酷く小さく、臀部の肉が座席を支持する金具にのめり込むっほどでした。幼き頃は大きめに感じていた座席も、寒さで縮こまったように小さく頼りなく感じます。そしていざ漕ごうとすると、足の長さが邪魔になりました。記憶が正しければ、ブランコに座るときは、足を放り投げてブラブラさせていたと思います。それが今や、膝を曲げねば足が地面に擦ってしまうほどに身体は成長し、窮屈な体勢にならざるを得なかったのです。成長とは恐ろしいモノでした。
 そして、初恋に玉砕して以来乗ることを辞めた僕がまた、十余年の時を経てブランコに乗ろうとしている。ディケイドの瞬間です。そうして、僕は振り子のようにゆらゆらと動き出したのでした。
 昔より身体が重くなったせいか、ブランコは少しの助走で非常に大きく振れました。その度に金具の接合部がギシギシと軋み、損壊の可能性という微細な恐怖を僕に与えました。記憶の中の想像とは違う、非常に速い速度で前後運動を繰り替えしているような気がしたことに驚きました。心臓を抉るような重力が度々かかり、その都度、胃が浮くような思いがします。こんなに早いっけ、と僕は内心ビクンビクンしながら鞦韆を介した重力の凌辱に揺らされていたのです。
 それは、傍から見たら警察の手を煩わせるかもしれない光景でした。貧相な男が喜色満面の笑みで幼児遊具に乗る図。僕の頬の筋肉が有無を言わさずに私を笑わせていたのです。両脚は恐怖心か興奮からか震え出し、宙を泳いでいます。時折、声も漏れていたのかもしれません。
 衰えることを知らないその高揚は僕の靴の紐を独りでに緩ませたようで、靴が脱げそうになっていました。堕ちないようにつま先にひっかけ、タイミングを見計らいます。そして2往復の後、僕の右足は29800円の靴を空へと飛び立たせました。そんな高い靴をどうして投げてしまうのか。最早言う間でもなく、僕はその小さな絶叫遊具に夢中になっていたのです。靴は空高く飛び、2メートル先に無造作に落ちました。全く以て飛距離は出ていません。もっと遠くへ、遠くへ。もっと遠くまで。飛ばさねば気が済まなくなりました。空を駆ける天馬のように、天を翔ける龍の閃光のように。すぐさま、靴を拾い、僕はまた鞦韆を漕ぎ始めました。
 何十回と靴を飛ばしている間にとうとう僕の29800が、公園の中心に聳える銀杏の木と熱い接吻を交わしました。目標を達成しました。やりましたよ、やりました。そこでやっと、日が完全に落ちていることに気付きました。空の残り火はほぼ消え去り、代わりに月が天頂の暗闇を欲しいままにしていたのです。僕は月のその強欲さに羨望を向けると共に、その傲慢さに美しささえ感じます。全てを輝かせる太陽よりも御淑やかで、より孤高で、たった独りでも輝き続ける。けれども、その光は太陽無くては生まれない、というのがなんともツンデレっぽくて萌えます。僕は月が好きです。
 熱烈な交わりを交わしたばかりの僕の29800円は、数メートル先で砂にまみれていましたが、なに、彼も本望だと思います。その本分に殉じたでしょう。暗闇の中で保護色となりあたかも消え入りそうなニーキュッパは、今日で使命を終えた公務員のようでした。
 「靴は飛ばされる為にあるのだ。地面を歩くためだけの道具にしておくには惜しい存在だ。だから高い靴は買うなよ。」昔誰かがこんな事を言っていたことを思い出しました。自分の身体とその言葉に従うならば、あの29800円は決して歩きやすいモノではありませんでした。緩く履くことを許さず、クッション性は無く、走れば子供のおもちゃのように音を立てます。対して2980円を払えば、いつも先に行っている某企業の歩きやすい靴をテイク2で買えたかもしれません。そう思うと、僕には無用の長物だと分かったのです。その29800円の価値を感じられるだけの感覚器官が備わっていないことを、幸運にさえ思います。何とも安上がりな体であります。そして、その分のリソースを他に割けるではありませんか。その事を、月夜の公園の銀杏と鞦韆が僕に教えてくれた気がしました。僕は靴を拾い上げる為に、唐笠お化けの如く歩き出しました。
 銀杏の側に寄り、靴を拾い上げるとそこには見るも無残な29800円がいました。遠目からは分かりませんでしたが、靴の中は本来の蒸れた異臭と砂の臭いで酷い臭いを醸し、皺はクレバスになっています。皮の角にまで砂が入り込み、砂利で擦れた白い傷が目立つようになっていました。ちょっと勿体ないなと思いながらも、しかし、これはこれで世界中探しても見つからない逸品に思えます。いつの間にかワイルドになっているのが男の子です。もっともっとワイルドに。やはり、僕にはこのお高く留まった靴は余計でした。
 少し人目を気にして、周囲に目をやると、銀杏を挟んでブランコの反対側に一本のロープと丸太を重ねた壁が映りました。それは、登るための遊具であり、樽を投げるための遊具に思えました。かつて、一世を風靡したMASUKEに憧れた僕の若き血潮は再び沸き立ちました。
 考えるより速く僕の身体は動き、丸太の巨壁の前へと召喚されたのです。その壁は子どもの遊具とは思えぬほど高く、2.3メートルはありそうです。正直、子どもがこれで遊んだら危険なほどです。その壁が、ファイナルステージに居を据える強大な魔物として僕の前にそびえ立っています。木の一本一本は鮮やかさを失った深い茶色に染まり、所々にその歴年の勇姿が刻み込まれています。それは最早、魔物というより遥か昔に死んだ主人を守る老兵のようにさえ見えました。
