2016年7月26日火曜日

アレッタのアイテム士生活

「おい、アレッタ、回復魔法はまだか!」

 ノエルの声が洞窟に響く。二本足で立つ大狼ベオウの猛攻を盾で防ぎながら、ノエルは必死に叫んでいた。
 人の倍程もあるベオウの拳がノエルの盾を鈍く鳴らし、ノエルの体力を削り続けている。彼の背中に守られ、私は震える手で白の魔法陣を記憶から転写していた。
 
仲間の危機に焦り、無事を確認するために往復する目線。下を見れば呪文の助けとなる魔法陣が少しずつ出来上がっていく。そして、上を見れば、二人の仲間。

 ノエルはベオウと対峙し、その向こうで、クートはルフに襲われていた。妖狼ベオウの眷属ルフ。統率された行動で獲物を狩る魔獣だ。1、2、3。七匹はいる。
 負傷した足で、剣を振るい防戦するクート。まるで死に怯えている子供のようだ。恐怖から逃げ惑う半狂乱の雄たけびが頻繁に漏れている。
 彼の左足は、もはや使い物にならなそうだった。シレネー山の火口のように赤い血を湛えたふくらはぎは、凹凸を最早なくしていた。
 クソっ、と罵声をもらしながら群がる犬どもを手で払いのけるクート。立つこともままならず手だけで後ずさりしながら、クートは剣を振るう。彼の大量の血の軌跡はまるで赤い川のようだった。そして、その手の力が段々萎んでいくのは遠目で見てもわかった。

 その様に焦りを感じながら、私はノエルの盾の後ろでもう何度目かの呪文を唱えていた。

 「白の精霊よ。傷つくものたちに汝等の加護を与えたまえ。"白癒"!」

 薄暗い洞窟に私の声が響き渡る。木霊さえ聞こえそうな、よく響く洞窟だった。
 私の一声で起きたことはただそれだけだった。"白癒"の光が灯ることもなく、ノエルの傷が癒えることもなく。独り言は何をも生みはない。洞窟内すぐさまは狼の威嚇と金属音の喧騒に立ち戻った。  
 「どうしたんだ、アレッタ!魔泉が尽きたのか!」 
 
 なんで。なんで白癒が使えないの。呪文単体の詠唱も何度も試した。補助的に魔法陣を書いてもダメ。
 魔泉が尽きた訳じゃない。舌打ちのように鳴らした指の先には"灯火"の火種が人差し指に灯る。魔法は使える。さっきだって"守身"の魔法も使えた。だからこそ格上のベオウに対して未だ耐えているノエルがそこにいるのだ。魔法は使えるはず。
はずなのに。

「魔法は使えるの。ただ・・・。もう一回。」

 言い訳のように、私はノエルに応える。もう一度唱えた白癒は、やはり意味をなさなかった。白の精霊達からの応えもなく、何も状況は変わらなかった。

 白癒。
 ダメだった。
 白癒
 一息おいみてたけれどだめ。
 「はくゆ」
 何を言ってるかわけが分からなくなってくる。
 「は」「く」「ゆ」。
 ただの音の列になっていくのが嫌でもわかる。
 そうして、いうべき私は言葉を失った。

 どうしてか全くわからなかった。けど私の言葉は、私の切なる願いは、もう届かないということは明白だった。
ノエルの疲弊が蓄積していく。あれではクートを助けにもいけない。そのクートは壁際に追いやられ逃げ場もなくなっている。一刻の猶予もない、
 
 このままじゃ…。

「青の精霊よ、共にありて我らの盾となり矛とならん、“水衣“」
 
 ノエルの背中から数歩下がり、私は“水衣“を唱えた。足下は青く光り、魔法が発動する。
 よかった、これは使えた。束の間の安堵。そして決まる覚悟。
 前衛もままならない私にだってできることはある。できることはあるはずだ。
 僅かの間の後、自らの金属製の杖からは、薄青い光が漏れだし始めた。炎属性のベオウと眷属の犬どもに対して水属性を纏えば、私でも少なからずダメージを与えられるはず。


