2016年7月26日火曜日

アレッタのアイテム士生活

「おい、アレッタ、回復魔法はまだか!」

 ノエルの声が洞窟に響く。二本足で立つ大狼ベオウの猛攻を盾で防ぎながら、ノエルは必死に叫んでいた。
 人の倍程もあるベオウの拳がノエルの盾を鈍く鳴らし、ノエルの体力を削り続けている。彼の背中に守られ、私は震える手で白の魔法陣を記憶から転写していた。
 
仲間の危機に焦り、無事を確認するために往復する目線。下を見れば呪文の助けとなる魔法陣が少しずつ出来上がっていく。そして、上を見れば、二人の仲間。

 ノエルはベオウと対峙し、その向こうで、クートはルフに襲われていた。妖狼ベオウの眷属ルフ。統率された行動で獲物を狩る魔獣だ。1、2、3。七匹はいる。
 負傷した足で、剣を振るい防戦するクート。まるで死に怯えている子供のようだ。恐怖から逃げ惑う半狂乱の雄たけびが頻繁に漏れている。
 彼の左足は、もはや使い物にならなそうだった。シレネー山の火口のように赤い血を湛えたふくらはぎは、凹凸を最早なくしていた。
 クソっ、と罵声をもらしながら群がる犬どもを手で払いのけるクート。立つこともままならず手だけで後ずさりしながら、クートは剣を振るう。彼の大量の血の軌跡はまるで赤い川のようだった。そして、その手の力が段々萎んでいくのは遠目で見てもわかった。

 その様に焦りを感じながら、私はノエルの盾の後ろでもう何度目かの呪文を唱えていた。

 「白の精霊よ。傷つくものたちに汝等の加護を与えたまえ。"白癒"!」

 薄暗い洞窟に私の声が響き渡る。木霊さえ聞こえそうな、よく響く洞窟だった。
 私の一声で起きたことはただそれだけだった。"白癒"の光が灯ることもなく、ノエルの傷が癒えることもなく。独り言は何をも生みはない。洞窟内すぐさまは狼の威嚇と金属音の喧騒に立ち戻った。  
 「どうしたんだ、アレッタ!魔泉が尽きたのか!」 
 
 なんで。なんで白癒が使えないの。呪文単体の詠唱も何度も試した。補助的に魔法陣を書いてもダメ。
 魔泉が尽きた訳じゃない。舌打ちのように鳴らした指の先には"灯火"の火種が人差し指に灯る。魔法は使える。さっきだって"守身"の魔法も使えた。だからこそ格上のベオウに対して未だ耐えているノエルがそこにいるのだ。魔法は使えるはず。
はずなのに。

「魔法は使えるの。ただ・・・。もう一回。」

 言い訳のように、私はノエルに応える。もう一度唱えた白癒は、やはり意味をなさなかった。白の精霊達からの応えもなく、何も状況は変わらなかった。

 白癒。
 ダメだった。
 白癒
 一息おいみてたけれどだめ。
 「はくゆ」
 何を言ってるかわけが分からなくなってくる。
 「は」「く」「ゆ」。
 ただの音の列になっていくのが嫌でもわかる。
 そうして、いうべき私は言葉を失った。

 どうしてか全くわからなかった。けど私の言葉は、私の切なる願いは、もう届かないということは明白だった。
ノエルの疲弊が蓄積していく。あれではクートを助けにもいけない。そのクートは壁際に追いやられ逃げ場もなくなっている。一刻の猶予もない、
 
 このままじゃ…。

「青の精霊よ、共にありて我らの盾となり矛とならん、“水衣“」
 
 ノエルの背中から数歩下がり、私は“水衣“を唱えた。足下は青く光り、魔法が発動する。
 よかった、これは使えた。束の間の安堵。そして決まる覚悟。
 前衛もままならない私にだってできることはある。できることはあるはずだ。
 僅かの間の後、自らの金属製の杖からは、薄青い光が漏れだし始めた。炎属性のベオウと眷属の犬どもに対して水属性を纏えば、私でも少なからずダメージを与えられるはず。