 その虚しい老兵を乗り越える突破口となる手綱を、僕は右手で掴みました。握りしめると、毛羽立った綱の一本一本の繊維が干からびた僕の手に刺さり、この老兵の懐柔を躊躇させる痛みに襲われたのです。正直、痛いのでもう辞めたかったです。しかし、勇者は常に諦めません。僕が憧れたカンダタは蜘蛛の糸さえ掴もうとしたではありませんか。僕にはこれほどまで太く、長く、雄々しい綱が与えられています。このようなヌルゲーすらクリアできぬ僕ではありません。僕は、大地を蹴り、壁に意志の鋲を食いこませ、地より足を離したのです。
 全体重が腕、況や肩にかかりました。脱臼しそうなほどの力が、天から圧ちてきます。これは罪なのだと、思いました。貧相貧相と自分の事をよく説明していますが、僕脱いだらすごいんです。自らの不摂生と悪行が贅肉となり、革帯の上に載っています。やはり、母なる大地の理が与えたもうた重力という名の罪が、空と地面から課されているようでした。3日ほど前に、寝れぬと言ってマシマシのラーメンを食した罰なのでしょうか。黒い雷と讃えられたあのお菓子の外袋を、故意とは言えずとも地に放った罰なのでしょうか。はたまた、先ほどのネコババ賽銭の罰やもしれません。肥大化した我が肉体の重荷に、僕の両の手が悲鳴を挙げています。その重荷は、僕に改心を迫る天啓の顕れにも思えました。懺悔し許しを請い、善行を積まむと誓いました。あぁ、いもしない神様、我に救いを。
 芥川が描いた蜘蛛の糸は切れました。そして同じように、僕の筋力も事切れました。ニュートンが放ったリンゴのように僕は堕ち、尻餅をつき、その痛みに耐えきれず背中を地面につけました。「こりゃ天に一本取られましたな。」ジンジンと爆心地から体中に広がる痛みを感じながら、自分のしわがれた手を見ました。やるだけやった、悔いは無い。その努力の痕跡が僕の手に赤く残っています。
 大の字で仰向けになると、奥行きのある暗闇の中に星が僅かに見えます。僕が唯一知っているオリオン座を探したものの、僕の視界にはその象徴的な三連星はありませんでした。そのかわりに、無数の名も知らぬ星座たちが形もなく空で遊んでいました。古代の人は、暇のあまり星座なんてものを考えたのでしょう。けれど、その遊び心と奥ゆかしさは、何故だか私を温かくしました。無数の物語がただの点から生まれたのです。人が天を結び、線を作り、たった数本の線から何万年と生きる物語を作ったのです。その目の前にある何かに意味を見つけようとしたことそのものが、ひどく人間的で、美しいものに思えたのでした。そんな意味のないことを、と思えば思うほどその愛らしさは湧き上がってきます。いったい人は何故、かくも無駄なことに知を注ぐのでしょうか。しかし、その無駄とも思われることが三平方の定理と同様に、また、暦という概念同様に、現在まで脈々と受け継がれていることが、なによりもその価値を証明しているようでした。
 そうだ、星を見に行こう。
 そう思ったのは、落下時の身体の痛みが消え、地面の冷たさが全身に刺さり始めたころでした。お金はないけれど、星を見に行くのはタダだ。お金なんていらない。ただにそこにつけばよいだけではありませんか。
 体を起こし周囲を見ると、街灯の下で近所の子供が指を差して僕のことを見ていました。首は横に向いていて、隣の母親に何かを話しているようです。けれども、真顔でした。僕のここ一年で培われた危機感が働きました。通報される!警察のメンツも三度まで、という諺に例えるなら、4度目となる職質は避けたかったのです。
 僕は平然と何もなかったように立ち上がり、体についた土を払い、鼻の孔と耳の穴をほじってそのカスを指で弾き、その子供と母親を、ハニカミながら一瞥してその場を去ったのでした。
 その後僕が向かったのは家でした。つまり、家の駐輪場でした。かつて、ブロッコリーが刺さっていた僕の自転車には未だぽっかり穴が開いています。星を追うために自転車で行こうと考えたまでは良かったのですが、自転車の前に来るまで僕の自転車が拷問器具と化していたことを失念していました。これでは乗れません。乗れる人はよほどのマゾか変態でしょう。座らずに自転車に乗り続けるというのは辛いものですよ。
 行先も未決な旅への交通手段を失い、困り果てていた僕にの頭にある歌がふと流れていました。尾崎貧の「週五の夜」を思い出したのです。昼間の仕事を終え、週五でアルバイトに入ってるその歌の青年ならぬ尾崎貧は、その労苦に耐えきれず、アルバイト後に目についた自転車を盗んでそのまま玉川上水へ向かい、入水自殺しようとしたそうなのです。その歌詞の内容は有名なのですが、実の所尾崎は、深酒の後に自転車を盗み、その後酩酊のせいか操作を誤って玉川上水に落ちただけなのだそうです。その事実を知り、そのどうしようもなさに噴飯したのがつい数日前の件の友人との食事の時でした。プロレタリアの象徴が何たる無様かと、彼は笑い飛ばしていました。そして、今、同じような状況にある自分自身がそうなるかもしれないと思うと可笑しくて仕方がありませんでした。
 そう、僕に魔が刺しました。平成の尾崎貧になれるかもしれない、と思ったのです。そして僕は駐輪場に並ぶ自転車の中で最も走りそうな自転車を見つけました。どうせ盗んだ自転車で走り出すなら、カッコイイのがいいとおもいました。黄緑色の車体に、一文字のハンドル。ぐるりと回って全体を見ると、フレームにはGAntと書かれ、アリのようなイラストが描かれたバッジが前面についていました。サスペンションはついていないけれど、ハンドルを見ればギアがついてそうです。
