2015年9月27日日曜日

心が叫びたがっているんだ。(二周目)

急遽休みになったので、心が叫びたがってるんだ、二周目見てきました。
゙必要ない゙とがいらない゛とか人から言われたことがある人は、響くアニメだと思います。

「災厄からの救い」
自分の存在が災厄だと思ったことありますか?自分のせいで人が不幸になり、自分のせいで煩わしくなったり苛立たせたり。そんな風に人を思わせる自分ば災厄゛で゙最悪゛だと思うことはありますか?
自分は毎日のように思っています。
僕が部下じゃなかったら、僕がこの家にいなかったら、僕が僕という人間じゃなかったら…とか毎日そんなこと考えてしまいます。
そうならないために、努力はしなければなりません(なかなか報われないものではありますが)。その努力を見ていてくれる人が、この世界には存在するということを感じさせてくれるアニメだという一つの見方もできると思いました。
例えば主人公、成瀬順を多くの級友が認めているのばがんばっている゛ことです。彼女の才能とかではありません。
何かを伝えようと必死になってる順ちゃんをもっと他の皆に見てもらいたい、という思いが周りの人達から溢れてくるのは素敵な゙優しさ゛だと思います。
あともう一つの例として、田崎君の友人、三嶋君が彼を庇う姿にも同じようなものを感じます。
あとは、坂上君が成瀬順を庇うところもですね。
いずれにせよ、本人が知らない魅力や努力というものを他人が知っているという事実を描いてる気がしてならないのです。
自分の知らない魅力、努力。(もちろん欠点も)
これって他人と関わらなければ分からないんですよね。
゙世界が広がる゛ってこういうことを言うんじゃないかと、思います。
そうして、世界が広がって、人は救われるのです。
誰かが私を見てくれて、それを好きだと言ってくれて、罪悪感から幾分か解放され、世界に居場所を見つけて、人は初めて救われるのです。

 「救われる為の゙言葉゛」
 それに気づく為の遣り取りをする手段が、どうしたっで言葉゙なんです。どうしたって。ここさけはこの言葉にも勿論焦点を当てています。
 ゙世界が広がる゙時、場合によっては、自分も他人も知らない自分が言葉になって表れるかもしれません
(そういうのが悪意や狂言と呼ばれるものでしょう)
大抵の場合は、自分と他人の知ってる自分や、自分だけが知ってる自分、他人だけが知ってる自分が、誰かとの言葉の遣り取りの中で生まれます。
それはフィーリングとかだけではどうしたって伝わらないんですよ。
 言葉というのは、意思伝達の為の共通記号なはずです。梨の音を奏でても全員が梨とは判断できませんし、梨の匂いを嗅いでも全員が梨とは判断できません。梨の味がしても全員が梨とは判断できませんし、梨を描いても全員が梨とは判断できないかもしれません。
でも、「梨」の字一つで、全員がそれぞれに思う梨を想像できます。言葉とはそれだけの一般性を含んだものなのです。
ですから、言葉で遣り取りするということは非常に具体的で客観的、反芻可能で再現可能な、僕ら人間のみに許された非常に便利な意思伝達手段だと思います。
 だから、誰かに何かを伝えるにはやはり「言葉」で在る必要があるのです。分かりやすく、主観の混じらない言葉を伝えなくてはならないのです。
「言葉にしなきゃ伝わらない」ってやつです。

 「音楽の力」
だのに、世界は言葉にするのを躊躇ったり、煩わしく思ったり、恥ずかしかったりする人が多くいます。それは「不器用」なだけで、一種の個性であり、決して糾弾されるべきものではありません。
そんな不器用な成瀬順が「音楽の力」を借りて人に何かを伝え続けようとする姿が描かれます。
そう、「音楽の力」もまたこのアニメのテーマだと思います。
不器用な人間が、言葉以外で伝える為に努力し続ける。その手段の一つが、音楽として今回は描かれました。
何故音楽が、言葉以上の価値を持つのかは語りきれるものではありませんが、それで伝わる事があるのは言うまでもないでしょう。割愛。
しかし、不器用な成瀬順にとってのコミュニケーションの手段が音楽であり、音楽にはそれだけの力があるということを、不器用かもしれない監督長井龍雪にとってのコミュニケーション手段であるアニメで僕に伝わりました。芸術とはそういうものだと思います。
言葉にできないものを試行錯誤して、丹誠込めて作り、言葉以上を伝える。アニメの力をも感じられる作品です。