 私がやらなければ2人とも。水衣の光が満ちるまでがとても長く感じられる。私のこの短い人生ほどではないけど。数あった中で。最も。最も。
 勇気が必要だった。

 私は一つ深呼吸して、私の意志をノエルに聞いてもらった。

「ノエル、そいつを引きつけてて。私がクートを助けるから。」

 肩越しに「おい」と言うノエルの制止を聞く間もなく、私はベオウとノエルの対峙を迂回して走る。白の魔導師のローブは走りづらかった。
 クートを襲うルフどもめがけて、私は走った。
 私は走りながら、振りかぶる。
 ルフの群れを、一撃が裂く。
 一匹が吹っ飛び、巻き添えを食った形でよろめく数匹。
 
 そうしてルフの群は私の存在を認識した。半数がこちらを向き、威嚇する。この狼どもの声がこんなにも怖かったことなんか一度もない。
 それはいつも二人がいてくれたからだ。ノエルと、クート。二人がいてくれたおかげで。

 多勢を前にして足が震えていた。頭の中で敵がどう動くかのシミュレーションを繰り返すが、どうのも分が悪い。私が弱いのはわかってるから。
 でも大丈夫。今だって一匹倒した。所詮一匹ずつは弱いし、こっちは有利な属性を纏っている。
 きっと。
 睨み合い続け、隙を窺う。

 「アレッタ、早く逃げろ!お前じゃその数は無茶だ!」

 背中の向こうでノエルの声がする。彼はベオウを上手く抑えられてるらしい。
 よかった。もう少し、頑張って。すぐ、そっちにも行くから。
 一匹ずつでいいんだ。一匹ずつで。
 集中して、敵の出方を窺う。
 
「痛ッ・・・!」
 
 私の足が突然痛みだした。しかも鋭利に。
 ケガ、じゃない
 とっさに向いた足下にはルフが一匹、足に噛みついていた。片方の目から血を流し、強い力で、私の肉を剥ぎ取ろうとしている。さっき薙ぎ払った一匹のようだった。

  すぐさま腰をひねり、足下のルフの小さな脳天に杖を突き立てる。杖の先が頭蓋骨で滑ったような感触がした。けれど、頭の皮膚が皮ごと剥がれ、切先は血みどろの毛皮を地面に刺していた。獰猛さとはかけ離れた断末魔と共に痛みは弱まる。足を払い、絶命したルフを振り払った。
 
 それと同時に後ろでも、ルフの断末魔が聞こえた。
地面にどさっと落ちたらしいルフの一匹の背中には剣がささっている。
ノエルと2人で、クートの為に買ったミドルソードが。
奥のクートは血だらけの手を前に出し、何も持っていなかった。
剣を投げたのだった。
クートは偉そうに言う。

「後ろを見ろよ、バカ女。だから槍の訓練もしとけって言ったんだよ。」

 クートのその言葉を最後に私はクートの声を聴いてない。姿も見ていない。
 クートの首にルフの牙が刺さる。
 その勢いのまま地面に倒れこみ、すぐさま、ほかのルフどもが群がる。クートの姿はルフの雲にまみれて見えなくなった。
 息継ぎもせずに肉を噛む音がする。ルフの荒い鼻息ばかりが聞こえる。グチャグチャと、水分のはねる音がいくつもする。あれはたぶん、クートの体の音。

「クート」

私は叫んだ。どうにもならないことを知りつつも、私は叫ばずにいられなかった。
その後ろでガンッという一際鈍く大きい音が聞こえた。
盾が宙を舞い、岩肌を金属音を立てて転がり滑っていく。
 
 そちらに視線をやるとノエルが宙に浮いていた。その腹にはベオウの太い腕が貫通している。口から血を吐き、まるで何かの儀式の供物のように狼の腕にぶら下がっていた。ベオウの横顔には何の色もなく、ただ獲物を凝視していた。
 ベオウは腕にノエルを刺したまま、口を開け、ノエルの頭を丸ごと咥えた。
 手を抜くと、それとともに腸が少し落ちていく。
 顎を動かし、食べ物をすりつぶしているようだった。首で支えられたノエルの体はブラブラと揺れる。ギシギシ、と骨の軋む音。ガリガリと金属の砕ける音。荒い鼻息がその硬さを伝えている。
 顎が完全に閉まり、地面にノエルの体が落ちる。白い鎧が、首だったところから血を地面に注いでいる。長い口を天に向け、人を味わっていた。