 そんな自転車が、駐輪場の屋根を支える柱に4ケタのダイヤル式の鍵で括られていたのです。他にも、カギがかかっていないママチャリなどがありましたが、もし一発でこの鍵が開いたら、この自転車をパクッちまおう。速そうだし楽そうだし。何より、どうせ盗むなら高い物を。そう思い、ダメ元で今日の日付を入れてみた所、鍵は解けました。
 え、本当に鍵開いちゃったよ。おいおいまじかよ、とひとりごち、その強運に怖くなりました。あまりあっけなかったので、悪いことをしたという気も薄く感じたくらいです、今日一日で、最も幸運な出来事がこの窃盗となりました。悪の女神様が私に憑いてくれているのでしょうか。ろくでなしな僕でも、未だ怖くて犯罪には手を染めたことはありません。が、その女神は今僕に盗んだ自転車で走りだせと言っているのでしょうか。
 しかし、自転車の持ち主を想像すると、その罪悪感や恐怖心はやや薄れました。おそらくこの自転車、1階のDQN家族の息子の持ち物なのでしょう。綺麗なところを見ると、クリスマスプレゼントで買ってもらったのかもしれません。あ奴にはそれなりに文句を言いたい節がありましてですね。例えば、先日、奴はガラの悪い連中と家の前でたむろして話し込んでおったのです。深夜まで話し声と汚い言葉遣いが飛び交い、次の朝にはゴミがいくつか散乱していました。またある時などは階下で嬌声が一晩中流れておりました。不幸にも同居人は不在な日で、その時には僕しかいなかったので注意することも敵いませんでした。普段だったら女の声色など聞き耳立てるかもしれないところですが、その相手である男の顔を想像すると吐き気すら催しました。
 その一家には大家さんも手を焼いており、なんでも親戚関係らしく、下手に言えないそうです。しかも、旦那は癇癪持で夫婦喧嘩にゃ時折物音もするほど。大家さんも以前に凄まれたそうで、危ない家なのだそうです。僕はそこの小学生の次男坊が丸坊主なのに襟足と前髪だけが妙に長いその珍妙な髪形を見た時に、すでにヤバイと感じていました。あの髪型にする両親、少なくとも許す両親は危険度は跳ね上がるというのが僕の経験論からくる結論です。外見で人を判断しては失礼なのかもしれませんが、少なくともあの壊滅的なセンスの持ち主という点で、近寄りがたいのは間違いないでしょう。
 とかく、そんな奴の自転車ですから盗んでも良いような気がしました。盗むと言っても明日には返すつもりですし、件の家族は年末は実家に帰るらしくいないようなので問題はないと思います。刑事責任を問われた時には弁明にもならない弁明をつらつらと上げ、とうとう僕は意を決し悪の道を歩んだのでした。犯行時刻は8時過ぎ頃と推測されます。おや、いつのまにこんな時間が経ったのでしょうか。
 
 件の自転車に乗ろうとすると、そのサドルの高さに驚きます。なんて高いんでしょう。足は地面に全く届きません。しかし、件の友人から借りた漫画によると、サドルとは座るものじゃないのだと聞きました。ペダル、ハンドル、サドルの三点で支え、ハンドルには体重をかけない。その話は、所謂ドロップハンドル車の話でしたが、こういった一文字ハンドルにも同じことが言えましょう。僕はブレーキを握りながら、ゆっくりと立ち漕ぎするように発進しました。
 乗ってすぐ、ギアの操作が難儀なことに気付きます。どうやら、この自転車は11段仕様だそうです。外部に変速機が無い割には変速レバーが付いていたのを不思議に思っていましたが、まさか11段とは思っていませんでした。せいぜい3段だと思っていましたが、世の中には11段変速なんてあるんですね。少しいじるとどうやら人差し指で重くなり、親指で軽くなるようです。ただ、何度か乗り降りを練習しているうちにわかったことですが、止まっている最中には変速できないようです。これも件の自転車漫画に描いてあった気がしましたが、外付けじゃない場合もそうなんでしょうか。それとも私が下手なだけでしょうか。いや、あ奴のメンテがどうしようもない可能性もあります。どれにせよ、大通りを出るまでには変速の仕方を覚えたのでした。
 僕がどこへ目指しているのかの言えば、やはり海でした。ここから30kmほどです。自転車で動く距離にしては異常な長さですが、せっかく盗みを働いたのだから、それくらいの冒険をせねばと思いました。星を見に行こうと、もっと言えば初日の出を見に行こうと思ったのです。ズボラなぼくですから、そうしたことは今まで一度たりとも行ったことありません。人生はじめての事をして、人生はじめての新年を迎えるとはなかなかに粋ではないかと思います。犯罪ですが。
 大通りは大晦日だというのに多くの車がいました。高速道路との合流や、バイパスらしき場所が多く、自転車が通るには酷く難儀でした。もしかしたら、通ってはいけない場所だったのかもしれないと思うほど、自転車や歩行者には使いづらい道が多くありました。信号無視はしないように(というより怖くてできません)しながら、渋滞時のすり抜けも辞して車と同じように走っていきます。
 それでも、ママチャリとは一線を画す乗り物であるということは分かります。この高性能な自転車には速度計までついているみたいです。そちらを見やるたびに出ていた速度は18kmほどでした。ママチャリでもこのくらいの速度で走っているのでしょうが、簡単にその速度域に達することに驚きを隠せませんでした。軽く、心地よい重さが足に来る程度のギヤで漕いでいるのですが、その程度でこれほど快活に走れます。