「コミュニケーションとは傷つけることが目的ではない」
ただし、言葉にすること、伝えることで人を傷つけることも多くあります。
言葉は誰かを傷つけるのです。
どんなに゙心が叫びたがっていても゙、人を傷つけて良い理由にはなりません。
「消えろとか簡単に言うなよ」、って成瀬順が激昂するシーンがあります。
あれは「心が叫びたがっている」シーンなのに、何故誰も幸せそうに描かないのだろうと、ふと思ったのです。
田崎君が陰口を言われるシーンや、通りすがりの女性に「無理」と言われているシーンもそう描いてました。
あぁそうか、「言いたいことを言う」は、誰かを傷つける為に使ってはいけないんだという戒めなんだ、と思いました。
 「言いたいことを言う」がまかり通って「キモイ」だの「うざい」だのなんだのが流行り、多くの人が死地や絶望に追いやられました。これは「言いたいことを言った」結果なのでしょう。でも、誰も幸せになってないんですよ、これ。言われた方も言わずもがな、言った方も「言う必要のないこと」を言っただけであって、誰も幸せになってないんです。
 「言いたいことがあるなら直接言えばいいじゃない」と以前、うちの子に言われましたが、多分それは「傷つけるための言葉」だったから言うべきじゃないと思ったのでしょう。
 友人の言葉が思い出されます。「批判と非難は違う」と。
 人を傷つける為に、人に何かを伝えて良いわけがないのです。安部死ね(敢えての誤字)と言っている人たちに幻滅するのはこの部分なのかもしれません。
巷によくいる「一回殴って良い?」だのと軽々しく口にする人たちも同じです。人を傷つける為に人にものを伝える人たちです。(俺の人生はこういう奴らにぶち壊されたとも言えます、吐き気がします)
 僕らは誰かを傷つけるためにコミュニケーションをするのではない。僕らは誰かを傷つけるために表現をするのではない。僕らは誰かを傷つけるために言葉を持ったのではない。
 分かり合うために言葉を持ち、表現をして、コミュニケーションを図るのだ。そう、僕には思えます。

 「分かり合うこと」
しかし、劇中、成瀬順は坂上君を傷つけます。散々罵ります。でも、それを聞いて坂上君は涙するのです。その涙の意味だけはイマイチ飲み込めないのですが、しかしながら、傷ついた様子はあまり見えません。
おそらくそれは、傷つけられる側(坂上君)に覚悟があったからなのでしょう、分かり合うための覚悟が。坂上君は、成瀬順を分かる為に、傷つくのを覚悟で叫びたいことを叫ばせたのだと思います。だからその後、成瀬順も坂上君に傷つけられるのを覚悟しながら、聞いたのでしょう。本当に分かり合うために。
このシーンでの、二人の会話は相手を傷つけるための会話だったでしょうか。多分違います。
言葉にしないことで起きるすれ違いを、衝突させて消したのでしょう。互いに一歩を踏み出すために。互いを思いながら。
この日本じゃ波風を立てないというニュアンスで、衝突することが悪いみたいな風潮がややあります。しかしながら、互いの進歩の為の衝突はあるべきだと思います。(語気が荒くなったりするとそれはともすると喧嘩になりかねませんがね)。互いのために、進むために衝突はしてもいいのだと思います。
相手を思いやることが根本にある衝突はあって然るべきだと思います。

「誰かが100%悪い訳じゃない」
世の中全部、そうだと思います。100%の悪意で誰かがアクションを起こしてるのではないのです。
成瀬順は、仁籐菜月は、坂上君や田崎君は自身の不甲斐なさに涙します。誰かが100%悪いのではないことを知っているからです。
そのことを知る寛容さと、精神的に進む向上心、心が叫びたがることを伝え、ジョハリの窓を全て見て、他者と分かり合う。そして、ともに進む。
その先に何が見えるのでしょうか。