一噛み、二噛み、三噛み、四噛み、五。

 一瞬間をおいて、ゴクリ。気道に流し込まれていく食べ物たち。
 死体に向き直って、妖狼は首を振る。噛み切れなかった兜の破片を舌で口から掻き出すと、カランカラン、と甲高い音がいくつもした。
 そんなことに気を留める様子もなく、今度は落ちているノエルだったものを手でひっくり返して、仰向けにさせていた。白い鎧を鷲掴み、またも金属の砕ける音がする。。学習したのか、鎧をはぎ取ったようだった。食べ物じゃないと知って投げ捨てた鎧の破片には肉片がついていて、真っ赤に染まっている。
 
 水浸しになった床の上、で私はその光景を見ていた。股の間から熱を持った液体があふれ出て仕方なかった。ツンと鼻を刺す臭い、生温かい温度。膝に力は入らず、手を後ろにして姿勢を維持するのがやっとだった。とにかく、気持ち悪かった。冷え切った体とは対照的に、下半身は熱を帯び、失禁に浸った臀部はローブに肌が張り付き、不気味な冷たさを感じる。
  手にも力が入らない。私は食事をただ見ていた。
  
 バウッ、と狼の声が鋭く向かい、我に返る。ルフの一匹が私をにらみつけていた。次は私の番だったか、そう思った。
 警戒しているのか、距離を置き、私の周りをゆっくり回り始めた。 私には、もうそんな力も残っていないのに。殺意に煮え立ちそうな私の心臓は悲鳴を上げ、恐怖で緩んだ顎から拒絶の声が儚げに生まれてきた。

 「もうおよしなさい」

 女性の声が聞こえた。そんヒトはいないのに、私とクートとノエルだけでこの洞窟に入ったのに。
 一匹のベオウがのそのそと、こちらへ近づいてきて、そして、私を狙っていたルフを持ち上げた。

 「あなた、もうおなかはいっぱいでしょ。今日はもう帰りましょう」 

 小さな子供のような声も聞こえる。

 「でも兄ちゃんがやられたんだよ、ママ」
 
 怒りに満ちていて、鋭い声だった。

 「でも、これ以上殺したら餌がなくなっちゃうでしょう。このヒトはもう抵抗もしなさそうだし大丈夫よ。それにこのヒトは女の子よ。また子供を産んで、新しい命を宿してくれるわ」

 「でも・・・」


 「わがまま言うと神様に怒られるよ」
  
  剣幕な声だった。

 「はぁい・・・」 

 悔しそうな。つらそうな、そして怖そうな。そんな返事が聞こえた。

 「そこのお嬢さん。ごちそうさまでした。これで私たちはもう少し生き延びられるわ。神と、あなたがたに感謝します」

 ベオウが私の前にその巨体で立ち、手を合わせていた。
 
 「ごちそうさまでした」
  
 一礼し、その場を去る二足歩行の大狼。ベオウ。

 私は立つことも許されず、空腹を感じることもなく、時間のかなたに飲み込まれていった。記憶は消えて、命も消えたようだった。 
  生きていると知ったのはそれから数か月後、だった。
 
 私が最後に見て覚えているのは、抱きかかえられたルフの憎しみに満ちた目だった。 
 あれから数か月ののち、私は眠り続けた。

2016年3月24日木曜日

DQN

 スライムが現れた。目を凝らす、レベル20。スライムのくせに中々強い。
 さくせん、バッチリがんばる。たたかう。スライムに54のダメージ。スライムは倒れた。乗用車Aが壊れた。
  スライムをやっつけた。
 やっつけたけど。
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 「おにいちゃん、またやらかしたの?」