 細いタイヤは安心感を欠く代わりに、ホイールを地面に鋭く刺してしっかりと蹴り飛んでいきます。固いと思っていたサドルも体重を乗せなければ、足の動きを阻害しない代物で、尚且つ止まり木のように頼れるものでした。時折現れるグレーチングや段差にはその都度対処しなければならないことが振動から伝わりますが、寧ろそれが障害物レースのスパイスのようにさえ感じます。車の動きに注視し、何台か先の景色に注視し。そうしなければ車に比べて制動力の低いブレーキであるが為に、追突してしまうかもしれません。より心の予防線を張らなければならないのです。しかし、それがある種の緊張感をもたらし、ただ移動するだけの乗り物ではないということが距離を進むたびにわかります。
 自転車はただの移動する乗り物ではなかったのです。一度見たことある道路も、見たこともない道路も、全てに表情があり、人と街と気温と風が、その都度の負荷となって表れてくるのです。その負荷を蔑にすれば、すべてこの剥き出しの身に降り注いでくるのが分かります。転倒すればその速度で地面に擦りおろされ、頬は削ぎ落ち、着地に備えた指は小枝のように折れるのでしょう。その後に後ろから来る車に引かれもするかもしれません。後の車に気を払わずに急ブレーキをかけようものなら、その鉄塊が僕に突進してくるのも間違いありません。もし、怖い人が乗っていたら幅寄せされて、ガードレールと車体に挟まれてその白く鈍い刃物に頭を叩き切られるということもありえます。路面を注視していなければ、パンクは免れられません。それだけなら良いのですが、その思わぬ衝撃に手はハンドルから離れて前方へ投げ出される可能性だってあります。細かな起伏のある地形も恐ろしく私の体力を奪っていきます。そして、いつのまにか吹き始めた風は思うように僕を進ませてくれません。
 けれど、そうした苦難の先に、まだ見ぬ場所がありました。幼き頃に住んでいた埼玉にしかないと思っていた山田うどんがあります。海が近くなるにつれ、聞きなれない廻る寿司屋も目についてきました。久々に見る稲田の平野が見え、以西の山々の稜線が僅かに臨めます。ビルの無い空は開け、万反の闇色の地には藍の雲、経年の和紙色の月。星は散らされた銀箔のように施され、他方遠くの空では珍しい蛍の朱りがゆっくりと誰かを待ってるようでした。風は酷く冷たく、足先も指も感覚が無くなるほど冷え切り、なのに体は熱を咀嚼し、汗となって肌から漏れ出ています。
 今の僕には怖いものはありませんでした。自転車盗の背徳感を快感が凌駕し、失うもの(主にお金)も無くなった僕はひどく自由な気分です。ナイフのように鋭い連絡を寄越す同居人からの唐突な連絡に怯えることもなく、せせこましくお金の使い方に合わせた数時間後を考える必要もありません。そして今は、自転車に乗ってとても遠いと思っていた場所へ向かっています。距離としては大したことないかもしれません。しかし、僕の体力、経験、疲労感から考えればそれは大きな旅でした。
 オレンジの光、白の光、赤い光が私を殺そうと息巻いては通り過ぎようとも、僕はゆっくり進んでいくのです。置いてかれても、進めばいいのです。多くの人と僕の目的地は恐らく違います。だからこそ、僕はゆっくり進めばいいのでした。僕の目的地は、多分、僕だけのものです。大丈夫、時間はたんとあります。身体との対話、自然との妥協が自転車にはありました。
 
 しばらく自転車を漕ぎ続けて不意に現れた繁華街は、その建物の数の割にはとても静かでした。普段の金曜日であればここまで静かじゃないでしょう。耳を澄ませば波の音が聞こえそうな気さえします。それは、僕の心がそう思いたいだけなのかもしれません。新宿や渋谷のような都会と無意識に比較しているのかもしれません。けれども、ある地点に来た、という喜びは確かに僕の達成感を静かに沸き立たせていました。
 流石にゆっくり漕いできたとはいえ、寒風にあたり続けて喉は渇いていました。手足は最早なんの感覚もありません。しかし、やはり財布は無いのです。勿論携帯も。地味に大きな問題だというのが改めてわかります。
 とりあえず、手短なコンビニに入ってみました。勿論、選んだのはプチストップです。お金の有無は棚上げにしておきましょうよ。寒さのせいか強烈な御花摘み欲求が僕を襲ってきたのですから。何も買わなくても、買えなくても、とにかくトイレへ行かねば。僕はカマッぽい店員に一声かけ、すぐさま花壇へ向かいました。
 トイレのカギを締め、排泄器官を拾い上げたところで、深いため息と共に御花摘みは開始されました。和式の男女共用の古臭い花壇でした。あまり空調が聞いていないせいか、室内はとても寒く外気と変わらぬ寒さでした。そのため、聖水の滝と共に湯気が登りました。そのアンモニア臭が僕の鼻を刺します。
 僕がこの世で嫌いな瞬間の一つが、気化した聖水を逃げ場もなく嗅がなければならないこの瞬間でした。もう一つは、ダッシュなどで息があがって深く息を吸った所に、歩きタバコクソ野郎の副流煙が紛れ込んでくる時です。高校の部活の時に何度かありました。それともう一つは、氷を噛む瞬間。昔からダメです。そして最後に、「選考結果のお知らせ」という件名のメールを見つけた時です。今はもう見ることがあまり無い、というより見慣れたので良いのですが。
 そんな悪臭が消え去った後、お花を摘みながら、喉の渇きを潤す方法を考えていました。店員さんがカマっぽそうだったので少し色目を使ってみるか?と考えました。同性愛者にはモテる方なので、もしかしたらと思いましたが、成功した時の後処理が酷く大変そうだったので却下です。はたまた、悪事に悪事を重ねるべきでしょうか?いや、これはモノホンの犯罪になってしまうのさすがにマズイでしょう。万引きダメ、ゼッタイ。(自転車盗も犯罪です)。さて、その他には・・・。