多分、世界が美しく見えるのだと思います。
この世界を抱きしめたくなるのだと思います。
愛してると、誰かに伝えたくなるのかもしれません。

僕が今伝えたいことは、とりあえずこんなもんでしょうか。

2015年9月7日月曜日

まぼろし


 目に見えているものを数えてみた。
 ダッシュボード、光の落ちた計器類、オレンジの街灯。窓の外には高温すぎる地平線が熱を帯びて完全燃焼していた。屋根と梁だらけの狭い視界の中で、生まれかけの群青が雲みたいな綿ぼこりを白く焦がしている。質量のある空気が、私にのしかかっていた。
 私はというと、暑さに起きたのだった。一瞬、ここはどこだろうと思案する。眠気に潰された瞼を持ち上げ、顎を伝う汗を甲で拭いさりながら、思案する。
 昨日のこと。あれは確か、仕事終わりだった。しがない会社で、お茶汲みすら含まれた事務仕事を終えて、虚勢だらけのださい制服を脱いでる最中だった。
 アルミの板が増幅した携帯電話の振動に驚いて、ロッカーに手を伸ばした。周りに誰もいないことを確認し、視線を右手に持ったディスプレイへ運ぶ。
 『海へ行こう』
 そんなメッセージが届いたのだった。
 『今から?』
 『今から』
 『急すぎるよ』
 『明日休みでしょ』
 『そうだけど…』
 『じゃ、最寄りの駅に7時ね』
 現在時刻、1815分。多分彼のことだから、もういるんだろう。そう思った。
 返信することもせずに早々と着替えて、足早に退勤。金曜日のコンパ好き同期に会うのも煩わしかったので、私は誰にも挨拶せずにビルをでた。彼を待たせるのも申し訳ないし。
 徒歩15分、ベッドタウンと都会の境界に位置する会社のほとんどが、長い。距離を歩く。それを知っていて駅を集合場所にするのが彼らしい。ややもすれば気が利かない、そういう奴だった。
 通り雨のにおいで蒸した道すがら、私は言うのだった。
 『会社今出た』
 すぐに返事はないか、と諦めてバッグにしまおうと思ったときだ。
 『ごめん、ほんの少し遅れる』
 との一報。忘れ物かなんかだだろう。残念ながらすでに待ち合わせ場所にいるという予想は外れた。
 『わかった』
 そう返事をして、私は電話と入れ替えに、小さな水筒を取り出し、暑さを紛らわすようにヒヤリとした水を飲み、歩調を緩めた。9月だというのにまだ暑い。
 
 駅につくと彼はいた。待った?と聞いてくる彼に「今来たところ」と返す。
 よし、と言いながら、彼は私を車に誘った。

 そう、そこまでは覚えていたのだが、その後の記憶がない。が、そんなことはどうでもよかった。運転席には誰もいない。エアコンも切れている。ここは蒸し風呂状態だ。だくだくの汗が不快さを増す。本当にあいつの気の利かなさはすごい。にわかに苛立つ、私。ただし、にわかにだ。
 暑さに耐えかね、私はすぐにドアを開け外に出た。ふわっと強めの風が吹く。肌の水滴を通して熱が吸い取られ、私の体温は空に舞った。額や腕、首筋までのすべての汗が、火照った体を穏やかにする。リネンのブラウスが肌をくすぐるように触れて、その微細な隙間を風が通り過ぎて行った。
 気温はやや暑いけれども、海風は心地よい。くすんだ潮の匂いが鼻腔と肌に積っていく。舞いあがり、頬に張り付く髪を手櫛で撫で、耳にかけた。
 ここは海だと思いながら、未だ深く碧い地平線を眺めていた。
 陸と海と。その二択しかない光景が、私は好きだった。星はまだ輝きを失わずに空に散りばめられていた。都会とは違う夜空が、私は好きだと思った。絶えず吹く風が耳元でざわつくのも、私は好きだった。誰もいない静けさが、好きだった。
 どうして。
 誰もいないの。
 久々に見た自然の大きさに包まれて、私はすっかり忘れていた。
 あいつはどこだろう。
 半開きにしたドアからバッグをあさり、小さなタオルで汗を拭く。
 電話をとる。
 ここは、彼は、どこだろう。
 『どこにいるの』
 『あ、起きた?砂浜にいるよ、おいで』
 『嫌だ』
 待ってみたものの、既読はしばらくつかなかった。
 その無言の返事を見て、数歩歩いて、駐車場を作る石垣から海を見渡した。
 なるほど、確かに彼は砂浜にいた。ベージュ色のシャツの丸い背中が、砂浜に落ちていた。景色と同化しているみたいに、ピクリとも動かない。薄暗がりの中でなんとか見える彼の姿は、かろうじて見える星みたいだった。とめどない地平線のせいもあって、ひどく遠く感じた。単調で広大な砂浜と海が、遠近感を奪っているだろう。視界に移るすべてが際限ないせいで、彼はとても小さかった。
 車の中のバッグを拾い上げ、彼のもとまで歩きはじめた。

