汚い。私は汚い。
何と言えばよいか、私はとにかく汚い。綺麗とは真逆にいて、美しさの欠片もない。
三人の魔女が言うように、「綺麗は汚い、汚いは綺麗」だとは思えない。
正直でもなく、何より、ふしだらとと表現しても良い欲求がある。
肉欲がある。
寂しさを 振りまいて、女を武器にして。
男という海に溺れ、その水さえも美酒のように飲み干してきた。
奥ゆかしさ、という概念からは程遠いところに私はいて、花を摘み、蜜を吸う。
いや、正直に言おう。私は自分がブスでないことに安心する。
決して、万人がきれいだの可愛いだのと言うほど、容姿に優れてはいない。
けれど、やや丸みを帯びた輪郭、ツンとした鼻、見開ける瞳。
胸も並み以上にあるし、贅肉は一部にしかのっていない。気にはなるけど、目につかない。
ちんちくりんでもない背丈で、声も姿勢も整っている。
女らしさという部分には隙が見えない。
それ故に、私は可愛い。
可愛い可能性のある人間に生まれて良かったと心から思える。
それは何より、私の付き合ってきた男の数が証明している。
初めての彼氏ができて以降、1年と私の横が空白になったことはない。
往々にして、好奇心と進取性に富んだ私は明るく、可愛らしくなれて、それで男はイチコロだった。
正直に言えば、イチではなくニコロぐらいな場合が大半であるけれど。
それでも、初心そうな、というより女を知らなそうな男は、勘違いする。
勘違いして、私を好きになっていく様がありありと見える。
お生憎、そういうのはノーサンキューだ。
良い男、というよりも私に社会的にも個人的にステータスを与えられる男。
そういう男だけが、私の琴線に触れ、肌に触れていった。
そのまま肌を重ね、溶けだして。
その浮遊感がもたらす快楽を全身で浴びた。
嬉々として、優越に口を緩ませて。
そういった思考を、今までは普通だと思ってきた。
けれど、何故だか。何故かはわからないけれど、その思考が躊躇される。
そして、自分の汚さを思い知らされる。
その汚らわしさは、抱かれている時に露わになる。
物足りなさ、とはまた違う。断じて違う。
愛も変わらず、相も変わらず、私はあの人を愛している。
内蔵が浸食され、体温が内から拡がっていく喜びは褪せもしない。
彼のものがそのまま私を喉まで貫いて、体中があの人ではちきれてしまいたい。
身体中の体重を失って、あの人にすべてを支えられて、
手が、足が言うことを聞かなくなるまで、 浸していたい。
そんな感情が手足を動かし、私を裸にする。
あの人の体温が濡れた綿のように、重く、肌に貼り付いて離れず、
ひたひたと肌に吸い付く。
その瑞々しさを纏い、私の肌が呼吸する。
恥ずかしさも何もなく、彼という大地を這いずりまわりながら、彼の太陽を握りしめる。
その熱さを、土から引きずり上げ、撫でながら、私の海に沈めるのだ。
熱さで骨が燃えが、肉が燻る心地がして、耳朶にかかる吐息で冷やされる。
悪寒にも似た続々とした身震いが、体中を震わせる。
息をこらえて沈みゆく人の交わるこの世界で、息の出来る唯一の瞬間。
私にとってあの人との時間がそうであることに変わりはない。
ただ、その熱さは全ての男が同様に持っていた。
大して好きでもない男も、心が崩れるくらいに依存した男も。
全てが往々にして、熱く、固かった。
骨も何もかもがあって、物質的で重力を伴っていて、熱さを帯びていた。
そして結局、いつもやっていることは同じだった。
世の人間、全てが同じように営みを行っていて、どの男も同じように私を抱いた。
半狂乱で私を蹂躙し、弾けて、果てて行った。
無論、気持ち的には違うかもしれない。
良かった時と悪かったとき、其々は明らかにあった。
イマイチと感じれば、蕩け果てるときもあった。
けれど、動物という枠から逃れられない。
四肢と生殖器が絡み合い、快楽を無心する。
それ以上でも以下でもない。
酷く野生じみていて、非人間的。
過分に本能的なその行いは、記憶に留まることが無かった。
記憶。
私には情事の記憶が存在しない。
何一つ残っていない。
それがとても、拙く、幼く、ドロドロと汚れて、穢い。
そう思えた。
もっとも愛し合っていたはずの時間を忘れてしまっていることが、薄情で、酷く不遜な気がしてならない。
私が本当に愛していると思った男と寝た時の一瞬一瞬の記憶はなく、
同様に気まぐれで当てつけのように抱かれた男ともその時々の記憶はない。
どちらも等しく、忘却の彼方へ消えている。
私は言われたとおりに体を動かし、貪り、投げ出してきた。
しかし、その都度、湧いてきた感情のどれ一つも今は手から零れ落ちている。
愛し合うために交わりを求めているのに、何も残らない。
愛しあっているはずなのに、思い出にならない。
記憶からはその瞬間はなくなっている。
良し悪ししか感じれず、区別できない彼との一瞬一瞬が、惜しく、儚い。