 そう思って滝の水が枯れると、寒風で腹を冷やしたせいか、急に便意に襲われました。便意の王がスタンドバイミーしてるほどの強烈な便意です。僕はいてもたってもいられず、ズボンを降ろししゃがみ込みました。
 江戸期の人は人糞すら金肥と呼び、肥料としていたと聞きます。大名やお偉いさまは良い物を食べているので、その分だけ栄養に富んでいるという話を聞きました。真偽はわかりませんが、もし現代でもその制度があったならば、僕は今排泄した大地の肥しを換金して、水の一杯でも買った事でしょう。しかも、かなりの儲けが出そうな量です。しかし、ながら時は現代。その願いはかないません。
 代わりと言ってはですが、花壇の箱庭の中で金属音が鳴りました。最初はベルトの金具が便座にでも触れたのかと思い嫌な気分になりましたが、そのような位置に金具は無いので違うでしょう。確認の為に座ったまま体をひねり、首をひねり、更には目玉を後ろに向けると、なんと銀貨が落ちているではありませんか。僕は目を見張ります。その予期せぬ銀塊の出現に驚きを隠せません。いったい何の銀塊だ!落ち着きのない僕は尻を拭くのも忘れてズボンを履こうとしてしまいました。しかし幸いにも、ズボンが太ももまで上がった所で自身の金肥が目に入り、その柔らかさたるやを見たので、未遂となりました。未来談になるでしょうが、その時に思いとどまっていて本当に良かったと、後の僕は思いました。その下着での帰り道は地獄どころではなかったでしょうから。恐らく、気持ち悪い以外の言葉は無くこの先を語る羽目になっていたでしょう。
 さて、菊の御紋の入った門の周辺にこびりついた金肥を拭った僕は、ズボンを履き、レバーを引いて金肥を水に流し、体の向きを変えて改めて銀塊と対峙することになりました。なるほど、100円玉です。恐らく、ジーンズの前ポケットにある小さなポケットの中に入っていたのでしょう。確かにそこは一切探していなかったかもしれません。
 何せよ、そこに入っていたのが100円玉で本当に良かったと思います。もしこれが50円玉だったら何も買うに買えない苦しみで憤死していたでしょう。死因は憤死なんて歴史に名を残しそうな最期ですから、それはそれで興味はありますが、危急な喉の渇きを満たす方が優先です。
 兎に角、その100円玉はタイルの上に謎の液体に半分浸された状態で落ちていたのです。
 トイレにある謎の液体の正体は何でしょうか。それに考えをめぐらせて、ことの重大さに気が付きました。
 これは試練です。大きな試練です。100円を取るにはこの謎の液体に触れねばなりません。100円が欲しくば俺を倒していけ、と100円玉が言っています。もしこの液体が、水兵服にその柔肌を包んだ眉目秀麗な女子学生の物であるならば、一抹の抵抗感と共に嬉々として掴みとったでしょう。絹のような黒い長髪であれば猶嬉しいですね。しかしながら、もしそうでなかったら、と考えると非常に躊躇われてしまうのです。いや寧ろ、座ってお花を摘む女性が花壇の外に泥をまき散らすでしょうか。いえ、しません。その可能性はかなり少ないでしょう。ということは、この液体は男性のモノである可能性が高いのです。手を洗った水滴が落ちただけという可能性もありますが、それにしては量が多い気がします。
 なお、万が一にその液体が理想の女子学生の物であった場合、僕が"嬉々とする"のは"液体に触れて嬉々とするのではない"ということだけは、僕の沽券に関わる問題である為に一言付け加えねばなりません。いかに僕が下品といえども、そのような趣味は持ち合わせていないのです。そこだけは念を押しておかねば。
 この状況は男女兼用であることが多いコンビニだからこそ起きた忌々しき問題でした。もしこれが、男女が明確にすみ分けられた、例えば駅の花壇などであったならばこのような逡巡に苛まれることは無かったのでしょう。男のものなら嫌々に取ればいいのです。端からその覚悟をしていることでしょう。けれど、女性が使うという可能性が僕に一抹の背徳感と原子よりも小さいスリルを与えて、この状況を試練へと姿を変えてしまったのです。
 もっと早くこの100円の存在に気づいていれば、こんな事態にもならなかったでしょうに。僕は自らの運命を呪わずにはいられませんでした。
 結局、僕は水道から水を手桶で救い上げ34度、その100円めがけて水を撒くことで不浄を清め、彼の銀塊を掴むことに至ったのです。その後も2度ほど手を石鹸で浄化し、遂に僕はその宝を手に入れたのでした。男性由来のものとわかれば、何の背徳感もありません。ただの嫌な作業です。
 その後、花壇から出てきた僕の顔は晴れやかだったと思います。天にも昇る思いでした。飲み物一本を買えることがこんなに幸せだとは。喉が潤うということがこれほどまでに希望に満ちることだとは。嬉しくて仕方がなかったのです。多分、僕がこれから飲む飲み物は、僕の生涯で最上級の美酒となるでしょう。あとは、その美酒をどれにするかが問題です。
 そう思いながらショーケースを見て、私は愕然としました。
 100円じゃ飲み物買えないじゃん。