 コンクリートの階段下り、少し歩いてわかったのは、ゴミも散る砂浜を歩くのは苦労だということだった。しかも、ヒールで。決して高くはないヒールの足は砂に埋まり、非常に歩きづらい。靴の中にまで砂が入り込むのもわかる。思うように進まない。 
 諦めた私は打ち上げられた適当な流木を見つけ、腰かけた。靴を脱ぎ、揃えて木の上に置く。ストッキングも脱いで、砂を払い、畳んで靴の上に置いておいた。そして、私は素足のまま小さな砂漠をまた歩く。
 足の指の間に砂が入り込み、それが不快だった。貝殻みたいなかたい何かがあたるたび、ときどき痛かった。潔癖症というわけではないけれど、こういうのはあまり好きじゃない。わずかだけれど、彼を恨めしく思いながら、ゆっくりと進んでいった。蜃気楼みたいな、保護色の彼のもとまで。
 歩き続ける最中、彼は本当に微動だにしなかった。本当にあれは彼なのか、むしろ人なのか心配するほどだった。ひたすら海に面し、体を丸めて、砂浜にそれは置いてあった。保護色になって若干見づらい彼は、もはや蜃気楼みたいだった。

 しかし、果たして彼は間違いなくそこにいた。別人でもなく、他人でもない。顔を見なくても、その後ろ姿を見ればわかった。彼の後ろに立って、見覚えのある背中を感じる。
 「ここ、座りなよ」
 そういって彼は、体の前に隠しておいていた小さなイスを私に差し出した。驚かしてやろうかと思っていたが、気づかれていたか。
 私は「うん」とだけ言って、横に座った。
 「コーヒーでいい?」
 そう聞きながら、バッグをあさる彼。紙封筒みたいな袋をだして、水筒を取り出した。
「ちょっと待ってね」
 私はうなずく。
 彼は小さな三脚に乗ったカメラを前に据え、写真を撮っていたようだった。ご丁寧に小さな机もある。コップも二つある。コーヒーが入ってるらしい袋を机の上に置いて、お湯を注ぎ始めると、香ばしい香りがした。本当にコーヒーのようだ。
 「ここどこ?」
 「大洗」
 いつぞや一緒にいこうと言ってた場所か。彼にとって所縁の地だとか。
 ふーん、と気のない返事をすると、私は話すことがなくなった。
 彼はひたすら、海を見ている。
 電話でもいじろうと思ったけど、車に電話だけ忘れたみたいだった。だから、私もひたすら海を見ることにした。
 押して寄せる波。果てなしの碧い空。その境界をなぞる日の朱色。雲と、隙間からのぞく星。ただそれだけだった。
 目に見えるものは、本当にそれだけ。
 風のざわめきと、うたかたが立ち消える音、そして、かすかに聞こえる音楽。
 彼は小さなスピーカーで何か聞いてるようだった。それも、消え入るような音で。
 聞こえるものは、本当にそれだけだ。
 「きれいだね」
 彼はふと、私に問うてきた。
 私はうなずく。
 きれいだった。
 ただ、それ以外の感想は浮かばなかった。
 そうして数分が過ぎて、彼はコーヒーを注ぎ、手渡した。
 「外で飲むコーヒーは別格だよね」
 ため息ひとつついて、彼はそう言ってきた。
 「うん」
 私はそう答えた。確かにおいしい。どんなバタースックスのコーヒーより美味しく感じた。
 ふと彼の海を見つめる横顔を見ると、ときおり深呼吸しては、ただ、海を見ていた。険しい顔をしているわけじゃないけれど、ぼんやりと遠くを見ていいる。
 私も真似をしてみた。ただ、海だけを見る。雲だけを見る。空だけを見る。どれもしてみた。けれど、ちょっと耐えられない。じっとしてられない。よくあんなことができる。何を考えているんだろう。
 改めて彼をまじまじと見ることになった。カッコイイわけでもない、むしろ頼りなさすらある。なんで私はこの人といるのだろうと、ふと思った。
 もう一度、海を見て、考えた。けれど、答えは浮かばない。どうして、私はこの人とここにいるんだろう。
 肩と肩が握りこぶし一個分しかない私たちの距離のせいか、ときどき、潮の匂いとは違う塩の臭いがする。汗でもかいているのだろう。彼はあまり暑そうには見えないが。
 そう思って首をひねり、頬をじっとみてみる。汗ばんでいる様子はなし。剃り残したと思しき、髭の長い一本、風でみだされた髪の数本が散らばり、肌には無数の毛穴。そんな皮膚があった。張りはないけれど、温かそうな肌がそこにあった。大き目の鼻、ややも張った頬骨、ぱっちりした瞳。
 少し、体をひねって、首を伸ばせば、唇で彼に触れられるなのだ。意識してみると、無駄に緊張する。まぎれもなく、彼は男の人だという意識が頭から離れなくなってしまった。
 熱に一番敏感な唇で、その体温を調べてみれば、もっと近くに感じられるのかもしれない。私にはない筋肉のついた腕や、大きな体を。空気を伝いジワリとにじり寄るその温かさを、感じられるのかもしれない。そう、思った。思ってしまったのだった。
 