それに気づいて、自分が何をしていて、何を欲しているのかが分からなくなってきたのだ。
おそらく、神様の前でも、砂漠のど真ん中でも、森の中で泥にまみれても、恐らく人は同じようにするのだろう。
同じように裸になって、一瞬の快楽に身を浸かり、委ねるのだろう。
それでもその場合、違うのは単純に場所であり、空間であるだけで、精神と肉体を含めた私自身は変わらない。
私じゃない私は存在しない。
空が動くだけであって、心は置き去りにされている。
もっといえば。
私とあの人でしか築けない瞬間じゃない。
手探りで、不器用にももがきながら、愛を手繰り寄せる。
そういったプロセスは微塵もなく、私たちは猿まねのように、 嬲り、舐りあった。
そして、私たちを動かすのは愛であったはずなのに、いつの間にか性欲にとって代わられた。
そのことにも気づかずに、今まで為すがままにされ、してきたことがひどく滑稽に思えた。
何のために私は彼を、彼らを求めてきたのだろう。
私の欲求を満たすためなのか。彼の欲求を満たすためなのか。
私のと彼のと、各々の欲求を満たすためなのか。
定かではない。
ただ、私と彼との共同で産もうとする欲求ががそこには存在しなかったことは、微かに思い出せる。
私は私の為に彼を欲して、彼は彼の為に私を欲した。
そのタイミングが一致した結果だけが私たちの愛し合い方だった。
時折、小道具や演出を入れていつもと違う何かを演じては見たものの、
脚本は常に同じだった。
結末は変わらなかった。
内容が違うように思えても、起承転結は、順番は守る。
常に型通りだった。
順番を間違えた時はいつだって、
傷つけあうだけか、傷つけあった時だけで、
涙が出るほど心が痛いときだった。
その交わりは決して、ハッピーエンドではなかった。
ホットコーヒーはすっかり冷めていた。
ディナー時の喫茶店には三、四人の客しか見当たらない。
若い女性、フレッシュさのある男性2人、気ままそうな年配。
店に入った際は若干のざわめきを感じたが、今は店内のBGM以外はほぼ無音だった。
彼が来て、次にすることは。
それを想像し、自分が汚れずにはいられないという、背徳的な渇望が胸を躍らせた。
今こうして、私が思っていたことをあの人に話したら笑われるだろう。
あの人は私を知っている。
どんなふうにねだり、乱れるか。
そんな私が、少女漫画の主人公のような純粋さを秘めていた。
そして、私たちの今に亀裂を生じさせようとした。
暗にあの人を責めているようにもとられかねない。
だからもしかしたら、幻滅もするだろう。
愛しているに決まっているじゃないか、そう言ってくれるような気さえする。
けれど、何度でも言うように、その瞬間は至極、そして疑問の余地なく幸せなのだ。
彼と私の今を否定する気はない。
何より、体が正直に熱を帯び始めている。
いたずら心のような好奇心が胸をくすぐる。
長い夜を想像させる。
私は多分、あの人を求めることを辞めないし、
もし、あの人が去って相手がいなければ探すのだろう。
寂しさや、寒さを嫌って、求めるだろう。
虫が光を求めるように、ワシが肉に群がるように。
求めずにはいられない。
何度だって、骨を埋め、一つになろうとして、あたかも一つになって、一人じゃないと思いたくなるだろう。
私は一人で大洋を泳げるほど、勇気もなければ気概もないのだ。
何より、目的地を知らない。
1人で船をこぎ、泳ぎ、自らの航路を知らずにも進めるほど私は強くない。
死ぬのは。
怖い。
それでも、私は脱したい。逸したいのだ。
通り一遍の愛し方から、獣じみた愛し方から。
今はあの人と、特別な何かを見たい。
作りたい。
勿論、夢の国にだって水族館にも行きたい。
海にだって、外国にだって行きたい。
けれど、私が欲しいのは、濃密で記憶に残るような二人きりの永遠なのだと思う。
忘れてはならない思い出で、時間なのだと思う。
例え無人島に漂着してそのまま死のうとも、死ぬまでの日々を強く記憶に刻み続けたい。
身体と精神とが乖離することもなく、ゆらりゆらりと、果てしない海を漂う。
それでも良いと言ってくれる貴方がいるのかもしれない。
「お待たせ」
彼が定刻数分過ぎ、やってきた。
後ろからゆっくりと彼は現れ、耳元でそうささやいた。
ダメだ。
無理なような気がしてきた。
汚れ無きままで、愛を実践することが。
濃く、生臭い快感がリフレインする。
鼻を劈く臭いと、不自由な肉体の形を、身体は覚えていた。
私は彼の手を握って、席を立つ。
存外に初心な私の存在を見つけ出して、あざ笑い、私はそんな私を置き去りにした。
その私はきっと、白馬の王子様をシワシワになるまで待ち続るのだろう。
寂しく、悲しそうに、理想の相手を待ち続けるのだろう。
同情する。
さようなら、あなたは理想に生きてなさい。
そうして孤独で独り、死んでいくのよ。
誰をも愛することなく、貴方の理想を強請るだけのあなた。
さようなら。