 これは予想外でした。お金があれば何でも買えると思っていたのですが、全くどれ一つ百円玉1枚じゃ買えません。水すら買えないのです。消費増税のせいで、税抜93円と書かれた水も100.44101円に値上がりしているではありませんか!以前ならば97.65円≒98円で買うことができたのに!まさかここで1円に泣くときが来るとは思いもしませんでした。やはり件の選挙の時は支持政党無しと書くべきだったのです!何たる屈辱、何たる悲劇!反アヘ政権!尿瓶党の暴走を止めよ!プライバシー保護法反対!護憲の旗を掲げよ!我、憤死も厭わぬ!と憤慨していた時のことです。後方でピッという電子音が鳴りました。
 その音が福音ともいえる奇跡の音色に聞こえたのです。レジの前には龍がプリントされた黒いウインドブレーカーを着た男が立っていました。男はその手に持ったカードを、青く光る魔方陣が描かれたような台に翳し、お金を払うことなく精算して、その場を去ったのです。ありがとうございました、という無駄に甲高い男の声が店内に響きました。そして僕もまた、陳列棚から見たその男の広い背中の残滓に、ありがとうございましたと心の中で呟いていたのです。モーゼが海を割ったように、その男は僕の未来を切り開きました。今の僕ならばモーゼ<DQNの不等式を導き証明できるでしょう。僕はその賢者の残像を、感謝の念と共に暫く見つめていたのです。
 僕の目がその残像をとらえきれなくなると、僕はすぐさまジャケットのポケットに手を入れました。そして、ICカードを取り出したのです。そうです、この中には10数円の金額が入っています。それは電車に乗った時に確認しました。それを用いれば、水を買うことができるではありませんか。その発想に至るまで、僕一人では30分かかったでしょう。しかし、賢者が私に閃きを与えてくれました。そして、このスマートなソリューションを短時間の内に実行することができるのです。
 僕はすぐさまケースから水のボトルを掴みとり、それを左手に握りしめながら、陳列棚の合間を縫うように歩きました。そして数歩の後に立ち止まり、屈むことでテロルチョコ一つを手に入れて、踵を返し、またレジへ向かって行ったのです。そして、レジの台の上にその二品を乗せ、全てを精算することにしたのでした。店員の挙動にも発言にも一切注意を払いません。全てをチェックし終えた店員が口にした合計金額など気にもせず、僕は魔方陣にカードを掲げました。そして「あれ、チャージしてなかったっけ」と独り言を漏らして、ポケットから100円をわざわざ取り出しました。全ては順調に進み、予定通りに進みました。念のために品物を袋に入れてもらって、僕はカマっぽい店員の謝辞を背に、外にでようと思いました。
 しかし、手足の痺れは未だ癒えません。脊髄が氷柱でできているかのように冷え切っていました。背泳ぎしているように背中は汗冷えしています。ホットテックであればもっと寒い地獄を見ていたでしょう。私服のダサい僕ですが、機能性のある服に価値を見出すので、速乾性のある服で本当に良かったです。だいたい、なんでただの綿の集合体にどこぞのセレクトショップやブランド店で云千円、下手をすれば云万円を払わなければならないのでしょう。病院か銭湯、または夜這いの時にしか他人に見せないパンツに何千円というお金をかけるのも同様に僕は納得しかねます。見せパンは女性だけでいいのに、昨今は男性もやっているようで、僕らからしたら男性用ブラジャーつけている並みに奇異なことのように映ります。ファッションとは酷く難解です。
 とにかく、お金があろうとなかろうと、プチストップを選んだのにはイートインスペースを利用するため以外に理由はありません。窓側に二つ、店の内に一つのL字に配置された3テーブルの内の最も店の内側のテーブルに座ろうとしました。生憎、どこぞの無作法者がその机にコーヒーの数滴を垂らしたらしく、やや心象を悪くした僕は、寒さ漏れ出る窓側に座ることにしました。腰を下ろすと、太ももにどっと疲労感がやって来ます。藤沢の街はほぼゴール地点ですから、恐らく28kmくらいは進んでいることになります。ゆっくりとは言え途中にアップダウンも何度かあるわけですし、ちょっとスピードが乗ると速度を維持したくなりますから少し踏んでしまってもいました。なにより、車の妙なプレッシャーがあります。クラクションは鳴らされるし、僕を抜かんと後ろに付ける車だらけですから、そうチンタラも走ってられないのです。もちろん、自分のペースで来たのは間違いないのですが、無意識に必要以上に力を入れている時が何度かあったのも事実でした。おかげで、足は想像以上に悲鳴を挙げています。無論、普段の運動不足が最も大きな原因なのですが。
 悴んだ手に食い込むボトルキャップの痛みに耐えながら、なんとかその封を切ると、僕は一気にゴクゴクと2ゴクできるほどの量を口に入れました。今までこれほど美味なH2Oがあったでしょうか。風に直に触れて干からびた喉に冷たいながらもジンワリ染み入る温かさが拡がります。水はやや舌に巻きつくような重みをもち、それでいて余計な後味も無く喉を滞りなく流れる、素晴らしい飲み物でした。コンビニに行けばコーヒーやお茶やらを普段から買っている僕には驚きの発見でした。液体は胃まで浸食し、自身の熱と融和し、吸収されていくのさえわかるようでした。美味しい水でしっかり回復できるポケモソの気持ちが初めてわかりましたよ。
 アルコールゼロ、糖質ゼロ、カロリーゼロ、味ゼロのアクアという美酒は半分ほど残しておき、次は食事です。小さなテロルチョコを口に入れ百回近く咀嚼し、その個体に秘められたエネルギーの全てを回収しようと試みました。水を少量口に含み、臼歯に張り付いた物さえ流し取り、エネルギーにしなくては。今年最後の晩餐がテロルチョコ一つというのは何とも悲しいですが、疲れた体にはその一包さえ尊く、レディバのチョコの高貴な一粒と思えるほどの美味でした。
