申し訳ない。のろけ話をしたいと思う。
今日で彼女と出会ってから8か月くらいだと思う。思う、というと少し薄情に聞こえるかもしれないが、それはそう、甲斐性の無さみたいなものだ。不徳の致すところである。後で謝ろう。
僕が彼女を見つけたのは僕の行きつけの店みたいなところだった。毎日は来ないけれども、気がついたら行こうかな、と思っているようなお店だ。喫茶店だけれどもお酒も置いてる。昔のどこの家庭にもあったような、分厚くて重くて、角が丸まっている机。ワックスがかかっているのが目に見えるような色合いの机が、店内に二台。カウンターもあって、大きな背もたれと、臀部の形に合わせて凹みのある木製の椅子。使っている物が殆ど実家のようで、僕はなぜかそこに行くようになった。80円で出される何の拘りもないコーヒーをいつも飲んで、ただ意味もなく座るだけにそのお店に行っていた。80円のコーヒーでボーっとしていられるなら、いい場所である。音楽も当たり障りなく良い。時々かかるハードロックがかかる場合だけは、ゆっくりするという感じにはなれないが。
ここのマスターは特に誰かに話かけるのでもなく、ただ黙々と突っ立ているだけである。コップを磨いたり、仕込みをしたりしているだけである。時々、意味もなく立ち止まり、目を瞑って空を仰ぐときがあって、僕は最初それを気味悪いと思った。宇宙人と交信でもしてるのか、神様と対話でもしているのか。そのうち頬を緩めてニヤけるからまた怖い。危ない人という感じが漂い、次また来るのを辞めようかなと思ったほどだ。けれど、大体後ろを向いてやってしまうように心がけているらしいので、そのうち大して気にならなくなった。僕はレアケースを目にすることが多いらしい。
いつか、珍しく酒なんぞ飲みながら少し調子よくなったマスターとこのお店の話をした。彼は無駄に金があるらしく、単に音楽と食器や雑貨などが好きでこのお店を開いたそうだ。減るもんじゃないし、ってことでそこそこ趣味の食事を提供してるのだそうだ。例の交信は、本人の言葉によると「音楽に酔っている」とのことらしい。全部彼の趣味だそうで。
その時に、彼女も同じ日に、隣の席にいて会話の中にいた。時々このお店に来ているのは知っていたが、何分僕はシャイなので話しかけるということが上手くできないし、特に話すことも思いつかないから、風景の一部に紛れているだけだった。それがその日は、マスターが急に「さ、宴会だ」とか言いだして、その時にたまたまいた僕と彼女に酒を飲まないかと言い始めたのだ。どうも、「偉大なアーティストへの手向け」だったらしい。僕らは訳も分からず、言われる通りに看板を「CLOSE」にしたり、使わない椅子を机に上げたりさせられた。余った食卓に、つまみやご飯を乗せて宴会が始まったわけである。宴会と言っても、マスターが延々話し続けていたような気がするが。
後日、彼女が店に入ると、会釈するようになるくらいの仲にはなった。むしろ、そうしないとなんだか気まずいからそうしていた。実際、あの日、僕と彼女の間では大した会話はしていない。お互い名前すら言わなかった。
彼女はそこそこ背が高くて、僕より指3本分くらいしか背は変わらない。けれど、いつも地味ながらスラッと服を着こなしていて、歩き方は綺麗だった。流行を追うわけでもなく、かといってだらしなくもない恰好で、大体カーディガンかベストを羽織っている。透けるような服も、露出の多い服も見たことなく、コンパクトな存在感を放っていた。収まりの良い、とでも言えばいいのだろうか。どこで見ても誰の目の毒にもなることは無いような、女性らしく、けれども媚びるようなそぶりも見せない。そんな人だった。率直に言うと、僕のタイプである。
後日、マスターは僕ら二人だけがお店にいる日、それぞれのところに謝罪に来た。そして、謝罪の印に、と少し大きめの声で言い放った後、小さなホールケーキをカウンターの上に置いた。ホールケーキである。なんてセンスが無いんだ。それぞれのもとに言って個別で謝った(?)後に、ホールケーキを食えと。しかも二等分されている。二台しかないそれぞれの机の端で、向き合ったような形で座った僕たちはお互いに目をやった。そして、思わず笑ってしまった。同じこと思っていたらしく、僕らは空気の抜けるような笑い声を二人であげていた。
「いただきますか。」
と僕は声をかけて、彼女をカウンターにいざなった。
それから、彼女の名前も知って、「こんにちは」というくらいにはなった。そのうち、何度も挨拶だけをするうちに、気がつけば席は近くなっていった。他人という壁が取り払われて、僕らはお互いに同じ空間を共有する空気になった。張り詰めもせず、気にもかけすぎず。くしゃみをしても周りを見渡さない間柄。BGMは僕に向かって心地よく響くように、誰かに対して何かを強要される気配が取り去られた空間。だんだんと居心地の良い場所代わっていった。
大して客の来ないこの店で、マスターに許可をもらって勉強するスペースにもさせてもらった。そうすると、彼女もどうやら同じように以前から頼んでいたらしい。時々、同じように彼女も机に向かって何か書いていた。僕ら以外に数人客がいる日には「お前らあっちにいけ」と同じ場所に追いやれる。だからと言って何の緊張もしないし、照れ笑いなどもしない。お互い「またですか」と言わんばかりに肩をすくめて、そのまま気の向くまま、それぞれのペースで学習が再開される。むしろ、そのころまでにはマスターの厄介者みたいになっている気がする。
とりあえずここまでにする、僕もレポートを書かなければ。
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