 けれども、そんなことをしても、どうしようもないことを知っている。私は彼の恋人でもないのだから。ましてや、好きという風に思ったことすらない。これは本当だ。ただ、なぜだか彼と一緒にいることが多いというだけの間柄だった。その理由もわからないが、ただ、居心地のいい人だった。彼との間で交わされる時間のやりとりが、私には非現実的にすら思えて。それは穏やかで、柔らかくて、心地よくて。そうそれは、幻のようだった。
 多分、世界のどこにもこういう人はいないだろうな、と思ってしまう。こんな人が二人といるわけがないだろうな、と思ってしまう。なんだか彼は、特別な気がしてならないのだった。
 友人は、「あんたの縁のなさのせいで、彼が世界で唯一の相手だと思いこみたがってるのよ」となかなか辛辣なコメントをくれたが、果たしてそうなのだろうか。
 私と彼との間を恋でつなぐことももしかしたら可能かもしれないし、愛を架けることも可能なのかもしれない。
 だけれども、そうしない理由があるのだとすれば、私が彼を愛してしまっているからかもしれない。愛してるからこそ、もっと違う言い方をすれば、彼の幸せを願っているからこそ、私は彼の恋人にも愛人にもなる気がないのかもしれない。いつかは終るかもしれないそんな関係性は、私たちを言い表すにはどうも適当じゃない気がする。大勢が求めた真実の愛、純愛ではない関係性が私たちにはあって、それをなくしてしまえば、もう二度と修復できないような。そんな予感がする。それが怖くて、悔しい。
 だから、私は私でいるのだ。一歩も進まず、一歩も退かず、彼の横にいるキーホルダーみたいに、私は私でいるのだ。
 それで、私は幸せだった。幸せなはずである。
 愛でもなければ、恋でもなければ、友情でもない。多分、私たちのこの時間は、夢か何かなのでは。幻なのでは。
 
 そんな押し問答を繰り返しているうちに、苛立ち、私は立ち上がり海まで駆けていった。苛立ったのかは定かではないが、なんだかストレスがたまった。
 波がくるかこないかの瀬戸際まで来て止まり、波の往来の真ん中に立ち止まった。空は白み、海原は燃えている。もう夜は帰りだし、すでに朝は萌えている。雲の隙間から光が立ち、消えかけの月が大きく見える。
 知らぬ間に、海は足元までやってきていた。砂を運び、私の足をぬらした。
 海の水はもう冷たかった。その冷たさに思わず、大きな声が出てしまう。
 「大丈夫?クラゲか何か?」
 と言いながらやや慌てて小走りに彼が近づいてきた。なんだか心配してくれたらしい。
 近くに来るなり彼はしゃがみこんで、私の足を見た。
 波が寄せて二人の足を浸す。
 屈んだ彼の足も海につかる。
 「えい」
 私は柄にもなくそんな声をだして、水を蹴り上げた。水が跳ね、滴が白んだ空を舞う。局地的な豪雨だった。
 雨上がり、彼のベージュのシャツは、ところどころ色が濃くなっている。それも結構な面積で。顎や指先から水が滴っている。
 しかし、何の反応もない。怒るでもなく、苛立つのでもなく、仕返しするのでもなく。
 彼の黙りようを聞いて、私は思わず逃げ出した。彼は怒る時はかなり怖い。
 「もうさ、子供じゃないんだから…」
と、彼が深いため息交じりにそんなことを言ってるのは聞こえた。
ただ、私は逃げた。下手したら説教パターンだったから。
 しかし、彼はいいサンダルを履いているせいで、すぐに追いついた。
 スポーツ用ビーチサンダルなど持っているのである。ファッションセンスはないくせに、そういうのは一人前に持っている。
 そうして、追いつき、私の手をつかみ、いうのだった。

「もう子供じゃないし、お互いもういい年だしさ、結婚でもしておきますか?ぼくら。」