 食べるという行為はこれほどまでに美しい行為だったでしょうか。食の数々は普段、腹が減らずとも快楽的な欲求のままに多くをほおばり、または、家畜の飼料のように義務的に挿入されてきました。女性との食事では下心を飲み込んでいただけの時もありました。多分、そのどれもが今僕が口にしたテロルチョコより遥かに高価で、味の在った物だったはずなのに、そのどれにも思い入れがありません。しかし、このテロルチョコの一粒は思い出になるに違いありませんでした。キモナコチにしようかコーヒーガヌーにしようか迷ったことも、テロルチョコにしようかガリガリ梅にしようか迷ったことも、きっと云十年後も覚えているでしょう。
 そんな感慨が心をあっためたのか、体もやや熱を帯びてきました。足先にも指先にも血が通い始め、頬は初めて好き人の家に電話をかける時みたいに火照っていました。(勿論玉砕)こうして店内が温かいことは冬の一幕においてはそれだけで人を癒す効果があると思います。今の勤め先は隙間風が寒くさえ感じる時もあるので、年が明けたら店長にしっかりと言わねばならないと思いました。暖かい、とは素敵なことです。
 店内の時計を見れば22時半を過ぎた所でした。今年もあと1時間半で終わりです。それまでに、何とか海に出なければ、と思いました。しかし、ここでふとした疑問が浮かびました。自分がここに何をしに来たか、です。初詣かと思いましたが、多分僕はそんな人混みが多い場所へ行く発想を持ち合わせてはいないでしょう。星を見に来た、という線もありそうですが、仮にそうならば目的の殆どは達成してしまった気がします。その上で導き出した答えに、初日の出を見る、というものがあります。もしそうならば、そこには異常な苦難が待ち受けています。第一に、寒すぎるということです。この街に入ってきた時点で、風が常にややあるということを感じています。それにこの気温。この寒空の下、これから6時間以上も外で待つなんてことは間違いなくできません。凍死してしまいます。
 第二の理由に暇すぎる、ということです。6時間、どこにいれば良いのでしょうか。誰といればいいのでしょうか。何をしていればいいのでしょうか。他の人だったらば何をするか暫し考えました。例えば漫喫。しかしながら、お金を持ち合わせておりません。ファミレスもそうですね。普段であればドリンクバーでゆうに5時間は過ごせます。デパートのベンチに座る、というわけにもいかないでしょう。営業していませんし。都内での待ち合わせにはよくやります。東京駅周辺の百貨店はトイレも本当に綺麗ですらね。臭いもしませんし、シックで落ち着いた雰囲気で、僕の住処よりかは全然腑に気が良いですね。もし、今の住処が僕だけの部屋でそこに彼女を呼んで情事に勤しむのであれば、多分コレドのトイレの方が良いムードで勤しめるでしょう。そっちのほうが全然良いです。
 誰かと一緒にきていたならば、時間も潰せたでしょうが生憎1人。独りじゃしりとりもできません。ハジカクノパワーもできません。もちろん情事も。一人でもできますが、しても体力を消耗するだけですね。そんな玄以はありません。
 外に出てまた自転車に乗る、というのも正直億劫です。寒くて仕方ないですからね。後々に乗ることにはなるとおもいますが、今はもう乗りたくありません。疲れて、寒くて、眠いのです。
 そう、眠いのです。そう認識したら急に睡魔が襲ってきました。瞼に剛毛のジャングルが生い茂っているように重いのです。こめかみあたりから生えてきた小人達が目じりに寄ってきて瞼と瞼を溶接していきます。手を止めたかと思えば、まつ毛が異様に長いと僕を罵っているらしく、切る切らないで、彼らはもめているようです。太り気味のキレやすそうな小人は何で分かってくれないんだ、と地面ならぬ僕の皮膚を踏みつけ、その地団太が角膜をくすぐり、目はシパシパ。そんな井戸端会議に業を煮やした眼鏡のひょろい小人が、何かを瞼の両岸にまき散らしました。黄色い粉。まるで、花咲かじいさんが種をまくように撒かれたのです。その粉はどんどん成長していき、キノコのような形となって両岸をに生えそろいました。そのきのこはナメコのようにテカテカと光り、今度はその菌糸を蜘蛛の糸のようにそれぞれの対岸へ射出したのです。瞼の岸の上下はベタ付いた糸に手繰り寄せられ、割れ目を閉じていきます。その修復のようで浸食のような「閉じる」は、どんどんと目じりからにじり寄って、視界はジワリジワリ暗闇へ。水晶体の中に閉じ込められた僕は、大地が閉じていくような光の消失に為す術もなく、シリコンのような水晶体の膜を拳を振り上げ殴打するのです。光を!奪わないでくれ!それでも、ぬるく、やわらかいのに、割れもしない膜。瞼の外にあるであろう光も感じられなくなり、本当の闇が降りてきました。自分の手の位置も分からない漆黒。肩の可動範囲で前後上下を手探るものの、手を振り上げることもままなりません。膜が迫って来ているのだと分かりました。僅かにひやりとするその壁が、全身を撫でるように包み込んできます。全く抵抗ができなくなり、身体の自由を奪われ。ただそれは、マシュマロのような弾力と僅かに低い温度を保ち、それでいて脂でしっとりとしています。まるで人肌です。身体の自由の全てを膜に奪われて、自分が浸食されていく感覚だけが脳に伝わって、脳内がそれでいっぱいになっています。