 「従妹だからってそろそろ面倒みきれないよ?」
 保険屋の団場さんに口酸っぱく説教された。団場さんは小さいころから「おにいちゃん」と僕を呼ぶが、僕は頭が上がらないので「団場さん」と呼んでいる。
 「すみません、団場さん。」
 「団場さんはヤメテって言ってるでしょ、おにいちゃん。」
 「すみません、リンダさん」
 「『さん』も禁止」
 苛立った声色で団場さんは書類を机の上にドサッと置く。
 「今回は本当に骨が折れたんだから。車壊された人、ありゃどう見ても聞いてもクレーマーだよ。『保険屋の小娘が何のようだ』って玄関から卵投げつけてきたんだよ?しかもゆで卵」
 
 僕は思わず鼻で笑ってしまった。ゆで卵をわざわざ用意してるってどういうことだよ。
 「笑ってんじゃねーぞクソ野郎」
 小さな声でひとり言のように(あえて聞こえるように)罵声を漏らし、憎悪にまみれた眼差しを向けてきた。この前現れたサイボーグ不良よりよほど怖い目だった。
 「おにいちゃん。こっちとしては契約を切りにきたの。わかる?もう次からは保険はおりないの。今回で最後。上がもう駄目だって。」
 すでにそう言われるのが分かっていたような、そんな言葉だった。
 
 「今回だって向こうのジジイは『訴えてやる』って喚き散らしてたのよ。『俺には有能な弁護士の友人がいる』とかいって。まぁ、超慈善活動保護法があるわけだから立件不可で裁判にはならないんだけれどもさぁ。」
  
 僕はひたすら沈黙しているしかなかった。「すみません」はもう効力を持たない気がしたし、団場さんの苦労も知っている。「そこをなんとか」というセリフも、保険料の増額さえもギリギリのところで押さえてもらっている分、 言うに言えない。僕はひたすら机上の書類に目をやっていた。
  しばらくの沈黙が続く。街中の小さな喫茶店は、壮年の読書好きと伯爵と呼ばれているマスターと僕らだけで、とても静かだった。メロウなジャズが小さな音量で流れ、差し込む日差しとコーヒーのふくよかな匂いが空気を輝かせていた。窓の向こう鳴るクラクション。背の高い女性のヒールの音が店内にまで聞こえる。小さな観葉植物が飾られた窓辺の向こうは、いつもの街だった。平和な街。
僕が何も言えないのを(言わないのを)見越して、団場さんはコーヒーをグイっと飲み、深いため息をついた。
 「おにいちゃん、もうやめよう?28歳だよ?昔、隣に住んでたMJ。もう子どもがいるって。こないだ、旦那を連れて楽しそうに歩いてたよ」
 団場さんは懇願するように説いてきた。MJ(三宅純子)、もう子どもがいるのか。すごいなぁ。 
 「情熱があるのもわかるよ。少し能力があるのもわかる。でも、毎回人に迷惑かけてちゃ」
 「僕は迷惑をかけたいんじゃない」
 
 遮るように僕は語気を強めた。
 ふっと静かな怒りがこみ上げてくる。苛立ち、とでも言おうか。団場さんの言葉への苛立ち、僕自身への不甲斐なさの苛立ち。
 「今回だって、救ったんだ。」
 
 負け惜しみなのは僕にも分っていた。言葉に力がなかった。確かに、スライムに襲われていた少女を助け出した。それは事実だった。けれど、僕の技量が足りなくて、近くの無関係な車も壊してしまった。他の人なら、もっとうまくできたのだろう。ハットマンならもっと上手く、もっと鮮やかに。
 「ごめん、おにいちゃん」
 