 私がやらなければ2人とも。水衣の光が満ちるまでがとても長く感じられる。私のこの短い人生ほどではないけど。数あった中で。最も。最も。
 勇気が必要だった。

 私は一つ深呼吸して、私の意志をノエルに聞いてもらった。

「ノエル、そいつを引きつけてて。私がクートを助けるから。」

 肩越しに「おい」と言うノエルの制止を聞く間もなく、私はベオウとノエルの対峙を迂回して走る。白の魔導師のローブは走りづらかった。
 クートを襲うルフどもめがけて、私は走った。
 私は走りながら、振りかぶる。
 ルフの群れを、一撃が裂く。
 一匹が吹っ飛び、巻き添えを食った形でよろめく数匹。
 
 そうしてルフの群は私の存在を認識した。半数がこちらを向き、威嚇する。この狼どもの声がこんなにも怖かったことなんか一度もない。
 それはいつも二人がいてくれたからだ。ノエルと、クート。二人がいてくれたおかげで。

 多勢を前にして足が震えていた。頭の中で敵がどう動くかのシミュレーションを繰り返すが、どうのも分が悪い。私が弱いのはわかってるから。
 でも大丈夫。今だって一匹倒した。所詮一匹ずつは弱いし、こっちは有利な属性を纏っている。
 きっと。
 睨み合い続け、隙を窺う。

 「アレッタ、早く逃げろ!お前じゃその数は無茶だ!」

 背中の向こうでノエルの声がする。彼はベオウを上手く抑えられてるらしい。
 よかった。もう少し、頑張って。すぐ、そっちにも行くから。
 一匹ずつでいいんだ。一匹ずつで。
 集中して、敵の出方を窺う。
 
「痛ッ・・・!」
 
 私の足が突然痛みだした。しかも鋭利に。
 ケガ、じゃない
 とっさに向いた足下にはルフが一匹、足に噛みついていた。片方の目から血を流し、強い力で、私の肉を剥ぎ取ろうとしている。さっき薙ぎ払った一匹のようだった。

  すぐさま腰をひねり、足下のルフの小さな脳天に杖を突き立てる。杖の先が頭蓋骨で滑ったような感触がした。けれど、頭の皮膚が皮ごと剥がれ、切先は血みどろの毛皮を地面に刺していた。獰猛さとはかけ離れた断末魔と共に痛みは弱まる。足を払い、絶命したルフを振り払った。
 
 それと同時に後ろでも、ルフの断末魔が聞こえた。
地面にどさっと落ちたらしいルフの一匹の背中には剣がささっている。
ノエルと2人で、クートの為に買ったミドルソードが。
奥のクートは血だらけの手を前に出し、何も持っていなかった。
剣を投げたのだった。
クートは偉そうに言う。

「後ろを見ろよ、バカ女。だから槍の訓練もしとけって言ったんだよ。」

 クートのその言葉を最後に私はクートの声を聴いてない。姿も見ていない。
 クートの首にルフの牙が刺さる。
 その勢いのまま地面に倒れこみ、すぐさま、ほかのルフどもが群がる。クートの姿はルフの雲にまみれて見えなくなった。
 息継ぎもせずに肉を噛む音がする。ルフの荒い鼻息ばかりが聞こえる。グチャグチャと、水分のはねる音がいくつもする。あれはたぶん、クートの体の音。

「クート」

私は叫んだ。どうにもならないことを知りつつも、私は叫ばずにいられなかった。
その後ろでガンッという一際鈍く大きい音が聞こえた。
盾が宙を舞い、岩肌を金属音を立てて転がり滑っていく。
 