 膜膜膜膜膜模膜膜膜膜膜膜膜膜膜膜。どうやら膜僕の脳内にもその膜が入り込んできたようです模ふわふわと膜のことだけ考えていればいいような気がしてきました模それで僕は幸せになれるような気がします模気もちいいとは違うけれども膜思考を放棄し膜一つの感覚だけに肉体も精神も預けられるとは何て素晴らしいんでしょうか模膜膜膜膜膜膜膜膜膜膜膜
 「お客さん、大丈夫ですか?」
身体がビクンと跳ねました。自身の身体の挙動に驚き、瞼を開けるという動作を反射的にすると、物が見えていました。机の上のペットボトル、テロルチョコのカス。くすんだ白いテーブルと、それを縁取るヒノキ色の木枠。目の前には顔。見たこともない顔。女性だというのは分かります。鼻はスッと立ち、褐色の眼鏡をかけ、髪は艶やかに黒。切りそろえられた前髪が暖房の風にわずかに揺れています。なんでそんなものが見えるんだろう、という概念が特急列車のように通り過ぎ、僕は僕という我に帰省しました。
言葉にならない言葉を発し、何かを言いかねていると、目の前の女性は少し笑って言ったのです。
 「もうすぐ年が明けますから、起こした方が良いかとおもいまして」
 恥ずかしさが暴発しました。彼女の笑顔は確かに笑顔でしたが、明らかに滑稽な物を見たというような笑い顔でした。
 寝ていた。そう、寝ていたのです。先ほどのは夢でした。本当に夢だったかも怪しいほど生生しい感触ですが、当然ながら夢です。むしろ、その現実の感触と起きていることとの乖離への疑問が僕を正気に戻したような気がします。気持ちいいけど、これって何、という疑問です。そうして夢から覚めることはよくあるではありませんか。
 けれども、夢じゃないことが一つありました。目の前の店員さんの存在です。マジでタイプ。ものすごくタイプ。幸薄そうな雰囲気がまた美しく、儚さを感じさせて、父性的な愛おしさと独善的な支配欲が胸をくすぐります。彼女はめんどくさそうな客が来たとさっさと立ち去っていたものの、その女性的な匂いが鼻孔を撫でると共に、首が彼女を追って廻ってしまいました。その後ろ姿は、決して凛々しいモノじゃありませんでしたが、愛苦しさを覚えます。決して女らしくなく、とびきり可愛くなく。しかしその不完全さが僕に同情的な同族意識を芽生え指すのか、それとも無意識の優越ともいえる仲間意識を感じさせたのかは定かではありません。
 何より、わざわざ年越し前に僕を起こしてくれたという気遣いに感動しました。無視しておけばいいものを、敢えて他人という僕の存在を気に留めてくれたのです。彼女の中には"僕の年越しを寝たままで終わらせて良いのか"という思いが少なからず存在しているに違いないのです。良い子だ、なんていい子なんだ。僕だったら無視して放置しておくよ。
 すごく、気になります。彼女の好きな食べ物は。好きな場所は。好きな音楽は。休日何しているの。今何歳。彼氏いるの彼氏いるの彼氏いるの。
 当然で残念ながら下心しかありません。けれども何か話すことないかと思い、色々考えました。が、全く浮かびません。浮かんでも明らかに彼女は興味がないだろうと思える事ばかりでした。
 というよりも、考えてみれば、自分に考えがありません。「お店」においてのお金だけの割り切った関係、言い換えれば契約関係の中での立ち振る舞いは問題なくこなしてきました。相手にはお客であるという関係性と求められていることを果たす目的があります。僕は求めているものを、女の子が提供してくれるだろうという前提で、それをお金で買えばいいのです。だから、会話は女の子の仕事であり、僕の仕事ではありませんでした。少なくとも、僕は何の努力もせず男の人になれた気がしていました。故に、僕は会話の主導権であり、それでいて会話の根源である「興味」というものを女の子たちに丸投げしていたのです。相手は興味を持ってくれているものだというコンテキストの上でしか、僕は女の子と話したことが無かった。その事実にやや落ち込み、呆れて笑うしかなかったのです。そりゃ、今この場で店員さんに声をかけることはできやしませんよ。そんな覚悟の無い者には、どだい無理な話です。
 しかし幸運にも、可及的速やかに解決しなくてはいけない問題が一つあることに気付きました。下心も放置して確認しなければいけないことです。僕はそのアイデアが生まれるや否やすぐに椅子から立ち上がり、歩くという動作を実行しました。数歩の最中、店内を見渡してほかの客がいないことを確認しつつレジの前に行きついたのです。僕の存在を認識するために店員さんが顔を上げるや否や僕は聞くのでした。
 「すみません、今何時ですか?」
 聞き返すのとも、返事をするのとも違う取り留めのない「はい」という返事を彼女はしました。可愛い。
 「あぁ」と何をしなくてはいけないかを認識したのか、ぴくっとわずかに体を震わせたところで、右腕を上げて時間を確認しています。成程、左利きなのか。
 「えーっと、1145分、です」
苔の生えたような低い声、口を使わずに発音される舌足らずな応え。やはり、カワイイのとも美しいのとも違います。目は大きくもなく、胸もない。全てのパーツが雑草みたいに散漫と存在しています。何がここまで僕の興味を引くのか解りません。それでも、ひとめぼれというのは米でもなく理由もなく、恋とわかる感性の問題なのです。
 ちなみに申し遅れましたが、僕は蛮族です。泣く子も黙る蛮族です。なので、レジの上から彼女の胸元へ手を伸ばし、襟首を掴んで彼女を犯しました。

 (飽きた)