 団場さんは気まずそうに言った。「迷惑 」と言われるのを僕が嫌いなのを彼女は知っている。
 「でも、おにいちゃん。おにいちゃんなら他のこともうまくできるよ。人を助けたいって気持ちはよくわかってる。世界を平和にしたいって気持ちは何度だって聞いている。でも、それだけじゃダメなんだよ。今回のジジイなんか私に『ねーちゃんが身体でも売ってくれるんなら』とかゲスい笑顔浮かべて冗談言ってきたよ。冗談を。」
 団場さんが失笑しながらそう話すのを聞いて、僕は遣る瀬なかった。彼女の目には、諦観と悲しさが満ちていた。
 団場さんは親戚だが確かに綺麗な女性だった。スタイルも良い。きっと会社でもマドンナみたいな扱いだろう。
 そんな彼女が僕の顧問として就いてくれているのは、親戚だからというだけじゃなく、以前、僕が彼女を救ったからでもある。
 ある日のこと。街の裏を歩いていると、丸坊主の小悪党に襲われている女性を見つけた。レイプだ、とすぐに分かった。僕は変身してから、そいつのもとに駆けより、一撃を食らわせてやった。うめき声を漏らし、動きが鈍る。その間に暴れないよう犯人をマジックロープで縛り、すぐに警察を呼んだ。
 「お怪我はありませんか、お嬢さん」
 と、口に貼られたガムテープをゆっくり剥がし、僕が手を差し伸べる。
「ケントおにいちゃん?」
 と、その女性はたずねてきた。それが団場さんだった。衣服は乱れ、地面にスカートでへたりと座る彼女を見て、僕は強い苛立ちを覚えた。なんでこんなことに。
 数分後駆けつけた警察官に手錠かけられ、警察車両に詰め込まれそうになる犯人の断末魔は
 「あんな良い身体して歩いてるほうがいけねーんだよ」
 だった。
 団場さんは自身の体を抱きしめ、震えていたのを僕は今でも覚えている。
 悪は、不幸は許すまじ。僕がよく知る人だったから、改めてそう決意を新たにしたのを覚えている。
 「冗談じゃねーよ」
 
 だから、団場さんのその言葉は重かった。フラッシュバックしたのか、俯いた彼女の目は潤んでるように見えた。
 「おにいちゃんが守る世界はそんな奴も守ってるってことだよ?そんなクソみたいな奴のためにおにいちゃんが世間から冷たい目で見られたり、辛い思いしているのは見てられないの。意味ないじゃない、こんな世界。」
 「僕だって、そういう輩は死ねって思うよ。文字通り「死ね」と。犯罪者予備軍だ、世界を不幸にしている遠因だ。でも、そういう人にだってできることがあるし、愛している誰かがいる。愛してくれる誰かがいる。だから、嫌な人だから、その人の幸福は奪われていいということにはならないよ。」
 