 そちらに視線をやるとノエルが宙に浮いていた。その腹にはベオウの太い腕が貫通している。口から血を吐き、まるで何かの儀式の供物のように狼の腕にぶら下がっていた。ベオウの横顔には何の色もなく、ただ獲物を凝視していた。
 ベオウは腕にノエルを刺したまま、口を開け、ノエルの頭を丸ごと咥えた。
 手を抜くと、それとともに腸が少し落ちていく。
 顎を動かし、食べ物をすりつぶしているようだった。首で支えられたノエルの体はブラブラと揺れる。ギシギシ、と骨の軋む音。ガリガリと金属の砕ける音。荒い鼻息がその硬さを伝えている。
 顎が完全に閉まり、地面にノエルの体が落ちる。白い鎧が、首だったところから血を地面に注いでいる。長い口を天に向け、人を味わっていた。

一噛み、二噛み、三噛み、四噛み、五。

 一瞬間をおいて、ゴクリ。気道に流し込まれていく食べ物たち。
 死体に向き直って、妖狼は首を振る。噛み切れなかった兜の破片を舌で口から掻き出すと、カランカラン、と甲高い音がいくつもした。
 そんなことに気を留める様子もなく、今度は落ちているノエルだったものを手でひっくり返して、仰向けにさせていた。白い鎧を鷲掴み、またも金属の砕ける音がする。。学習したのか、鎧をはぎ取ったようだった。食べ物じゃないと知って投げ捨てた鎧の破片には肉片がついていて、真っ赤に染まっている。
 
 水浸しになった床の上、で私はその光景を見ていた。股の間から熱を持った液体があふれ出て仕方なかった。ツンと鼻を刺す臭い、生温かい温度。膝に力は入らず、手を後ろにして姿勢を維持するのがやっとだった。とにかく、気持ち悪かった。冷え切った体とは対照的に、下半身は熱を帯び、失禁に浸った臀部はローブに肌が張り付き、不気味な冷たさを感じる。
  手にも力が入らない。私は食事をただ見ていた。
  
 バウッ、と狼の声が鋭く向かい、我に返る。ルフの一匹が私をにらみつけていた。次は私の番だったか、そう思った。
 警戒しているのか、距離を置き、私の周りをゆっくり回り始めた。 私には、もうそんな力も残っていないのに。殺意に煮え立ちそうな私の心臓は悲鳴を上げ、恐怖で緩んだ顎から拒絶の声が儚げに生まれてきた。

 「もうおよしなさい」

 女性の声が聞こえた。そんヒトはいないのに、私とクートとノエルだけでこの洞窟に入ったのに。
 一匹のベオウがのそのそと、こちらへ近づいてきて、そして、私を狙っていたルフを持ち上げた。

 「あなた、もうおなかはいっぱいでしょ。今日はもう帰りましょう」 

 小さな子供のような声も聞こえる。

 「でも兄ちゃんがやられたんだよ、ママ」
 
 怒りに満ちていて、鋭い声だった。

 「でも、これ以上殺したら餌がなくなっちゃうでしょう。このヒトはもう抵抗もしなさそうだし大丈夫よ。それにこのヒトは女の子よ。また子供を産んで、新しい命を宿してくれるわ」

 「でも・・・」


 「わがまま言うと神様に怒られるよ」
  
  剣幕な声だった。

 「はぁい・・・」 

 悔しそうな。つらそうな、そして怖そうな。そんな返事が聞こえた。

 「そこのお嬢さん。ごちそうさまでした。これで私たちはもう少し生き延びられるわ。神と、あなたがたに感謝します」

 ベオウが私の前にその巨体で立ち、手を合わせていた。
 
 「ごちそうさまでした」
  
 一礼し、その場を去る二足歩行の大狼。ベオウ。

 私は立つことも許されず、空腹を感じることもなく、時間のかなたに飲み込まれていった。記憶は消えて、命も消えたようだった。 
  生きていると知ったのはそれから数か月後、だった。
 
 私が最後に見て覚えているのは、抱きかかえられたルフの憎しみに満ちた目だった。 
 あれから数か月ののち、私は眠り続けた。