 「僕が憎むのは悪じゃない。人の不幸だ、でしょ。聞き飽きたよおにいちゃん。」
 ため息交じりに微笑む団場さんの笑顔に、僕の心は少し痛んだ。
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 どれだけ気持ちがあってもできないことがある、うまくいかないことがある。そればっかりだった。
 結局僕は、超慈善活動をやめることはなかった。しかし、保険が下りないからド派手なことはできなくなった。マジガンも使わなくなり、小さな事件を少しずつ解決していった。犯人を逃がしてしまうことも出てきた。
 時々、絶対大丈夫と思ってマジックを使うと予想以上のことが起こったりもした。それでこないだは、おばあちゃんの乳母車を壊してしまった。おばあちゃんは、仕方ないことよ、と悲しそうな目で僕を励ましてくれた。弁償を申し出ると、
 「ありがたいんだけれども、これはお爺さんからもらった大切な乳母車だったの」
と、断られた。いいのよいいのよ、と言われたものの、新品の乳母車を買ってあげることくらいしか僕にはできなかった。
 悔しかった。
 ある日、僕は街中で怪しい人を見つけた。アジア系の男だった。ポケットに手を突っ込み、大きなスーツケースを引いていた。帽子と、サングラス。怪しい。長年の勘で、僕はその男についていった。
 その男は街中をひたすら歩いていた。人ごみを、人の集まるところを。
 大きなスクランブル交差点を渡り、駅前の人ごみを抜け出すと、その男の手からいつの間にかスーツケースが消えていた。それに気づき四方を見まわしたが、誰に渡したかは人にまぎれ、わからなくなってしまった。
  そのまま足を止めることなく男は歩いた。僕もその後を、引き続き尾行していった。
  都会の中の小さな広場につくと、その男は広場中央の噴水前で足を止めた。僕は一声かけようと、そのまま尾行していた速度でその男に近づいていく。
 男は空を見上げた。僕も上に何かあるのかと思い、空を見上げたが、何もなかった。一羽の鳥もなく、ひと筆の雲もなく、青空だった。周りは子連れの母親、散歩しているお年寄り、デート中の若者でにぎわっていた。
 ウ゛オォォォォォォォォォォ
 突然、大きな叫び声が聞こえた、音の発生場所に反応して動いた目線の先にはあの男がいた。足を広げ、腰をやや落とし、手に力を込めていた。周囲の音が一切聞こえなくなり、耳が壊れそうな轟音だけが響いた。
 身体が動かない。気付いた時には手遅れだった。
 合わない焦点の向こうで、男は変身をしていた。
 衣服は破け、中から茶色の獣の毛が生えが急速に生えていく。四肢は太くなり、筋肉の装甲をまとい始めた。全身が毛だらけになると、そいつはこっちに顔を向けた。その姿は、アニメでよく見るようなオオカミだった。鋭い牙、尖った顔。そして、殺意に血走る瞳。その目でこちらを向き、そのオオカミはにやりと笑い、一言残し跳躍した。
 「お前なら平気か」
 オオカミの跳躍とともに身体の自由が戻り、すぐさま首と目がオオカミを追う。10m近くは跳んでいる。太陽に幻惑され、シルエットになるオオカミを捉えながら、僕は変身した。 
 手を拳銃の形にしながら、走り出す。周囲の一般人は未だ動けないようだった。人をかき分け、オオカミを追う。跳躍した先は、広場の端にある展示タワーだった。跳んだ高さのままタワーの真ん中あたりに掴まり、オオカミは頂上へよじ登っていく。
 タワーからやや遠巻きに、僕はマジガンの射程にオオカミを捕捉した。あいつの狙いは頂上の展示会、そこで行われている宝石展。世界最大のピンクダイヤ。魔法の結晶化した、稀有な宝石だ。
  立ち止まり、 狙いを定める。走りながらチャージしたマジガンはフルチャージされていた。手の拳銃の人差し指の先にオオカミを重ねる。オオカミは、ガンッ、ガンッと鉄骨の音を立てて登り続けている。
 外すな、よくねらえ。
 自身に言い聞かす。
 外したらタワーごと崩壊するぞ、中の人も、建物も、すべてが破壊されるぞ。
 絶対に外すな。
 心臓が高鳴る。外すなよ。
 手が震える。外したら人が死ぬぞ。
 息が上がる。外せない。
 狙いを定める、大丈夫だ。
 大丈夫、きっと大丈夫。大丈夫だって。外せない、外さない。
 僕は指先の魔力を放出した。翡翠色の光の玉が、指先を離れ空を進む。まっすぐ、まっすぐにタワーをよじ登るオオカミへ向かっていく。
 大丈夫そうだ。狙いは合っていた。
 よし、まっすぐすすめ、当たるぞ。
 そのまま、そのまま。
 少し、ズレている?大丈夫か?大丈夫だろう。
 いや、ズレが広がっていく。
 マズイ、軌道が、軌道が。
  軌道が。それていく。
 血の気が引いていく。
 
  光弾はそのままタワーの芯、ど真ん中へ向かっていった。
 あとすこしで、危険なことが。あと少し。あと少し。
 頼む、逃げていてくれ。あり得ない可能性を神に願った。
 
 着弾。そして、爆発せず。
 翡翠の光弾は萎んでいく。そしてその先に黒い影が徐々に現れる。帽子と覆面、漆黒のマント。黄色い眼光。 
 「ハットマン」
希望が湧いた。光弾が萎み続けて消え去ると、ハットマンはこちらに一瞥した。黄色い眼光が険しくなった。侮蔑と、悲哀の一瞥が僕に刺さる。その意味は、この距離からでも分かった。
 ハットマンはすぐさまオオカミのもとへ飛んで行った。タワーをよじ登るオオカミの背後に瞬間的についた。オオカミは何かの存在に気付き、ハットマンを認識するや否や、あっという間に地面へ落ちて行った。
 宙を舞うハットマンの手から黒い紐が伸び、オオカミに刺さる。どうやら拘束したようだ。ハットマンの手からスルリと紐が抜けていく。
 警察のサイレンがあたりに鳴り始め、オオカミの雄叫びから解放された人々も動き始めた。ざわめきと、空に浮かぶハットマンへの賛辞がどこからともなく湧く。ハットマンのコール、口笛、拍手。その中で、何もしなかった、できなかった僕はただのコスプレおっさんと化していた。賛辞を贈ることも、平和を喜ぶこともできず、ただ、自身が罪悪から免れられたことに対し、呆けていた。
 上の空に、青空を横切る漆黒の戦士が目に入る。彼は僕の上空で止まり、そして両足を揃え降りてきた。あたりはどよめき、ハットマンと僕を囲むように散って行く。カツカツと長靴を鳴らしながら歩み寄るハットマン。僕の目の前で立ち止まるハットマン。その黄色い目は、憤りに満ちていた。
  
 「お前は人を殺しかけた。恥を知れ未熟もの」
 彼はそう言うと、僕の腹に一撃をめり込ませた。あまりの衝撃に一瞬宙に浮き、そして膝から着地し、崩れる僕。痛みは腹から心臓まで迫ってくるようだった。
 あたりは更にどよめく。いったいなんだ、という疑問の声。あいつも敵なのか、という不安の声。うずくまる僕を見て、同情の念。ざわつくギャラリーをよその、ハットマンはその場からすでに去って行った。
 「なんでそいつを殺さねぇんだハットマン!そいつもあのオオカミの仲間だろう!」
 キャップを被った、中年太りの男がハットマンに呼びかけた。
 「俺は動けないながらも見たぞ、その男がタワーを破壊しようとするのを!それをハットマンが止めたのを!」
 あたりは更にどよめく。 僕は自分が何を言われているのかが分からなかった。
 僕が?敵?
 タワーを破壊しようとした?そんな馬鹿な。
 痛みに耐えながら立ち上がる僕を見て、新たな声が聞こえてきた。
 「わ、わたしも見たわ、その男が緑色の光線をタワーに向けて打つのを!」
 確かにそうだ。僕は確かに、マジガンを打った。だが、タワーをよじ登るオオカミめがけてであり、タワーそのものを狙ったわけじゃない。
  そもそも、僕が敵の一派なら、どうして仲間ごとタワーを破壊するんだ。
 そんな疑問も、つい先ほどまでのテロリズムから解放されたばかりの民衆には意味をなさなかった。正常な判断が失われている。
 「ま、まってくれ、僕は」
 「てめぇはこないだのクソヒーローじゃねぇか、先週壊した車を早く弁償しやがれ」
 先週の事件のジジイだった。なんでこんなところにいるのだろうか。
 「こないだ強盗逃したダメ男じゃん」
 学生風の若い女が汚い口調で僕をののしる。待ってくれ、僕は。
 ゴツン。
 突然後頭部に鈍痛を覚えた。頭に当たったと思しきものは、カラカラと音を立て、僕の左方に転がり落ちた。それは、石だった。
 ゴツン。
 今度は額に似たような痛みが走った。それは額にあたり、浅い切り傷を作った。やはり石だった。またひとつ石が飛んできた。またひとつ、ゴミ袋が。空き缶が、紙くずが。どこから飛んできたか分からない。
 僕はただ、わけがわからなかった。
 何かが飛んできて、何かを浴びていた。つつくような痛覚のシャワーに、僕はびしょぬれになった。
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 気がつくと、僕は病院にいた。青いカーテン。白いベッド。ここは間違いなく病院だった。
 右側頭部がひどく重い。いや、痛い。触れてみると包帯が巻かれている。どうしてこんなところにいるんだろう。この傷は。
 ガラガラという音とともに、看護師が現れる。横になりながら額を触る僕を見て、驚いた顔して部屋を出て行った。
 一分もしないうちに医師を連れて先ほどの看護師がやってきた。
 「倉さーん、大丈夫ですか?」
 看護師は心配そうに尋ねる。看護しの後ろからヌッと医者が出てくる。白髪で、やや面長の素敵なジジイだった。
 「涙がでているけれど、目でも痛いのかい。」
 医師はそう聞いてきた。そして、瞼の下を押さえ、眼球をむき出しにする。
 ふむ、と一声漏らし、異常なしという風に身体を起こして、彼はカルテに目を向け始めた。
 痛くない。目はいたくない。痛いとすれば。
 心だった。
 
 
 
 

2016年1月17日日曜日

最近のモヤモヤ

 僕が大小関わらず暴力を行使しようとする者に怯えている理由は何だろうと、この数週間、ずっと考えていた。
やはり、その思想や思考そのものが、テロリストと何ら変わりないからである、と思った。貿易センタービルを破壊しないだけで、銃を乱射しないだけで、あれらテロリストと同じ種族の人間であるからだ。

 ISISや難民達、その他諸々によるテロにも似た行為が日々起きていく中で、その不条理に曝され痛みを受ける人々がいることを思うとやるせなくなる。
それらテロ行為が恐ろしいと感じるのは、その国の法律という、ごく一般的なルールを守れない人が自分の近くに存在するという恐怖感があるからだ。人を殴ってはいけない、殺してはいけないという、単純なルールさえも。
 そもそも、人を殴ってはいけない、殺してはいけないは、他人の権利を守る為にあると思う。他人の自由を保証するためにあると思うのだ。損害により生じる代償や、精神的な痛みを「自ら」償う「不必要なことをしない」権利を守る為だ。自分の、加害者の心の自由を保証するために暴力が存在するのではない。
 それを分からないらしい、すぐ隣にいる人が爆弾(暴力)を抱えてるかもしれない。その可能性に、日常が脅かされる。その可能性が、人を抑圧する。外に出るのが怖くなり、意見を表明することが怖くなる。テロとはそういうものだと思います。
 それら暴力を有している(そういう思想を持っている)、というだけで、その人への信用を各段に下げざるをえない、と思う。
 暴力を行使すると表明する人間になるとはそういうことだと思う。「冗談」だとしても、いざとなればルール(法)を無視する人(他人に痛みを伴わせようとする人=他人の権利を守ろうとしない人)、そういう前歴を持った人が約束を守るとは思えないのだ。
 だからこそ、テロリストの要求は飲めないし、テロリストの口上は聞き流されるのだと思う。信用のならない言葉達だからだ。いざとなればルールを暴力でねじ曲げる、その可能性がある人達を信用できるだろうか。
 彼らは彼らなりのルール(法)を持ち出し、その法で人を裁く。勝手に自分の城を築き上げて、その君主になったつもりで他国に攻め入る。異端者は粛正し、自分の信用できる人間に自分の正しさを確認しながら、自分の正しさだけを是として進む。他に、例えば日本国憲法という法があるにも関わらず。
 私法が、私刑がいけないのは、法律というルール外で処罰される者の冤罪の可能性があり、そのせいで再起不能になるかもしれないからだ。正しさなんてのは万人にあり、その万人の正しさをすり合わせる為、落としどころを探すために僕らは言葉という道具を使い、対話するのではなかっただろうか。

 些細だろうが痛みは痛みだ。じゃれあいのつもりでも、痛みは痛みだ。器物の破壊も同じだ。「遊んでいたつもりだった」という、いじめと同じ。
被害者には損失がそこに生じる。自制していれば、起こるはずのなかった損失が生まれる。そうした暴力を行使してくる可能性があるだけで、そういう思想を持つというだけで、暴力と暴力を行使する可能性のある者を不信し、僕は自分の身の為に、暴力に怯えるのだ。
テロリストに怯えるように。
僕のその怯懦を保身というのなら、他人を屈服させるために、自身のフラストレーション解消のために、自身の正しさを証明する為に行う暴力も保身なのではなかろうか。

世界は臆病者でできている。
プライドが人を殺す。
保身が他人を脅かす。
トラウマが今を作り出す。
めんどくさい生き物だなぁ、人間。